鋼鉄の調理兵

鋼鉄の調理兵

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砲弾が空を裂く音が、凍てつく大地の賛美歌だった。

「クソッ、またこれかよ」

兵士の一人が、配給された栄養ペーストのチューブを泥濘に叩きつけた。誰もが同じ気持ちだった。味も素っ気もない延命食。これが、連合王国軍東部戦線の日常。士気は氷点下の気温よりも低く、敵であるガルニア帝国の機械化部隊にじわじわと戦線を押し込まれていた。

そんな絶望の最前線に、そいつは場違いな白いコックコート姿で現れた。背嚢の代わりに、鈍い銀色に輝く調理器具一式を背負って。

「腹が減っては戦はできん、だろ? 諸君」

男は、リオと名乗った。階級章もなければ、銃の構え方も知らない。だが、彼こそがこの大戦における連合の最終兵器――戦食調理兵(バトル・クッカー)だった。彼の作る料理は、食べた兵士の潜在能力を一時的に、しかし爆発的に引き上げるのだ。

「配給レーションを寄越せ。芸術品に変えてやる」

不信と嘲笑の視線が突き刺さる中、リオは手際よく携帯式のIHコンロを展開し、巨大な中華鍋を火にかけた。兵士たちから集めた栄養ペースト、乾燥肉、干からびた野菜クズ。それらがリオの手にかかると、魔法のように姿を変えていく。刻まれ、炒められ、秘伝のスパイスが振りかけられるたび、香ばしい匂いが塹壕に満ちていった。それは、兵士たちが忘れかけていた「食事」の香りだった。

「さあ、できたぞ。『絶望の塹壕風・希望チャーハン』だ」

兵士たちはおそるおそる、配給されたチャーハンを口に運んだ。その瞬間、彼らの目が見開かれる。

「う、美味い……!」
「なんだこれ…力が、力がみなぎってくる…!」

疲労困憊だったはずの体に熱が駆け巡り、鈍っていた五感が研ぎ澄まされる。遠くの敵兵の息遣いさえ聞こえるようだった。

その直後、帝国の奇襲が始まった。だが、今日の第3小隊は昨日までとは違った。

「敵影、3時方向、距離800! 見える、見えるぞ!」
「腕が軽い! 狙いが寸分も狂わねえ!」

彼らは獅子奮迅の働きで奇襲部隊を撃退した。すべてはリオの一皿のチャーハンがもたらした奇跡だった。

噂は瞬く間に司令部まで届き、リオに特命が下った。敵の重要拠点「黒曜石の砦」の攻略の鍵を握る、敵地深くに孤立した特殊部隊「ファング」への補給任務。彼らに届けるべきは弾薬ではない。リオが作る「決戦用フルコース」だった。

リオの護衛には、鬼軍曹と恐れられるエヴァ・ハミルトン曹長が就いた。彼女は、リオの能力を「非科学的なおとぎ話」と一蹴する現実主義者だ。

「いいか、コック。お前のままごと遊びに付き合うが、足を引っ張ったら置いていく」
「ご心配なく、軍曹殿。俺の料理は、あんたの硬い表情筋だって緩ませてみせるさ」

夜陰に紛れ、二人は敵地へと潜入した。道中は死と隣り合わせだった。光学迷彩を纏った帝国軍の斥候、自律型狙撃ドローン、そして音もなく忍び寄る強化サイボーグ兵。幾度となく絶体絶命の窮地に陥ったが、そのたびにリオが奇跡を起こした。

森で採取したキノコと木の実で作った即席スープは、エヴァの動体視力を鷹のレベルまで引き上げた。川で捕らえた魚に特殊なハーブを詰めて焼いた一品は、彼女の聴覚を増幅させ、数十メートル先の敵の足音を正確に捉えさせた。

「……信じられん」

敵の包囲網を突破した後、エヴァは呆然と呟いた。リオはフライパンを磨きながら、こともなげに言う。

「最高の食材は、いつだって戦場にある。極限の状況が生み出す味は、どんな三ツ星レストランにも真似できん代物だ」

ついに「ファング」が立てこもる廃墟まであと数百メートルの地点。だが、そこには帝国の切り札であるエースパイロット、”黒騎士”ハンスが駆る最新鋭の人型機動兵器が待ち構えていた。

「ここまでだ、連合のネズミ共」

絶望的な戦力差。エヴァはリオを庇い、ライフルを構える。
「お前だけでも行け、リオ! ファングに勝利のレシピを!」
「馬鹿を言うな」

リオは不敵に笑った。

「最高のディナーには、最高のメインディッシュが必要だろう?」

彼は背中の調理器具から、ひときゆわ巨大な寸胴鍋を取り出した。そして、これまで集めた全ての食材と、隠し持っていた最後の切り札――高濃縮エネルギーパックを鍋に投入した。

「軍曹、奴を5分だけ引きつけてくれ! 俺が、この戦争で一番ヤバいフルコースを、あんた一人のために作ってやる!」

エヴァは一瞬ためらったが、リオの真剣な瞳に覚悟を決めた。彼女は雄叫びを上げ、黒騎士へと突撃する。

リオの指が、舞うように動く。鍋の中身が化学反応を起こし、まばゆい光と熱気を放ち始める。それはもはや料理ではなかった。錬金術、あるいは神の御業。

「喰らえ、エヴァ! 俺の最高傑作、『流星のボルシチ』だ!」

完成した深紅のスープを、エヴァは一息に飲み干した。次の瞬間、彼女の全身から青白いオーラが立ち上る。筋肉が軋み、感覚が極限を超えて覚醒する。

「うおおおおおおっ!」

エヴァの動きは、もはや人間のそれてではなかった。黒騎士の放つレーザーを紙一重でかわし、壁を蹴って垂直に駆け上がる。機動兵器の装甲の隙間を寸分違わずライフルで撃ち抜き、関節部を破壊していく。

「な、人間だと!? ありえん!」

狼狽する黒騎士のコクピットに、エヴァは渾身の蹴りを叩き込んだ。

夜明け。大破した機動兵器を背に、二人は「ファング」の隊員たちに迎えられた。リオは疲れた顔で笑い、生き残った隊員たちに「流星のボルシチ」の残りを振る舞った。

「さあ、腹ごしらえは済んだな?」

スープを平らげた「ファング」の隊長が、超人的な力をその身に感じながらニヤリと笑う。

「野郎ども! 腹は満ちたか! ならば、反撃の時間だ! 黒曜石の砦は、俺たちの晩餐だ!」

その日を境に、東部戦線の戦況は劇的に変わった。後に「流星の晩餐」と呼ばれることになるその戦いを指揮したのは、一人の名もなき料理人だったという。

そして今日も、戦場のどこかでリオはフライパンを振るう。勝利という名の、最高のフルコースを届けるために。

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