5秒間の反逆者

5秒間の反逆者

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第一章 砂時計の底

鉄錆と汚水の臭いが充満する地下スラム『アンダー』。

頭上の巨大な換気扇が、死にかけの獣のような音で唸っている。

「……兄さん?」

暗闇の底、ボロ布を重ねたベッドから掠れた声がした。

俺は反射的に駆け寄り、ミアの痩せ細った手を握る。

熱い。

血管の中をマグマが流れているかのような異常な高熱だ。

「ここにいる。大丈夫だ」

ミアの胸元で、安っぽいガラスのペンダントが明滅していた。

『砂塵のペンダント』。

亡き母が「お守り」だと言ってミアに持たせたものだ。

中に入っている金色の砂は、重力に逆らうようにガラスの中で舞っている。

ミアの呼吸が浅い。

ヒュー、ヒューという音が、俺の心臓を万力で締め上げる。

『因果律歪曲症』。

上層都市『アッパー』が歴史を改変するたびに生じる副作用のゴミ。

それが、一番低い場所にいる俺たちに降り注ぐ。

ミアの体は、世界の矛盾を押し付けられて限界だった。

左手首の端末が振動する。

『時間債務:-4,020,000 pt』

俺たちの命につけられた値札。

この数字がゼロになるまで、俺たちは『時間省』の奴隷だ。

「仕事、行くのね」

ミアが虚ろな瞳で俺を見透かす。

「ああ。今日は『アッパー』の仕事だ。割がいい」

「嘘つき」

ミアが弱々しく笑う。

彼女は知っているのだ。俺の能力が『ハズレ』であることを。

狙った人間に潜れない、制御不能のランダム転移。

そんな欠陥品のリーパーに、まともな報酬が出るはずがない。

「行ってくる。必ず、薬を買ってくる」

俺は逃げるように立ち上がった。

ふと、ミアのペンダントが強く光った気がした。

中の砂が、狂ったように回転している。

まるで、これから向かう場所を指し示しているかのように。

俺はペンダントを彼女の服の中に押し込み、鉄扉を開けた。

第二章 ロシアンルーレット

『時間省』アンダー支部。

コンクリート打ちっぱなしの独房で、俺はヘッドギアを装着していた。

「カイ・ローガン。対象座標、56年前の『第一次統合会議』だ」

スピーカーから管理官の事務的な声が響く。

「ターゲットは?」

「会議室にいる『誰か』だ。お前の能力じゃ選べないだろうがな」

管理官が鼻で笑う。

俺の能力は『意識ガチャ』だ。

指定座標の半径10メートル以内の誰かに、ランダムで5秒間だけ憑依する。

それが議長かもしれないし、掃除婦かもしれない。

運任せの特攻兵器。それが俺だ。

「任務は『会議の中断』だ。5秒以内に騒ぎを起こせ。失敗すれば、妹の治療費がどうなるか分かっているな?」

「……ああ」

脅しは聞き飽きた。

俺は奥歯が砕けるほど噛みしめ、ダイブを開始する。

視界が裏返る。

色彩が溶け出し、脳髄がミキサーにかけられる感覚。

(頼む、手足のついた人間に当たってくれ……!)

着地。

強烈な違和感とともに、俺は目を開けた。

目の前には、豪奢なオーク材のテーブル。

そして、演説をする初老の男――議長の後ろ姿。

俺は誰だ?

自分の手を見る。白い手袋。銀のトレイ。

俺は、給仕のウェイターに入ったらしい。

最悪だ。議長までは距離がある。

(残り4秒)

思考するより先に体が動く。

俺はトレイに乗っていた熱々のコーヒーポットを掴んだ。

(3秒)

狙うは議長じゃない。

俺はポットを、自分自身の足元に叩きつけた。

ガシャーン!

陶器の砕ける音と共に、熱湯が俺(ウェイター)の足を焼く。

「ギャアアアッ!」

俺はウェイターの喉を使って絶叫し、わざとらしく前へつんのめった。

倒れ込む先は、議長の背中。

(2秒)

ドサッ。

もつれ合い、議長と共に床へ倒れ込む。

会場が悲鳴と怒号に包まれた。

「何事だ!」「テロか!?」

SPたちが銃を抜き、議長に覆いかさなる。

会議は中断だ。

任務完了。

その瞬間だ。

視界の端で、空間が『裂けた』のが見えた。

黒い亀裂。

そこからヘドロのような『歪み』が噴き出し、排水溝へ流れるように、未来へ――俺たちのいる時代へと吸い込まれていく。

(あれが、ミアを蝕んでいる毒……!)

ズキン、と胸の奥が痛んだ。

いや、違う。

胸ポケットに入れておいた、ミアのペンダントの『欠片』だ。

今朝、ペンダントの鎖が切れかけた時にこぼれ落ちた、小さなガラス片。

それが今、あの『亀裂』と共鳴して焼き付くような熱を発している。

(まさか……この砂は……)

直感した。

これはただの砂じゃない。

時間を固定する『錨(アンカー)』だ。

この砂が、全ての『歪み』を引き寄せているとしたら?

(1秒。タイムアウト)

強制切断。

意識が現在へと弾き飛ばされる。

俺は独房の床で嘔吐した。

だが、その目には確信の光が宿っていた。

ミアのペンダント。

あれは、この狂ったシステムの『設計図』の一部だ。

なら、あれを使えば――制御不能の俺の能力でも、たった一箇所だけ、確実に飛べる場所がある。

第三章 確率ゼロへの挑戦

『時間省』の中枢タワー、地下最深部。

俺は通気ダクトの隙間から、眼下に広がる光景を睨んでいた。

巨大な『時間核(クロノ・コア)』。

青白く脈打つ光の柱が、歴史を改竄し続けている心臓部だ。

周囲には武装した警備ドローンが旋回している。

正面突破は不可能だ。

だが、今の俺には『欠片』がある。

ポケットから取り出したガラス片は、コアの鼓動に合わせて明滅していた。

この欠片が本体(ペンダント)を求めているなら、逆もまた然りだ。

コアの中心には、全ての始まりとなった『オリジナルの時間砂』があるはずだ。

「おい、ネズミがいるぞ!」

見つかった。

ドローンの赤いレーザーサイトが俺の眉間を捉える。

俺はダクトを蹴破り、何もない空中へと身を投げ出した。

「撃て! 殺せ!」

警備兵の怒号。

火線を引いて弾丸が迫る。

俺は空中で目を閉じ、欠片を強く握りしめた。

行くぞ、最後のガチャだ。

狙うのはランダムな誰かじゃない。

このシステムの創造主。

全ての元凶である、100年前の科学者だ。

『ダイブ』。

いつもの吐き気とは違う。

全身の骨が粉々に砕け散るような衝撃。

時空の嵐が俺の自我を引き裂こうとする。

だが、手のひらの『欠片』が、羅針盤のように俺を導く。

嵐の向こう一点だけが輝いて見えた。

(……5……)

目を開けると、そこは無機質な研究室だった。

俺は、白衣を着た男になっていた。

目の前には、赤い起動スイッチ。

(……4……)

男の指が、スイッチに触れようとしている。

これを押せばシステムが稼働し、アッパーの支配が始まり、ミアが死ぬ未来が確定する。

止めろ。

俺は男の筋肉に命令を送る。

だが、動かない。

男の意志は鋼鉄のように強固だ。

歴史を変えるという狂信的な使命感が、俺の干渉を拒絶する。

(……3……)

『何だ!? 誰だ、貴様は!』

男の思考が、俺の意識を押し出そうとする。

パワーが違いすぎる。

俺のような『ハズレ』の微弱な力では、彼の指一本止められない。

弾き出される。

そう思った瞬間、俺は戦術を変えた。

体を乗っ取るんじゃない。

俺が見てきた『地獄』を見せるんだ。

(……2……)

俺は脳内の記憶を全開にした。

アンダーの汚水。

奇病に苦しみ、血を吐くミア。

崩れ落ちるスラムの子供たち。

あんたが作ろうとしている『楽園』の足元に広がる、死体の山を。

『見ろ! これが、あんたの数式が導き出す答えだ!』

イメージを、男の視神経に直接叩き込む。

(……1……)

男の指が震えた。

瞳孔が見開かれ、冷や汗が頬を伝う。

彼は見たのだ。

美しい未来都市ではなく、その影で腐り落ちていく少女の顔を。

「……私は、間違っていたのか?」

男の唇が動く。

迷い。

その一瞬の隙が、俺に主導権を渡した。

俺は、男の指をスイッチから引き剥がし――

横にあった『緊急停止レバー』を、渾身の力で引き下ろした。

ガコンッ。

重い金属音が、歴史の歯車を破壊した。

(……0)

最終章 崩壊する空の下で

閃光。

そして、鼓膜をつんざくような警報音。

俺は現在へと戻された。

目の前の『時間核』が赤黒く変色し、不快なノイズを撒き散らしている。

タワー全体が悲鳴を上げ、天井に亀裂が走った。

ドズン! ズズン!

瓦礫が降り注ぐ中、俺は笑っていた。

左手首の端末を見る。

表示されていた『時間債務』の数字が、バグったように高速で回転し――消滅した。

システムが死んだ。

俺は崩れ落ちる通路を走り抜けた。

警備兵たちは逃げ惑い、ドローンは機能を停止して墜落していく。

地上へ。

鉄扉を蹴り開けると、そこは見たこともない光景だった。

空が、落ちていた。

『アッパー』の美しい人工空がガラスのように砕け散り、その向こうから、本当の太陽の光が差し込んでいる。

眩しい。目が潰れそうなほどに。

「カイ!」

瓦礫の山の向こうで、ミアが手を振っていた。

彼女の首元で、ペンダントは砕け散っていた。

だが、その顔色は驚くほど良い。

あの死相のような影は消え、頬には紅が差している。

「ミア!」

俺は彼女を抱きしめた。

温かい。

病的な熱じゃない。命の温もりだ。

「見て、兄さん。空が……」

ミアが指差す先。

上層都市の残骸が燃えながら落下し、その隙間から青い空が覗いている。

支配は終わった。

これからは、法も秩序もない混沌の時代が来るだろう。

だが、そこには搾取も、決められた運命もない。

「行こう、ミア」

「どこへ?」

「どこへでも。俺たちの時間は、もう俺たちのものだ」

俺はミアの手を引き、瓦礫の山を駆け上がった。

足元の不安定な瓦礫が崩れる。

それでも俺たちは止まらない。

背後で『時間省』が轟音と共に崩壊していく。

俺たちは振り返らなかった。

目の前に広がる、残酷で、美しく、自由な荒野へと、ただ走り出した。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理:**
カイは最愛の妹ミアを救うため、自身の「ハズレ」能力の絶望を乗り越え、巨大なシステムに反逆する。彼の行動は単なる正義でなく、ミアへの根源的な愛に突き動かされている。創造主も理想を追求したが、カイが突きつけた「地獄」によってその信念は崩壊した。

**伏線の解説:**
ミアの「砂塵のペンダント」は単なるお守りではない。それは時間を固定する「錨」であり、システムの「設計図」の一部。序盤の重力に逆らう描写や、欠片が歪みと共鳴する描写が、物語の鍵となるその本質を暗示していた。これはカイをシステム核心へと導く羅針盤だった。

**テーマ:**
本作は、システムによる命の支配と歴史改変の不条理な代償に対し、一人の兄が妹への「愛」と「自由」をかけて挑む反逆劇。理想と現実の乖離、そしてシステム崩壊後の「混沌の中の新たな希望」を描いている。彼らは決められた運命ではなく、自分たちの時間を取り戻したのだ。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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