第一章 0%の幼馴染
「また、0%か」
教室の窓際、俺は小さく息を吐き出した。
視線の先には、購買の焼きそばパンを口いっぱいに頬張る少女、一ノ瀬アカリがいる。
ショートカットの髪が、初夏の風に揺れていた。
元気だけが取り柄。家が隣。腐れ縁。
いわゆる「幼馴染」というやつだ。
そして、彼女の頭上には、無慈悲なデジタルフォントが浮かんでいる。
『攻略確率:0.00%』
俺、九条ミナトには、他人の「結ばれる確率」が視える。
この世界が一種の物語(シナリオ)に沿って動いていることに気づいたのは、三年前だ。
「んぐっ……ミナト! 水、水ちょうだい!」
アカリが喉を詰まらせて、俺の机に突っ込んでくる。
俺は無言で水筒を差し出した。
「ぷはーっ! 生き返ったぁ。サンキュ、ミナト」
ニカっと笑うその笑顔は、ひどく無防備で、愛らしい。
だが、数字はピクリとも動かない。
0%。
これは、この世界の理(ルール)が定めた絶対的な拒絶。
「負けヒロイン」という烙印。
「……食い過ぎだぞ、アカリ」
「いいの! 私は色気より食い気担当だから!」
彼女は知らない。
自分が、物語のスパイスとして消費されるだけの存在だと。
主役が真のヒロインと結ばれるための、噛ませ犬だということを。
キーンコーン、と予鈴が鳴る。
教室の空気が一変した。
ざわめきが止まる。
扉が開く。
「転校生を紹介します」
担任の声と共に現れたのは、銀髪の美少女だった。
透き通るような肌。憂いを帯びた瞳。
教室中の男子が息を呑む音が聞こえる。
彼女、エリシア・ローズブレイド。
その頭上に輝く数字を見て、俺は絶望した。
『攻略確率:100%』
運命(シナリオ)の強制力。
俺の意思に関係なく、物語は俺と彼女を「結ばせよう」としている。
第二章 抗うためのバグ
「ミナト君、教科書を見せてくれないかしら?」
放課後。
エリシアが俺の隣に立っていた。
甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。
「……どうぞ」
机を寄せる。
その瞬間、窓の外で雷が鳴った。
典型的な「吊り橋効果」イベントの発生。
(くだらない)
俺は心の中で毒づく。
エリシアが悪いわけではない。彼女もまた、役割を演じさせられている被害者だ。
だが、俺の心臓は高鳴らない。
俺の視線は、教室の隅で一人、掃除用具を片付けているアカリに向いていた。
アカリは、俺たちを見ていない。
いや、見ないようにしている。
背中が微かに震えていた。
『確率変動:なし』
システムの表示は冷酷だ。
どれだけ俺がアカリを想っても、世界はそれを「ノイズ」として処理する。
俺は立ち上がった。
「ごめん、エリシアさん。用事を思い出した」
「え? でも、外は雨が……」
「濡れて帰るよ」
俺は鞄を掴み、アカリの元へ歩み寄る。
シナリオを無視する行為。
視界の端で、赤い警告灯のようなノイズが走り始めた。
『警告:進行ルート逸脱』
うるさい。
知ったことか。
「アカリ、帰るぞ」
「えっ……でも、転校生ちゃんと……」
「いいから」
俺はアカリの手首を掴んだ。
その手は、冷え切っていた。
廊下に出る。
世界が軋む音がする。
雨音が不協和音のように歪み、背景の校舎がちらついている。
「ミナト、離して! おかしいよ、いつもなら、ここでミナトは……」
アカリが足を止めた。
その言葉に、俺は違和感を覚える。
「……いつもなら?」
アカリが顔を上げた。
その瞳には、いつもの明るさはなかった。
深く、暗い、諦念の色。
「……気づいてないと思った? ミナト」
彼女の頭上の数字が、バグったように点滅を始める。
「私たちがこの『第一章』を繰り返すの、もう99回目だよ」
第三章 0%の向こう側
時が止まった。
いや、俺の思考が停止した。
「……記憶が、あるのか?」
「あるよ。全部」
アカリは自嘲気味に笑った。
「ミナトがエリシアちゃんと結ばれて、エンドロールが流れて……そしたら、また入学式に戻る。その繰り返し」
彼女は俺の手を振りほどいた。
「この世界はね、ミナトが『運命のヒロイン』と結ばれるまでの物語なの。だから、結ばれた瞬間に終わる。完成しちゃうの」
アカリは一歩下がる。
「私は、負けヒロイン。ミナトに選ばれない役。……だからこそ、物語が終わっても、次のループに『持ち越される』舞台装置」
彼女の頭上の『0%』。
それは、勝利の可能性の欠如ではなかった。
システムからの保護色。
物語に取り込まれないための、唯一の安全地帯。
「私がミナトを好きになればなるほど、確率は0に固定される。そうしないと、ミナトという存在自体が、エンドロールの彼方に消えちゃうから」
彼女は泣いていた。
99回のループ。
その全てで、俺が他の誰かと結ばれるのを、一番近くで見届けてきたのか。
俺を、この世界に繋ぎ止めるために。
「だから、あっちに行って。エリシアちゃんと幸せになって。そうすれば、また会えるから。……記憶のない私と、また幼馴染になれるから」
「ふざけるな」
俺は叫んだ。
世界の歪みが加速する。
天井が抜け落ち、空には巨大なエラーコードが走っている。
「終わりと始まりを繰り返すだけの永遠なんて、いらない」
俺はアカリを抱きしめた。
「ミナト、だめ! システムが壊れちゃう!」
「壊せばいい。物語(シナリオ)なんて、ここでおしまいだ」
俺は、目の前の「0%」を見つめる。
違う。
これは確率じゃない。
これは、予定調和への抵抗値だ。
「好きだ、アカリ。99回のハッピーエンドより、お前との泥臭い続き(エピローグ)を生きたい」
システムが絶叫する。
警告音が鼓膜を破らんばかりに鳴り響く。
だが、俺の腕の中にある温もりだけは、確かにリアルだった。
パリン、と何かが割れる音がした。
アカリの頭上の数字が、ガラスのように砕け散る。
0でも、100でもない。
測定不能の未来。
「……ばか」
アカリが俺のシャツを握りしめ、顔を埋めた。
「もう、どうなっても知らないからね……っ」
崩壊する教室の中で、俺たちは初めて、誰のものでもないキスをした。
物語は終わらない。
ここからが、俺たちの本当の人生(ゲーム)だ。