錆びついた秒針と、君が遺した永遠

錆びついた秒針と、君が遺した永遠

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第一章 止まった時計と雨の訪問者

チク、タク、チク、タク。

世界には、二種類の音しかない。

歯車が噛み合う乾いた音と、それ以外だ。

私の身体(うつわ)を構成する真鍮の心臓は、今日も狂いなく時を刻んでいる。

窓の外は鉛色の雨。

空を覆う分厚い雲は、もう三百年も晴れていない。

「……客か」

錆びついたドアベルが、カランと鳴った。

店に入ってきたのは、ずぶ濡れの小鼠(こねずみ)――いや、人間の子供だ。

煤(すす)けた外套。

栄養失調で落ち窪んだ目。

その瞳だけが、異様なほどギラギラと燃えている。

「ここが、『賢者の墓場』か」

少年が掠れた声で問う。

私はカウンター越しに、義眼のレンズを絞った。

「失礼な呼び名だ。ここは骨董店『アイオーン』。冷やかしなら帰ってくれ。私の燃料(オイル)が勿体ない」

「あんたが、生きた伝説……『鋼鉄の聖女』か?」

「……その名は忘れた」

私は手元の帳簿に視線を戻す。

インクの匂い。

紙の擦れる音。

かつて、あの男が好きだった匂いだ。

「頼む! これを……これを見てくれ!」

少年は懐から、ボロ布に包まれた棒状のものをカウンターに叩きつけた。

布が解ける。

現れたのは、赤茶色に朽ち果てた剣の柄(つか)だった。

刀身は半ばで折れ、装飾も剥げ落ちている。

だが。

私の指先が、微かに震えた。

(……馬鹿な)

内部の冷却ファンが唸りを上げる。

忘れるはずがない。

その柄に刻まれた、下手くそな獅子の彫り込み。

「どこで、これを拾った」

私の声は、意図せず低くなっていた。

「拾ったんじゃない。じいちゃんの、そのまたじいちゃんから……代々受け継いできたんだ。英雄レオンが使っていた、聖剣だって」

英雄レオン。

その名を聞いた瞬間、私の記憶回路(メモリ)から、ノイズ混じりの映像が溢れ出す。

豪快な笑い声。

酒臭い息。

そして、血の海の中で私を抱きしめる、温かい腕。

『いいか、クロエ。お前は生きろ。俺の分まで、ずっとだ』

「……聖剣、か」

私は鼻で笑った。

「ガラクタだ。ただの鉄屑だよ、それは」

「そんなはずない! 村の長老が言ってたんだ! この剣には、世界を救った力が宿ってるって!」

「世界を救った?」

私は立ち上がり、カウンターを回って少年の前に立つ。

身長差は歴然だ。

私の身体は、戦闘用に造られた古代の遺物(アーティファクト)なのだから。

「坊主。外を見てみろ」

窓の外を指差す。

降りしきる酸の雨。

遠くに見える、崩れかけたかつての文明の残骸。

「このザマのどこが、救われた世界に見える?」

「だからだ!」

少年は叫んだ。

「だから、英雄が必要なんだ! 西の森から『灰色の蝕(むしば)み』が迫ってる。このままじゃ、村は全滅だ。あんたなら……英雄の相棒だったあんたなら、この剣の力を引き出せるはずだろ!」

必死な眼差し。

それは、かつてのレオンと同じ色をしていた。

無謀で、愚かで、どうしようもなく眩しい。

私は溜息をつく。

排気口から、白い蒸気が漏れた。

「……ついて来な。少し昔話をしよう。お前が信じている英雄が、どれほどのろくでなしだったかという話を」

第二章 嘘つきたちの神話

店の奥、かつて工房だった部屋。

私はランプに火を灯し、少年――名はレンといった――に椅子を勧めた。

レンは剣の柄を抱きしめたまま、警戒心を解かずに座る。

「レオンは、英雄なんかじゃなかった」

私は淡々と語り始めた。

「あいつは、ただの傭兵崩れだ。金と酒と女が好きで、借金まみれの男だった」

「嘘だ! レオンは魔王を倒して、人間に永遠の繁栄をもたらしたって……」

「魔王?」

私は首を振る。

「そんなものは最初からいなかった。私たちが戦っていたのは、この星の『自浄作用』だ」

レンが目を見開く。

「人間が増えすぎた。文明が星を食い潰し始めた。だから星は、人類を間引きするために『獣』を生み出した。お前たちが魔王と呼ぶのは、その獣の親玉だ」

当時、私は兵器として投入された。

感情などなかった。

任務は殲滅のみ。

だが、レオンは違った。

戦場の中で、彼は私に「名前」をつけ、「服」を着せ、「食事」の真似事をさせた。

『機械に味なんてわからねぇよ』と言う私に、彼は笑って言った。

『味じゃねぇ。雰囲気を食うんだよ。それが生きるってことだ』

「レオンは、星の理(ことわり)をねじ曲げたんだ」

私は自分の胸元、心臓部にあたるハッチに触れる。

「星は、人類を滅ぼして再生しようとした。だがレオンはそれを拒んだ。あいつは、獣の親玉を殺したんじゃない。……封印したんだ」

「封印……どこに?」

私は沈黙する。

雨音が強くなる。

「……この、剣にか?」

レンが恐る恐る、手元の柄を見る。

「違う」

私は立ち上がり、レンの手から剣の柄を取り上げた。

錆びついた鉄の塊。

だが、私の指が触れた瞬間、微かな共鳴音が響く。

「封印の鍵は、これだ。だが、器(うつわ)は違う」

私は上着の前を開いた。

そこにあるのは、皮膚ではなく、複雑に噛み合う歯車と、淡く青い光を放つ結晶体。

「ここにある」

レンが息を呑む。

「私の動力炉(ハート)。これが、あいつが封印した『星の怒り』そのものだ」

五百年前。

レオンは選択を迫られた。

私(クロエ)が壊れて機能停止するか、星のエネルギーを私に埋め込んで、私を永遠に生かすか。

その代償として、世界は枯れる。

星の循環(マナ)を、私が独占して生き続けるのだから。

「あいつは、世界を売ったんだよ。たった一体のポンコツ人形を救うためにな」

私は自嘲気味に笑った。

「それが、お前の憧れた英雄の正体だ。世界がこうして灰色に沈んでいるのは、私が生きているからだ。……どうだ? 殺したくなったか?」

レンは震えていた。

怒りか、絶望か。

彼は俯き、拳を握りしめる。

「……それでも」

絞り出すような声。

「それでも、じいちゃんたちは言ってた。レオンは、誰よりも優しかったって。世界を売ったとしても……あんたのことが、大事だったんだろ」

予期せぬ言葉に、私の思考回路が一瞬フリーズする。

「それに、今、村のみんなが死にかけてるのも事実だ! 過去のことなんてどうでもいい! あんたがそのエネルギーを持ってるなら、それを使って『灰色の蝕み』を止められないのか!?」

「……できるわけがない。これを使えば、封印が解ける」

「じゃあ、どうすればいいんだよ!」

レンが叫んだその時。

ドォォォォン!!

地響きと共に、店が激しく揺れた。

棚から骨董品が落ち、砕け散る。

「来たか……」

私は窓の外を睨む。

雨の向こうから、灰色の触手が、波のように押し寄せてきていた。

第三章 錆びついた愛の証明

「逃げろ、レン!」

私はカウンターを飛び越え、壁に飾ってあった長銃を手に取った。

「『灰色の蝕み』だ! 店ごと飲み込まれるぞ!」

触手が窓を突き破る。

ガラスの破片が散乱する中、私は引き金を引く。

轟音。

魔力弾が触手を吹き飛ばすが、すぐに再生し、増殖していく。

「くそっ、キリがない!」

これはただの怪物ではない。

世界そのものの「修正力」だ。

私が存在する限り、世界は私を排除しようと追いかけてくる。

「クロエさん! 裏口から!」

レンが扉を蹴り開ける。

私たちは泥濘(ぬかる)んだ路地へと飛び出した。

雨が冷たい。

身体の関節部が軋む。

「はぁ、はぁ……」

レンの足が止まる。

路地の出口。

そこは既に、灰色の壁によって塞がれていた。

「終わりだ……」

レンが膝をつく。

全方位からの包囲。

逃げ場はない。

私は銃を構え直すが、エネルギー残量は残りわずかだ。

(ここまで、か)

五百年の旅。

レオンが無理やり繋ぎ止めた、私の命。

ただ記録するためだけに生きた、空虚な時間。

『クロエ、お前は笑え』

最期に彼はそう言った。

でも、私は一度だって心から笑えたことなど……。

ふと、レンの姿が目に入った。

恐怖に震えながらも、彼はあの錆びついた剣の柄を握りしめている。

守ろうとしているのだ。

自分ではなく、誰かの想いを。

「……まったく。人間ってやつは」

非合理的だ。

計算が合わない。

損得勘定ができていない。

だからこそ。

「……愛おしいのか」

カチリ、と私の内部で何かが切り替わる音がした。

安全装置解除。

動力炉(ハート)への直結回路を開く。

「レン、その剣の柄を貸せ」

「え?」

「いいから寄越せ!」

私は柄をひったくると、それを自分の胸のハッチに押し当てた。

「何をする気だ!?」

「返還手続きだ」

私はニヤリと笑った。

レオンの真似をして。

「この動力炉は、もともと星のものだ。私が独り占めしていた時間を、世界に返してやる」

「それって……あんたは死ぬってことか!?」

「ただの人形に戻るだけだ」

「やめろ! そんなの、レオンが望んでない!」

「いいや、あいつならこう言うさ」

私は目を閉じる。

瞼の裏に、あの日の夕焼けが浮かぶ。

『クロエ、もし俺がいなくなって……いつかお前が、誰かのために死にたいと思える日が来たら』

『その時は、迷わず行け。それがお前の、本当の命の始まりだ』

……ああ、そうか。

レオン。

あなたは、この瞬間のために私を生かしたのか。

私が「心」を獲得する、この瞬間まで。

「……システム、全開(フルドライブ)」

私の胸から、眩い青い光が迸(ほとばし)る。

錆びついた剣の柄が光を吸い込み、失われた刀身を、光の刃として形成していく。

「うおおおおおおお!!」

私は叫ぶ。

溢れ出すエネルギー。

周囲の灰色の触手が、光に触れて浄化され、緑の蔦へと変わっていく。

雨が止む。

雲が割れる。

三百年ぶりの陽光が、廃墟の街に降り注ぐ。

「見ろよ、レン」

私の視界が、ノイズで白く染まっていく。

「世界は……こんなにも綺麗だったんだな」

身体が動かない。

指先の感覚が消える。

でも、不思議と怖くはない。

胸の奥が、熱い。

これが、魂か。

これが、愛か。

「クロエさん! クロエさん!!」

遠くなる少年の声。

私は最後に、最高の笑顔を作ろうとした。

頬の筋肉が動いたかどうかは、わからない。

ただ、チク、タクという時計の音が止み、代わりに小鳥のさえずりが聞こえた気がした。

最終章 継承される意思

「いらっしゃいませ」

澄み渡る青空の下。

緑に覆われた骨董店『アイオーン』に、今日も客が訪れる。

「ここが、英雄クロエの眠る店か?」

「はい。ここは彼女が愛し、守った場所です」

青年になったレンは、カウンターを磨きながら微笑んだ。

店の奥、特等席の椅子には、美しい自動人形(オートマタ)が座っている。

その瞳は閉じられ、二度と開くことはない。

だが、その表情は穏やかで、まるで幸せな夢を見ているようだ。

彼女の膝の上には、一本の花が置かれている。

かつて、彼女の命と引き換えに蘇った大地に咲いた、名もなき青い花。

「彼女は死んだんじゃない」

レンは客に語りかける。

「ただ、長い長い旅を終えて、大好きな人の元へ帰っただけなんです」

風が吹き抜ける。

店内の時計たちが、一斉に時を刻み始めた。

チク、タク、チク、タク。

それは、新しい時代を告げる、希望の鼓動だった。

AIによる物語の考察

【クロエ】 本質は「記録媒体」であり、感情を持つことはバグとして処理されるはずだった。しかし、英雄レオンの不器用な愛情により、ノイズとして「心」が芽生える。彼女の長寿はレオンのエゴによるものだが、彼女自身はその呪縛を「愛」として受け入れていた。最後に自己犠牲を選んだのは、プログラムされた命令ではなく、彼女自身の意志による最初で最後の選択だった。 【レオン(回想)】 典型的だが憎めない、女好きで酒好きの英雄。しかしその本質は、世界すべてを敵に回してでも、たった一人の大切な存在(クロエ)を守り抜こうとした、究極の個人主義者でありロマンチスト。彼の「わがまま」が、500年後の世界を救う種となった。
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あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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