麺屋『天昇』、宇宙へ羽ばたく

麺屋『天昇』、宇宙へ羽ばたく

2
文字サイズ:

シャッター街と化した「ひまわり商店街」の片隅で、ラーメン屋『麺屋 天昇』は今日も閑古鳥と親密な関係を築いていた。店主の天堂昇(てんどう のぼる)は、腕を組み、仁王立ちで誰一人いない通りを睨みつけている。

「わからんのか、今の連中は……。本物の味が、魂の一杯がここにあるというのに」

昇のラーメンは、正直に言って絶望的にまずかった。ドリアンと納豆を煮込み、そこに数種類の魚醤をブレンドしたかのような、挑戦的な香りが特徴だ。だが、昇自身はそれを「深遠なる旨味のシンフォニー」と信じて疑わない。これは先祖代々伝わる秘伝の味なのだ、と。

そんなある日の午後、店の引き戸がガラガラと音を立てた。入ってきたのは、頭のてっぺんから爪先まで、メタリックな銀色のスーツに身を包んだ奇妙な男だった。顔にはゴーグルのようなものを着けている。

「……い、いらっしゃい」
あまりの客の来なさに、昇の声が少し裏返る。

男は無言でカウンター席に座ると、電子的な合成音声で言った。
「『超銀河グルメガイド』の者だ。貴店の噂を聞きつけて、調査に参った」

ちょうぎんが……? 昇は聞き慣れない単語を頭の中で反芻したが、すぐに「ああ、なんかそういう名前のイカしたグルメ雑誌か何かだろう」と都合よく解釈した。ついに時代が俺に追いついたのだ。

「へっ、お待ちしてやしたぜ! すぐに究極の一杯を出しやすんで、ちと待ってな!」

昇は、厨房の奥から禍々しいオーラを放つ寸胴鍋の蓋を開けた。店内に満ちる、嗅覚への暴力。彼は自信満々に麺を茹で、秘伝のタレを注ぎ、渾身の一杯を男の前に叩きつけた。

「へい、おまち! 『究極天昇ラーメン』だ! 魂ごとすすりやがれ!」

銀色の男は、レンゲでスープを一口、ゆっくりと口に運んだ。次の瞬間、男の全身がケイレンしたようにビクッと震え、完全に静止した。

(や、やっちまったか……? あまりの美味さに衝撃死……?)

昇が冷や汗を流していると、男はゆっくりと顔を上げ、震える声で言った。
「……ス、スバラシイ……」
「へ?」
「この! 味覚中枢を直接殴りつけるような不協和音! 脳が理解を拒む混沌のフレーバー! 我々の星では、これほどの『不味』は伝説上の存在とされていた! ブラボーッ!」

男は立ち上がると、昇の手を固く、しかしどこかヌルリとした感触で握りしめた。
「必ずや、貴店の『偉業』は全宇宙に伝えさせていただく!」
そう言うと、男は紙幣ではなく、キラキラと光る小さな石ころをカウンターに置き、風のように去っていった。

昇はポカンとしながらも、得意満面に鼻を鳴らした。
「ふん、当然だ。俺のラーメンは宇宙レベルってことよ」

その数日後、事件は起きた。
『麺屋 天昇』の前に、見たこともないような長蛇の列ができていたのだ。頭が三つある者、全身がゼリー状の者、タコのような触手を持つ者。彼らは皆、一様に期待に満ちた目で店の暖簾を見つめている。

「オイオイ、なんだこりゃあ! 今日はコスプレのイベントでもあるのか?」

昇が驚いていると、列の先頭にいた緑色の肌の男が興奮気味に話しかけてきた。
「店主殿! 『超銀河グルメガイド』で見ましたぞ! 銀河系で唯一、最高の『惨星(さんせい)』を獲得したという、伝説の激マズラーメンを我々にも!」

さんせい……? ああ、三ツ星のことか! しかも激マズってのは、あれだ、最高の褒め言葉なんだろう。日本の「ヤバい」みたいな。昇はまたも都合よく解釈し、満面の笑みで胸を張った。

「おうよ! お前ら、ラッキーだな! 今日は俺の魂、大放出しちまうぜ!」

その日から、『麺屋 天昇』は宇宙的な人気店となった。
「まずい! まずすぎる! もう一杯!」
「この舌が痺れるような後味……故郷のヘドロの川を思い出す……」
宇宙人たちは、涙と鼻水を流し、時には軽く失神しながらも、昇のラーメンを至高の珍味として堪能した。

店の売り上げは爆増し、彼らが地球の通貨代わりに置いていく謎の鉱石や未知の植物によって、昇は期せずして大金持ちになった。閑散としていたひまわり商店街も、「ユニークな外国人観光客が集まるホットスポット」として息を吹き返し、テレビの取材までやってきた。

「天堂さん! この町を救った英雄ですね! 成功の秘訣は何ですか!?」
マイクを向けられた昇は、カメラに向かって、誇らしげにガッツポーズを決めた。

「秘訣なんざねえ! ただ、自分の信じる『味』を、魂を込めて作り続けることだ! 俺のラーメンはな、ついに世界……いや、宇宙に認められたんだよ!」

その言葉を証明するかのように、彼の背後の客席では、触手をわななかせた宇宙人が一杯のラーメンをすすり、恍惚の表情でこう呟いていた。

「……最高に、ひどい味だ」

TOPへ戻る