王冠を棄てたアヴァロン

王冠を棄てたアヴァロン

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第一章 錆びついた羅針盤

腐ったエナジードリンクと、焦げ付いた基盤の匂い。

かつて薔薇の香油とカフスボタンの煌めきに満ちていた私の世界は、たった一夜にして、地下の湿ったゲーミングハウスへと墜落した。

「ここがお前の新しい王宮だ。アルトベルグの元姫君」

紫煙の向こう、eスポーツチーム『ネメシス』のオーナー、カイルが唇を歪める。彼の思考は泥のように濁っていて、読み取ろうとするだけで偏頭痛がした。

私は濡れたコートを脱ぎ捨て、ポケットの重みを確かめる。

真鍮製の古びた羅針盤。

婚約破棄の夜、フリードリヒが私の掌に押し付けた「手切れ金」代わりのガラクタだ。硝子面は曇り、磁針は北を指すことを拒んで、痙攣したように小刻みに震えている。まるで、行き場をなくした私自身のように。

「『王宮』だなんて。ここは処刑場でしょう?」

精一杯の皮肉を込めて唇を持ち上げたが、頬が引きつるのがわかった。

ここでは、私の『読心術』は呪いでしかない。サロンでの腹の探り合いとはわけが違う。秒間数百回のキーストロークを叩き出す選手たちの脳内は、剥き出しの焦燥と、焼けつくような殺意の奔流だ。そのノイズが鼓膜を突き破り、思考を白く塗りつぶしていく。

「姫様には荷が重いな。このチームの連中は、自分の心臓を食わせてでも勝ちたがっている」

カイルが顎でしゃくった先、モニターに向かう選手の背中が、過負荷で悲鳴を上げるファンの音に埋もれていた。

手の中の羅針盤が、カチリ、と硬質な音を立てる。震え続けていた針が、不意にピタリと止まった。北ではない。私の足元――この地下室のさらに深淵を指して。

第二章 血のプロトコル

眼球が乾き、瞬きのたびに砂を噛むような痛みが走る。

仮想空間『アヴァロン』の戦場で、私はまた味方の思考を土足で踏み荒らしていた。

「右翼のタンク、三秒後に恐怖で足が止まるわ。下がって!」

「ふざけんな! 俺の頭の中を覗くな!」

罵声と共にヘッドセットが叩きつけられる。

若きエース、レンの瞳には、敵への闘志ではなく、私への嫌悪が燃えていた。心を読めば読むほど、彼らの「無意識」という聖域を汚してしまう。連携(リンク)どころか、私の存在がノイズとなり、チームの反応速度をコンマ数秒遅らせていた。

逃げるようにログインを切り、深夜のサーバールームへ足を運ぶ。

羅針盤の針は、部屋の隅にある旧式のメインフレームを執拗に指し示していた。磁針が鍵穴のように吸い寄せられ、特定のくぼみにカチリと嵌る。

アナログな施錠が外れ、吐き出されたのは一本のデータログだった。

モニターに映し出された文字列を目で追ううちに、指先の震えが止まらなくなった。吐き気が、胃の腑から喉元までせり上がる。

『プロジェクト・ブルーブラッド。アルトベルグ家DNAにおける神経接続の異常適合率』

それは、私の血そのものを生体パーツとして利用する、禁忌の研究データ。

フリードリヒが私を遠ざけたのは、愛が冷めたからではない。この「実験台」としての運命から、私の身柄を切り離すためだった。あの夜、彼がどんな思いで私に罵声を浴びせ、この羅針盤――真実への鍵を渡したのか。

「……っ、う」

嗚咽が漏れた。愛されていたという安堵ではない。自分の無知への恥辱と、たった一人で泥を被ったあの男へのどうしようもない憤怒で、視界が真っ赤に染まる。

馬鹿な人。守られるだけの姫など、この地下室に来た時とうに死んだのに。

私は涙を袖で乱暴に拭った。もう、誰かの悲劇のヒロインではいられない。

第三章 戴冠なき女王

世界大会グランドファイナル。

重低音が内臓を揺らすアリーナで、対戦相手のチーム『キングス』が整列している。政府主導で強化された彼らの瞳は、感情を去勢された機械のように冷徹だ。

「セレスティーヌ、指揮官(コマンダー)はお前だ」

レンが、ぶっきらぼうに拳を突き出してくる。「だが、俺たちの心を覗くな。俺たちの『腕』を信じろ」

私は深く息を吸い込み、その拳に自分の拳を合わせた。

ヘッドセットを装着する。広がるのは、かつてのような思考の濁流ではない。研ぎ澄まされた静寂。

私は『読心術』の焦点を、味方ではなく、敵の思考の「揺らぎ」だけに絞った。

「座標44、十字砲火。――レン、今のあなたなら届く」

あえて敵の殺意を読み取り、その射線上に我が身を晒す。

囮となった私のアバターが爆散するコンマ一秒前、レンのライフルが火を噴いた。

私の指示ではない。私が作った一瞬の隙を、彼らが本能で嗅ぎ取ったのだ。思考の言語化すら不要な、阿吽の呼吸。

敵の旗艦が轟音と共に崩れ落ちる。

『WINNER』

その文字が浮かんだ瞬間、私はヘッドセットを外し、天井を仰いだ。耳をつんざくような歓声が、遠い潮騒のように聞こえる。

表彰台の光の中、貴賓席の最奥に人影が見えた気がした。

背を向け、去っていく男の影。

追いかけはしない。彼が守ろうとした『か弱き令嬢』はもういないのだから。

私はトロフィーの脇に、あの羅針盤をそっと置いた。

錆びついた針はもう動かない。誰かに指し示されるまでもなく、進むべき道は、この熱を帯びた身体が知っている。

「行こう、セレス」

レンが呼ぶ。

「ええ」

私はアルトベルグの名も、王冠も、過去へ置いていく。

ただのゲーマーとして、まだ見ぬ荒野へ、最初の一歩を踏み出した。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
セレスティーヌは読心術を呪いと捉え、姫として受動的だったが、フリードリヒの自己犠牲的な真意と「ブルーブラッド」の真実を知り、自らの能力を力に変え主体的な「戴冠なき女王」へと成長する。フリードリヒは、罵声と羅針盤で彼女を禁忌のプロジェクトから守ろうとした深い愛と自己犠牲を示した。レンは当初読心術を嫌悪するも、最終的にはセレスティーヌの新たな指揮官としての信頼に応える。

**伏線の解説**
「錆びついた羅針盤」は当初、主人公の心の迷いと「手切れ金」を象徴するが、実はフリードリヒが託した「真実への鍵」。特定のくぼみに嵌ることで「プロジェクト・ブルーブラッド」のデータログを吐き出し、彼の行動の真意を明かす。ラストでは、その役割を終え、主人公が自らの羅針盤を持つに至った象徴となる。

**テーマ**
本作は、己の能力を「呪い」と認識しながらも、真実を知ることでそれを「力」として昇華させ、過去の「王冠」を棄てて自らの道を切り拓く「自己認識と成長」を描く。また、表面的な感情の裏に潜む「真実の愛と自己犠牲」、そして、他者の心を覗かず「信頼」することで築かれる真の連携という哲学を問う。
この物語の「続き」を生成する

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