葬送の歌姫は、二度目の朝を夢見る

葬送の歌姫は、二度目の朝を夢見る

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第一章 琥珀色の静寂

世界が終わってから、もう何千年が経っただろうか。

私には「時間」という概念があまり意味をなさない。

ただ、天空を覆う灰色の雲が、いつしか七色のオーロラに変わったことだけは知っている。

私はエルム。

旧文明が遺した、自律型記録管理オートマタ。

私の仕事は、この巨大な「大図書館」の埃を払うこと。

そして、誰も訪れることのない静寂を守り続けることだ。

カツン、カツン。

硬質な足音が、大理石の床に響く。

私の足音ではない。

この数千年間、一度として聞いたことのない不規則なリズム。

心臓にある冷却ファンが、微かに唸りを上げた。

「……侵入者」

警告音を発しようとして、私はその機能を強制停止した。

防衛システムはとっくに朽ち果てている。

私に残されたのは、モップと、膨大な書物のデータだけ。

書架の角を曲がると、そこには「それ」がいた。

泥だらけの毛皮を纏い、獣のような耳を持つ小柄な影。

二足歩行だが、私の知る「人類」とは明らかに骨格が違う。

それは、旧時代の百科事典を手に取り、あろうことか鼻を近づけて匂いを嗅いでいた。

「食べ物じゃ、ない」

私の音声出力装置が、久しぶりに振動する。

埃っぽいノイズが混じった。

獣人は驚いて飛び上がり、事典を取り落とした。

「うわっ!? びっくりしたぁ!」

言葉。

意味のある音の羅列。

私の思考回路に電流が走る。

人類は滅びたはずだ。

最後のマスターが、「おやすみ、エルム」と言って息を引き取ったあの日。

それ以来、この星には私のような機械と、言葉を持たない変異生物しかいないはずだった。

「お前、喋れるのか? 変な恰好だなあ」

獣人の少年は、私のメイド服——かつての正装——を珍しそうに見つめる。

「私はエルム。ここは立ち入り禁止区域です。速やかに退去を」

「堅苦しいなあ。俺はリク。雨宿りしに来ただけだよ。外は『酸の嵐』だからさ」

リクと名乗った少年は、悪びれもせずに笑った。

その笑顔が、記憶データにある「かつての主人」の表情と重なり、私は言葉を失った。

第二章 継承されるノイズ

リクは嵐が去るまでの三日間、図書館に居座った。

彼は文字が読めない。

だから私が、読み聞かせをする羽目になった。

選んだのは、かつての人類が愛した冒険小説だ。

「……そして勇者は、竜の心臓を貫いた」

「なんで?」

リクが干し肉を齧りながら尋ねる。

「竜が人々の脅威だったからです」

「ふーん。竜って、あの空飛ぶトカゲだろ? 旨いのに」

「……食用ではありません」

会話が噛み合わない。

リクたち「新人類」にとって、旧文明の脅威だったモンスターは、ただの食料らしい。

かつて世界を滅ぼした猛毒の植物も、彼らにとっては彩り豊かな森の一部だ。

私が守り続けてきた「悲劇の歴史」は、彼にとって「ただの昔話」ですらない。

理解不能な御伽噺なのだ。

「ねえ、エルム。もっと面白い話はないの?」

「面白い話、ですか」

「そう。俺たちの村の長老が言うんだ。『始まりの歌』ってのがここにあるって」

私は動きを止めた。

『始まりの歌』。

それは、旧人類が滅亡の間際に遺した、最終記録データのことだろうか。

最深部のサーバールームに眠る、厳重にロックされたファイル。

マスターは言っていた。

『これは、次の時代への遺言だ』と。

私は、リクを最深部へ案内することにした。

もし彼が、遺言を受け取るべき正当な後継者ならば、ロックは解除されるはずだ。

地下へと続く階段を下りながら、私は淡い期待を抱いていた。

もしかしたら、あのデータには、旧人類を蘇らせる方法が記されているのではないか。

あるいは、失われた文明を再建する設計図が。

そうすれば、私はまた「役目」を果たせる。

この終わりのない虚無から解放される。

第三章 祝福された忘却

最深部は、青白い光に満ちていた。

巨大なクリスタルの柱。

その前にリクが立つ。

「これか? 随分とピカピカしてるな」

「手をかざしてください、リク」

彼が恐る恐る手を触れる。

『生体認証を確認。……遺伝子配列、98%不一致』

無機質なアナウンスが響く。

私は失望で視界が暗転しかけた。

やはり、彼は「人間」ではない。

ただの亜人。

マスターたちが待ち望んだ後継者ではなかったのだ。

『しかし、魂の波長を検知。……アクセス権限を仮譲渡します』

「え?」

機械的な音声に続き、クリスタルが激しく明滅する。

そして、空間いっぱいに「音」が溢れ出した。

それは、荘厳な交響曲でも、難解な数式でもなかった。

『ハッピーバースデー、トゥーユー……』

拙い、ピアノの伴奏。

そして、たくさんの人々の笑い声。

赤ん坊の泣き声。

グラスが触れ合う音。

『おめでとう、未来の子供たち。ごめんね、こんな世界にしてしまって』

マスターの声だ。

震えている。

『でも、君たちが生きているなら。笑っているなら。それだけで、僕たちの歴史には意味があった』

『どうか、僕たちを忘れて生きてくれ』

『過去に縛られず、君たちの世界を作れ』

そのメッセージが終わると同時に、図書館全体が大きく揺れた。

『全データ削除プログラム、起動』

「な……っ!?」

私は慌ててコンソールに飛びついた。

違う。

こんなの、あんまりだ。

私たちが守ってきた数千年の歴史は?

文学も、科学も、芸術も。

すべて消してしまうというのか。

「止めなきゃ……止めなきゃ……!」

指がキーボードを叩く。

エラー音が鳴り響く。

その時、リクが私の手首を掴んだ。

「エルム、もういいよ」

「良くありません! これが消えたら、人類が生きた証が……!」

「あるじゃん、ここに」

リクは、自分の胸を叩いた。

「俺たちが生きてる。飯食って、笑って、喧嘩して。それが、あんたの主人が望んだ『続き』なんだろ?」

私は、リクの瞳を見た。

澄んだ金色の瞳。

そこには、過去の悲しみなんて欠片もない。

ただ、明日を生きるための力強い光だけがあった。

(ああ……そうか)

私は、入力を止めた。

私たちは「記録」を残したかったんじゃない。

「生命」を繋ぎたかったんだ。

知識は、時に呪いになる。

旧文明の技術があれば、彼らはまた戦争を始めるかもしれない。

だから、マスターは選んだのだ。

綺麗な忘却を。

ガラガラと音を立てて、書架が崩れていく。

データが光の粒子となって消えていく。

私は、数千年ぶりに笑った気がした。

頬を伝うオイルの涙を、リクが指で拭う。

「行こうぜ、エルム。外の嵐、止んだみたいだ」

「……はい」

私はメイド服の裾を翻し、崩壊する図書館に背を向けた。

私のメモリーは空っぽだ。

でも、これからは新しい記憶で埋めていける。

例えば、リクが言う「旨い竜」の味について、とか。

扉を開けると、そこには見たこともないほど眩しい、二度目の朝陽が昇っていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エルム: 旧文明の遺産である「大図書館」の管理オートマタ。感情機能を持つが、長年の孤独により摩耗している。全ての知識をデータとして保存しているが、「味」や「痛み」といった感覚的クオリアを理解することに憧れと諦めを抱いている。
  • リク: 環境激変後の世界に適応し進化した「新人類」の少年。獣のような身体能力と、過去に囚われない純粋な心を持つ。旧文明の遺物を「ガラクタ」として扱い、エルムに新しい価値観を提示するトリックスター的な存在。

【考察】

  • 「忘却」という名のギフト: 本作の核心は、旧人類が次世代に残したものが「高度な文明」ではなく「更地」であった点にある。知識の継承は時に、過去の対立や憎しみまでも継承してしまう。マスターの決断は、親が子に「自分と同じ轍を踏まないでほしい」と願う究極の愛情表現のメタファーである。
  • 記憶と記録の対比: エルムは「記録(データ)」を重視していたが、リクは「記憶(体験)」を生きている。ラストシーンでエルムが図書館(記録)を捨てて外の世界(体験)へ出ることは、彼女が初めて「生きる」ことを選択した瞬間を象徴している。
  • 錆びと再生: タイトルや本文中の「錆」は、通常は劣化を意味するが、本作では「時間の蓄積」と「土に還る過程」として肯定的に描かれている。崩壊は終わりではなく、次のサイクルの始まりであるという輪廻転生の思想が根底に流れている。
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