第一章 渋谷スクランブル・ラビリンス
腐ったアスファルトと、安っぽいエナジードリンクの甘い匂いが鼻をつく。
視界の端で、半透明のホログラムが滝のように流れていた。
『こいつ誰?』
『装備ゴミすぎワロタ』
『ルミナちゃん助けに来たとか? 無理ゲーww』
俺、相馬レンジは、錆びついたバールを片手に、深緑色の粘液に覆われたハチ公像の前に立っていた。かつて待ち合わせの聖地だった場所は今、Sランクダンジョン『シブヤ・アンダーグラウンド』の入り口として、異形の化け物を吐き出し続けている。
「……うるさいな。コメント透過度、五十パーセントに設定」
呟くと、視界を埋め尽くしていた罵倒が薄くなる。
俺の仕事はヒーローじゃない。清掃員(ジャニター)だ。
ただし、掃除するのはゴミじゃない。配信映えしすぎて制御不能になった、ダンジョンの『バグ』だ。
「きゃああああっ!」
悲鳴が響く。
スクランブル交差点の中央。極彩色のネオンライトを全身から生やした巨大な蜥蜴――『ネオン・リザード』が、小柄な少女を追い詰めていた。
少女は、今をときめくトップランカー、ルミナだ。彼女の周りには、自律型のドローンカメラが三機、ブンブンと羽音を立てて飛び回っている。
『ルミナ逃げてー!』
『同接50万突破!』
『スパチャ投げろ! エフェクトで目くらましになる!』
視聴者たちは知らない。
彼らの熱狂が、投げ銭の光が、そして『面白い』という感情の波動が、ダンジョンの魔素(マナ)と結合し、モンスターを強化していることを。
ネオン・リザードの背中にあるトゲが、視聴者数の増加に合わせて太く、鋭く脈動した。
ルミナが炎の魔法を放つ。派手な爆発。視聴者が湧く。
その瞬間、リザードの動きが倍速になった。
「……やっぱりな。盛り上げすぎなんだよ、素人が」
俺はバールを握り直し、走り出した。
正面からではない。瓦礫の山を駆け上がり、センター街の看板の裏側へと回り込む。
俺の目には、世界が少し違って見えている。
リザードの鱗の隙間に、赤く点滅する『亀裂』。
あれは急所じゃない。このダンジョンというプログラムの、処理落ちしかけているテクスチャの継ぎ目だ。
俺の右目――『解析眼(グリッチ・アイ)』が、現実の構造線をワイヤーフレームとして捉えていた。
第二章 バグ利用(グリッチ)
「ルミナ! 左に飛べ!」
ドローンのマイクが俺の音を拾うより早く、俺は叫んだ。
ルミナが反射的に身を翻す。その一瞬後、彼女がいた場所をリザードの尾が薙ぎ払った。
『誰だ今の指示』
『さっきのボロ装備のおっさん?』
『邪魔すんなし』
コメント欄が荒れる。俺の配信画面の同時接続数は、たったの十二人。その全員が、俺のアンチか、迷い込んだbotだ。
俺はリザードの頭上、三階建てのビルの高さから飛び降りた。
狙うは首元ではない。右前足の付け根。関節のポリゴンが、微妙にズレて重なっている一点。
「硬い皮膚なんて斬る必要はない」
着地と同時に、バールの先端をその『ズレ』にねじ込む。
そして、物理法則を無視した角度で、強引に抉った。
――ガギィンッ!!
肉を裂く音ではない。硬質な金属が歪み、システムがエラーを吐くような不快な高音が響き渡る。
リザードが絶叫した。
血は出ない。代わりに、傷口からノイズのような黒い霧が噴き出した。
「な、なに……? 魔法も使わずに……」
ルミナが腰を抜かしたまま、俺を見上げている。
リザードの右前足は、まるで最初から存在しなかったかのように、カクカクと不自然に痙攣し、地面にめり込んでいた。
当たり前だ。俺は今、こいつの『右足の衝突判定』を消したんだから。
「立てるか、お姫様。ショータイムは終わりだ」
「あ、あなた、ランクは……?」
「Fだよ。更新料払ってないからな」
俺はドローンに向かって、わざとらしくあくびをして見せた。
『は? 意味わからん』
『バグ? チート乙』
『運営に通報しました』
『地味すぎて草』
コメント欄が白ける。それが狙いだ。
リザードの光が、少しだけ弱まった。
「いいぞ、もっとつまらなそうにしろ。もっと俺を叩け」
俺は冷めた目で、苦しむリザードを見下ろした。
このダンジョンのボスは、視聴者の『興奮』をHP(ヒットポイント)に変換するシステムを持っている。
だから、俺がやるべきことは一つ。
この配信を、死ぬほど『退屈』なものにすることだ。
第三章 視聴者数ゼロ作戦
「えー、それではこれより、ネオン・リザードの行動パターンの乱数調整について解説します」
俺は淡々とした口調で、講義を始めた。
バールでリザードの攻撃を受け流しながら、まるで大学教授のようなトーンで語り続ける。
「この個体は、視聴者コメントの『草』という文字数に比例して攻撃力が係数1.2倍で増加します。しかし、現在の座標X軸において、テクスチャの読み込み遅延が発生しており――」
ルミナがポカンとしている。
リザードが咆哮を上げ、極大ブレスの予備動作に入る。本来なら、ここで視聴者のボルテージは最高潮に達し、そのエネルギーで街一つが消し飛ぶはずだ。
だが。
『何言ってんだこいつ』
『ねっむ』
『解説とかいらんわ、さっさと倒せ』
『他のチャンネル行くわ』
『ルミナちゃん、こんな奴と絡むのやめて!』
同接数が、ガクンと落ちた。
50万から40万。30万。視聴者が離脱するたび、リザードの口元に集束していた光の粒子が、ボロボロと崩れ落ちていく。
「見てみろ、ブレスの威力が下がってる。これが『過疎化デバフ』だ」
「す、すご……いえ、すごいの? これ」
「すごくない。地味な作業だ」
俺はバールでリザードの顎を小突いた。威力を失ったブレスは、ただの生温かい風となって霧散した。
『うわ、不発w』
『しょぼっ』
『放送事故じゃん』
『解散解散』
視聴者数はついに10万を切った。
リザードの体が、目に見えて縮んでいく。極彩色のネオンカラーが、くすんだ灰色へと褪色していく。
モンスターとしての『格』が、大衆の興味(アテンション)の喪失とともに剥奪されていくのだ。
「さあ、仕上げだ。ルミナ、カメラを切れ」
「えっ? でも、とどめのシーンは配信しないとランキングが……」
「命とランキング、どっちが大事だ!」
俺の怒号に、彼女はビクリと肩を震わせ、慌ててドローンのスイッチを切った。
配信画面がブラックアウトする。
世界から『視線』が消えた。
その瞬間、リザードはただの、ひび割れた石像へと変わった。
「……構造的欠陥、確認」
俺はバールを高く振り上げ、石像の脳天――唯一、ポリゴンが露出している一点に叩きつけた。
パリーンッ!
ガラスが割れるような軽快な音と共に、Sランクモンスターは粉々のデータ屑となって消滅した。
第四章 アンサブスクライブ・エンド
静寂が戻ったスクランブル交差点。
残ったのは、散乱した瓦礫と、ドロップアイテムの小さな結晶だけ。
「あ、あの……ありがとうございました」
ルミナがおずおずと頭を下げる。
俺は懐からヨレヨレのタバコを取り出し、まだ熱を帯びているバールの先端に押し付けて火をつけた。
「礼はいらない。それより、二度とあんな派手な魔法を使うな。バグが増える」
「でも、みんながそれを求めてるから……」
「みんなが求めてるのは、お前の死ぬ瞬間だよ」
紫煙を吐き出しながら、俺は冷たく言い放つ。
彼女は息を呑んだ。
ポケットの中で、スマホが震えた。
ダンジョン管理協会からの通知だ。
『警告:配信盛り上げ義務違反。及び、意図的な配信妨害行為を確認しました。報酬は90%カットされます』
「……へっ、上等だ」
報酬画面に表示された金額は、今日の晩飯代にもなりやしない。
だが、借金取りに追われる日々も、妹の入院費に頭を抱える夜も、この『ザマァミロ』という快感には代えられない。
「行くぞ。次のバグ修正(しごと)がある」
「え、待ってください! お名前は!?」
背後で呼ぶ声を無視して、俺は改札口の闇へと歩き出した。
スマホの画面には、たった一人残った視聴者からのコメントが表示されていた。
『ナイス・キル』
そのIDが、入院中の妹のものであることを確認して、俺は小さく笑った。
世界はまだ、バグだらけだ。
だからこそ、俺のバールはまだ、錆びつくわけにはいかない。
(了)