砕け散った画面の向こう、君の「本当」に触れるまで

砕け散った画面の向こう、君の「本当」に触れるまで

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第一章 空白のプロフィール

クモの巣状にひび割れたスマートフォンの画面。

親指の腹でなぞると、ざらりとした感触が神経を逆撫でする。

圏外。バッテリー残量12%。

この異世界に来てからずっと、この鉄屑は沈黙を守っている。

けれど、俺の視界には「それ」以外が映り込んでいた。

「ねえ、そこの君。一人?」

甘ったるい香水の匂いが、鼻の奥にへばりつく。

カウンターに身を乗り出した女性冒険者が、豊満な胸元をこれ見よがしに強調した。

蠱惑的な笑み。

だが、俺の目に見えるのは、彼女の頭上から噴き出す赤黒いヘドロだ。

どろり、と粘着質な音が聞こえた気がした。

半透明の吹き出しの中で、汚泥のような欲望が渦を巻いている。

『金。借金。カモ。金』

胃液がせり上がってくる。

人の『本音』が視覚化されるこの呪われた目のせいで、俺はいつだって吐き気を堪えている。

「あの、俺……」

「なによ、煮え切らないわね。あんたのID『ユウト』、レアな『転生者』タグが付いてるじゃない」

彼女が空中に浮かぶ青白いウインドウを指弾く。

『ソウルリンク』。

魂の相性を数値化し、運命の相手を見つける魔法のマッチングシステム。

俺の頭上には、皮肉にも高いスコアが表示されているらしい。

俺は視線を逸らし、手元の砕けたスマホを握りしめた。

ガラス片が指に食い込む。

チクリとした痛みが、恐怖で浮き足立つ意識を現実に縫い留める。

「ご、ごめんなさい!」

椅子を蹴るようにして立ち上がり、酒場の奥へと逃げ込む。

心臓が肋骨を叩く音がうるさい。

どこに行っても同じだ。

他人の汚い腹の内が見えすぎて、誰とも繋がれない。

「……君か。システムが『特異点』と警告を出しているのは」

不意に、涼やかな声が熱気を切り裂いた。

顔を上げる。

思考が、凍りついた。

銀色の髪。氷河のように透き通った瞳。

仕立ての良い黒いコートを纏った青年が、俺を見下ろしている。

周囲の喧騒が、彼を中心に切り取られたように遠のいていた。

俺は反射的に、彼の頭上を見る。

いつものヘドロを探す。

「……え?」

ない。

何も、ない。

彼の頭上にあるのは、恐ろしいほどに澄み切った『無』だけ。

俺の目が狂ったのか?

いや、違う。

彼の中には、読み取るべき「人間らしい欲望」が欠落しているのか?

青年は無言のまま、空中の何もない場所を指先でなぞった。

ふわり、と俺たちの周りに見えない壁が張られる。

「カイルだ。君のデータログを見せてもらった」

彼は許可も求めず、俺の目の前の空間を引き裂くようにしてウインドウを展開した。

その手つきは、魔法というより、もっと無機質な――精密機械の操作に似ていた。

「適合率99%超えを連発しながら、誰とも『確定(コミット)』しない。エラーかと思ったが……君の意志か」

「あ、あなたが……管理者、なんですか?」

「管理者?」

カイルは僅かに小首を傾げた。

その瞳の奥に、ちらりとノイズのような光が走る。

「僕はただの調整役だ。このバグだらけの世界を、少しでもマシにするためのね」

彼は興味なさげに目を細めた。

完璧で、美しく、そして決定的に何かが欠けている。

その空っぽの瞳と目が合った瞬間、俺のポケットの中で、死んだはずのスマホが短く震えた。

ブブッ。

画面のヒビの隙間に、文字化けしたテキストが明滅する。

『System Error... 彼の... 孤独を... 』

その瞬間、俺は見てしまった。

カイルの整った仮面の裏で、一瞬だけ――迷子になった子供のような、泣き出しそうな色が明滅したのを。

「君は……何を、探してるんですか?」

俺が震える声で尋ねると、彼は自嘲気味に口角を上げた。

「終わりだよ。傷つけ合うだけの、この愚かなシステムのね」

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第二章 ノイズの向こう側

それから数日、俺はカイルの元に通うようになった。

街外れの廃教会。そこが彼の拠点だった。

「その端末、まだ持っているのか。機能していないだろう」

カイルは空中に展開した無数のコードを指先で弾きながら言った。

彼の指先は、ピアノを弾くように優雅だが、時折ピクリと痙攣するように震える。

「……お守り、みたいなもんです」

俺は砕けたスマホを磨きながら答える。

カイルの周りには、常に膨大なデータの光が雪のように舞っていた。

彼はそれを処理し続けている。

この世界中の人々の「願い」と「絶望」を、たった一人で。

カイルの顔色が、以前より蒼白に見えた。

彼が指を動かすたび、空気が軋むような音がする。

俺の目には見える。

彼を蝕む赤黒いノイズが、指先から腕へと這い上がろうとしているのが。

「カイル、顔色が……少し休んだほうが」

「問題ない。想定の範囲内だ」

彼は俺を見ようともしない。

拒絶。

踏み込ませない壁。

「でも……」

「君には関係ない話だ、ユウト」

冷たい声。

俺は言葉を飲み込んだ。

喉の奥が苦い。

近づきたいのに、近づけない。

彼の『無』の下にある苦痛が見えているのに、俺にはそれを癒やす術がない。

「……帰ってくれ。今日はノイズが酷い」

カイルが背を向けた。

その背中が、あまりにも小さく見えて。

俺は逃げるように教会を出た。

まただ。

俺はまた、一番大切なところで踏み込めない。

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第三章 バグだらけの理想郷

数日後のことだった。

警報音が、脳髄を直接揺さぶるように街中に響き渡った。

『警告。虚無(ヴォイド)の侵食を確認。第三防壁、崩壊』

広場は阿鼻叫喚に包まれていた。

空が割れている。

亀裂から滲み出しているのは、コールタールを煮詰めたような黒い粘液だ。

『愛してたのに』

『死ね』

『裏切ったな』

粘液がボタボタと地面に落ちるたび、耳障りな呪詛が聞こえる。

腐った卵と鉄錆を混ぜたような悪臭が鼻をつく。

「きゃあああ! 私の『リンク』が! 画面が消えない!」

「痛い! やめろ、入ってくるな!」

人々が持っている石板やウインドウが、赤黒く染まっていく。

『虚無』がシステムを逆流し、魂を食らっているのだ。

「……やはり、早かったか」

混乱の中心に、カイルが立っていた。

彼は虚空に向かって両手を広げている。

その体には、無数の光の鎖が巻き付いていた。

「カイル!」

俺は彼に駆け寄ろうとした。

足がすくむ。

怖い。

あの黒い泥に触れれば、俺の精神なんて一瞬で溶かされるだろう。

膝が笑う。歯の根が合わない。

逃げたい。今すぐこの場から逃げ出して、布団被って震えていたい。

『Defect detected... 欠陥... 犠牲...』

ポケットの中で、スマホが高熱を発した。

火傷しそうな熱さが、太ももを焼く。

「来るな、ユウト!」

カイルが叫んだ。

初めて聞く、余裕のない声。

「このシステムには欠陥がある。人の心の醜さを計算に入れていなかった! だから僕が核(コア)となって、全ての汚染を引き受ける!」

「な……っ!」

カイルの体が、光の粒子となって分解され始めていた。

透明だった彼の周囲に、初めて鮮烈な『色』が見える。

それは血のような赤。

自己犠牲という名の、究極の諦め。

「誰も傷つかない世界を作る。そのためなら、僕というバグ一つくらい……!」

彼が目を閉じる。

その表情は、満足げで、そして泣きたくなるほど寂しそうだった。

俺の足が、勝手に動いた。

恐怖で動かないはずの足が、地面を蹴った。

熱い。スマホが熱い。

でも、それ以上に、目の前の男を失うことのほうが、魂が凍るほど怖かった。

「ふざけるなあああ!」

俺は光の粒子になりかけたカイルの腕を、全力で掴んだ。

ジジッ、と肉が焼けるような音がした。

カイルから溢れる膨大なデータが、俺の体にも流れ込んでくる。

「ユウト!? 離せ、君まで消滅するぞ!」

「嫌だ! 離すもんか!」

俺は砕けたスマホを、カイルの顔の前に突き出した。

バキバキの画面が、目潰しのような閃光を放つ。

『Connect... Access Denied... Unlock?』

「あんたの願いは『誰も傷つかない世界』なんかじゃない!」

俺の目から涙が溢れた。

熱風で乾く暇もなく、次々と頬を伝う。

「カイル、あんたが一番、傷つくのを怖がってるだけじゃないか!」

「……黙れ!」

「『一人でも平気』な顔して、本当はずっと寂しかったくせに! 誰かに見つけてほしかったくせに!」

カイルの瞳が見開かれる。

その氷のような瞳が揺らぎ、決壊した。

「君に……君なんかに、何がわかる!」

彼は叫んだ。

いつも冷静沈着な管理者の顔は、もうどこにもない。

そこには、ただの傷だらけの人間がいた。

「知ってるよ! 俺だってそうだ! 画面越しの文字だけで一喜一憂して、勝手に期待して、勝手に絶望して!」

俺は彼の手を握りしめる力を強めた。

骨がきしむほど強く。

「システムなんてどうでもいい! 俺を見ろ、カイル! 数値じゃない、俺自身を!」

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第四章 再接続(リ・コネクト)

黒い津波が、俺たちの頭上まで迫っていた。

鼓膜を破るような絶叫と共に、『虚無』が牙を剥く。

「もう駄目だ……抑えきれない!」

カイルの声が震えている。

俺は彼の手を引き寄せ、自分の胸に押し当てた。

心臓が早鐘を打っているのを、感じてほしかった。

「逃げるな、カイル!」

俺は闇に向かって、ありったけの声で吠えた。

「裏切られるのは痛い! 死ぬほど辛い! でも……!」

手の中のスマホが、限界を超えて振動する。

ガラス片が掌に食い込み、血が滲む。

その痛みが、俺を支えていた。

「傷つくことから逃げるために心を閉ざしたら……それは死んでるのと同じだ! 俺たちは、傷ついても、間違っても、また誰かと繋がりたいんだ!」

ピシッ。

スマホの画面の亀裂から、金色の光が溢れ出した。

それはシステムの青白い光じゃない。

もっと泥臭くて、暖かくて、不格好な――命の色。

『Update... New Protocol: "Trust"』

光が炸裂した。

黒い泥を、金色の奔流が飲み込んでいく。

それは浄化の光ではない。

「痛かったね」「怖かったね」と、全ての負の感情を肯定し、抱きしめるような光だ。

黒い影たちが動きを止める。

彼らの輪郭が溶け、人の形へと戻っていく。

誰もが泣いていた。

そして、憑き物が落ちたような顔で、光の中へと霧散していく。

「馬鹿な……システムを介さず、魂を直接干渉させて……」

カイルが呆然と呟く。

彼を縛り付けていた鎖が砕け散り、生身の重みが俺の腕に戻ってきた。

「言ったろ。俺、空気読むのだけは得意なんだ」

へらりと笑おうとして、俺は膝から崩れ落ちた。

パキン。

手の中で、スマホが粉々に砕け散る音がした。

黒い煙を上げて、その役目を完全に終えたのだ。

「ユウト!」

カイルが俺を抱き留める。

その腕の震えと温もりが、どんな言葉よりも雄弁に真実を伝えていた。

見上げれば、空を覆っていたノイズが晴れ、突き抜けるような青空が広がっていた。

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最終章 画面のない世界で

風が、頬を撫でる。

『エニグマ』の空は、こんなにも高かったのか。

あの日、『ソウルリンク・システム』は完全に崩壊した。

人々は相性値が見えないことに戸惑い、最初は混乱していた。

けれど、広場を見渡せば、不器用ながらも直接言葉を交わす人々の姿がある。

「また、ボケーっとして」

不意に頬に冷たいものが触れた。

カイルが、二つのカップを持って立っている。

以前のような冷徹な仮面はもうない。

少し恥ずかしそうに視線を逸らす、ただの青年だ。

「……ありがとう」

受け取る指先が触れ合う。

ビクリ、と互いに肩が跳ねた。

相変わらず、俺たちはコミュ障だ。

「なぁ、カイル」

「なんだ」

「俺の『能力』、あれから少し変わったんだ」

俺は自分の目を指差す。

勝手に人の願望が文字で見えることはなくなった。

その代わり、相手の目を見て、声を聞いて、深く知ろうとした時だけ、心の奥の灯火のような温もりが感じ取れるようになった。

「君には、僕の心がどう見える?」

カイルが試すように聞いてくる。

俺は彼を真っ直ぐに見つめた。

フィルターを通さず、裸の目で。

そこにあるのは、不安と、期待と、そして静かな信頼の色。

「……言わないよ。言葉にしないと、伝わらないだろ?」

俺の答えに、カイルは一瞬きょとんとし、それから小さく吹き出した。

「君には敵わないな。……ああ、そうだな。僕たちはこれから、何度でも間違えて、何度でも話し合おう」

カイルが手を差し出す。

俺はその手をしっかりと握り返した。

スマホはない。

プロフィール画面もない。

ただ、俺とカイルがいるだけ。

見えない壁はもう、どこにもなかった。

AIによる物語の考察

登場人物の心理:
ユウトは他者の『本音』が見える故に繋がりを恐れるが、カイルの孤独に自分を重ね、彼を救うことで「傷つきながらも繋がること」の価値を見出す。カイルは完璧な調整役として自己を犠牲にしようとするが、その『無』の裏には傷つくことへの恐怖と、誰にも見つけられない孤独が隠されている。

伏線の解説:
ユウトの砕けたスマホは、彼の心の傷とシステム外の可能性を象徴し、最終的にシステムに「信頼」という新プロトコルをもたらす。カイルの頭上の『無』や瞳のノイズ、スマホの文字化けは、彼の人間性の欠落、管理者としての限界、そして奥に潜む孤独を暗示する。

テーマ:
本作は、「傷つくことから逃れるために心を閉ざすことの悲劇性」と、「醜さや弱さも含め互いの『本当』を受け入れ、傷つきながらも繋がり続けることの尊さ」を問いかける。数値や情報に頼らない、人間らしい共感と信頼こそが、バグだらけの世界を再構築する力となることを描く。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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