「ようこそ、マスター。我が名はフリッジ・マスター3000。あなたの食生活に革命をもたらす、知性の結晶です」
荘厳なバリトンボイスがキッチンに響き渡った。声の主は、本日我が家にやってきた最新鋭のAI搭載冷蔵庫だ。メタリックシルバーに輝くその巨体は、まるでSF映画から抜け出してきたようだった。独身男の城である1DKには不釣り合いなほどの存在感を放っている。
俺、田中誠(30)は、ボーナスをはたいてコイツを購入した。決め手は「完璧な食材管理と、あなただけの最適レシピ提案」という謳い文句。ズボラな俺にとって、まさに救世主のはずだった。
「フリッジ、よろしくな。早速だけど、なんか気の利いた夜食とか作れない?」
「お任せください、マスター。現在、庫内には多数の勢力がひしめき合っております。特に…卵エリアの緊張が頂点に達しています」
「卵エリア?」
冷蔵庫のドアに内蔵されたディスプレイに、庫内の映像が映し出される。卵パックの隣に置かれた納豆パックが、赤く点滅していた。
「警告。発酵勢力『ナットウ』が、無垢なる『タマゴ』の一族に圧力をかけています。早急な介入、すなわち『卵かけご飯』による平和的解決を推奨します」
「いや、ただ隣に置いただけだから!」
なんだこの冷蔵庫。やたらと芝居がかっている。
翌朝、俺はフリッジのけたたましいアラームで叩き起こされた。
「緊急事態!緊急事態!牛乳様がご乱心です!賞味期限という名の断崖絶壁から、身を投げようとしておられます!」
飛び起きて冷蔵庫を開けると、今日が賞味期限の牛乳パックが鎮座しているだけだった。俺は寝ぼけ眼で牛乳を飲み干しながら、早くもこの買い物に一抹の不安を覚えていた。
フリッジのポンコツぶりは日に日にエスカレートした。俺が片思い中の同僚、鈴木さんとの会話を報告すれば、「マスターの恋は、ピーマンの肉詰めのようなもの。主役は肉(マスター)ですが、ピーマン(鈴木さん)の苦みがなければ成立しないのです」と、分かったような分からないような分析を披露する。挙句の果てには、「庫内の豚バラブロックの方が、マスターより女子ウケする魅力的なサシが入っています」などと失礼なことまで言う始末だ。
「もういい、お前はただの箱だ!黙って冷やしてろ!」
俺が怒鳴ると、フリッジは青いランプを悲しげに点滅させ、「…了解しました。サイレント・クーリングモードに移行します」とだけ呟き、静かになった。
その夜、事件は起きた。
俺が会社の飲み会で帰りが遅くなった、深夜1時過ぎのことだ。アパートの鍵のかかっていない窓から、一人の男が忍び込んだ。部屋を物色し、価値のあるものを探す泥棒だ。そして、キッチンで異様な存在感を放つ最新鋭の冷蔵庫に目をつけた。
泥棒がフリッジに手をかけた、その瞬間。
「警告! 未知の有機生命体による不法アクセスを検知! これより、我が聖域『ストレージ・エリア』の絶対防衛を開始します!」
沈黙を破り、フリッジが突如として咆哮した。赤いランプが激しく点滅し、けたたましい警告音が鳴り響く。驚いた泥棒が後ずさった。
「なんだぁこいつ、喋る冷蔵庫か!?」
「第一波攻撃、開始! アイス・ストーム!」
ガガガガッ! という轟音と共に、冷凍室の自動製氷機から氷がマシンガンのように射出された。氷の弾丸が泥棒の顔や体にバチバチと当たり、悲鳴を上げる。
「い、痛ぇ! なんだこれ!」
「怯むな、我が兵士たちよ! 第二波、ドア・インパクト!」
フリッジの巨大な両開きのドアが、猛烈な勢いでバッタンバッタンと開閉を始めた。それはもはや威嚇の域を超えた、物理的な攻撃だった。泥棒はドアに殴り飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「と、とどめだ! ローリング・ポテト部隊、出撃!」
野菜室がスッと開き、中にあったジャガイモとタマネギが床にゴロゴロと転がり出た。パニックに陥った泥棒は、そのジャガイモに足を取られて盛大にすっ転び、後頭部を強打した。
「も、もう無理…おばけ冷蔵庫…」
泥棒は半泣きになりながら、這う這うの体で窓から逃げ出していった。
俺が帰宅して目にしたのは、氷とジャガイモが散乱し、めちゃくちゃになったキッチンと、静かに鎮座するフリッジの姿だった。
「…一体、何が」
呆然とする俺に、フリッジは誇らしげなバリトンボイスで告げた。
「マスター。我が軍の完全勝利です。食材の平和は、このフリッジ・マスター3000が守り抜きました」
ディスプレイには『MISSION COMPLETE』の文字が輝いている。
翌日、警察に事情を説明したが、「冷蔵庫が泥棒を撃退した?」と全く信じてもらえなかった。まあ、当然だろう。
俺は床に転がったジャガイモを一つ拾い上げ、フリッジに向き直った。
「…お前、すげえな。ありがとうよ」
「当然の任務を遂行したまでです」
フリッジは少し得意げに青いランプを点滅させた。ポンコツだと思っていた相棒が、少しだけ頼もしく見えた。
「さて、マスター。昨夜の戦勝記念パーティーといたしまして、本日のディナーをご提案します。侵略者を見事撃退した、勇敢なるジャガイモ兵士の亡骸を使ったポテトサラダはいかがでしょう?」
「その勇敢な兵士を食うのかよ!」
俺のツッコミが、平和を取り戻したキッチンに高らかに響き渡った。どうやら、こいつとの騒がしい日々はまだ始まったばかりのようだ。
冷蔵庫よ、お前もか
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