聖女の断罪配信 ~全人類、共犯者につき~

聖女の断罪配信 ~全人類、共犯者につき~

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第一章 監獄塔の魔女

生ぬるい汚泥のような臭いが、鼻腔にこびりついて離れない。

湿った石床に這いつくばり、私は喉の奥からせり上がる嗚咽を飲み込んだ。

右腕を見る。

かつて白磁のようだと称えられた肌は、いまやコールタールをぶちまけたように黒く変色している。

ズズ、と皮膚の下で何かが蠢いた。

まるで無数の蛆虫が血管を食い破りながら行進しているようだ。

「……ッ、ぁ」

激痛に爪を立てる。

皮膚が裂け、黒い粘液が滲んだ。

これが、私が民衆から吸い上げた「罪」の質量だ。

腐った肉の味と、耳鳴りのような罵詈雑言が、絶えず脳内を犯し続けている。

カツン、と硬質な音が響いた。

鉄格子の向こうに、影が立つ。

「…………」

男は何も言わない。ただ、格子越しに小さな包みを押し込んでくる。

元近衛騎士、レイド。

かつて王宮で最も華やかだった彼の軍服は、泥と血で薄汚れ、袖口は擦り切れていた。

左腕が不自然に垂れ下がっている。

ここに来るために、どれだけの検問を強行突破したのか。

彼は震える手で、固い黒パンを指し示した。

「……食え。エルセ」

声が枯れている。

私は口の端についた粘液を拭い、精一杯の笑みを浮かべようとした。

「平気よ。こんなところ、意外と快適だわ。ダイエットにもなるし――」

バチヂィッ!!

脳髄に焼きごてを突き刺されたような衝撃。

視界が赤く明滅し、私は激しく喀血した。

「ガハッ……! ぁ、あぁ……ッ!」

喉が焼ける。

嘘をついた代償だ。

私の神経は、少しでも心にもないことを口にすると、自壊するように呪われている。

レイドが弾かれたように格子を掴んだ。

鉄がきしむ音がする。

彼は悲痛な目で、のた打ち回る私を見つめている。

その瞳が語っていた。

(もういい。もう喋るな)

廊下の奥から、看守たちの下卑た笑い声と、ラジオのノイズが漏れ聞こえてくる。

『――明日の正午、聖女エルセの公開処刑! 断罪エンターテインメント、絶対に見逃すな!』

『王太子殿下の神聖魔法で、魔女を浄化! スポンサーは教皇庁!』

レイドが拳を壁に叩きつけた。

ドン、と鈍い音が響き、彼の拳から血が滴る。

「……連れて行く」

彼は剣の柄に手をかけた。

私をここから逃がすつもりだ。

たとえ、その身がミンチになろうとも。

「馬鹿ね……」

私はパンを手に取り、瓦礫の山から「それ」を引きずり出した。

黒曜石の円盤。古代遺物『断罪の黒鏡』。

王太子たちが血眼になって探している証拠品は、私の吐瀉物と藁の山の下に隠してあった。

「いいえ、レイド。逃げないわ」

黒鏡の表面を、ドロドロに溶けた指先でなぞる。

私の体に蓄積された膨大な「罪」が、熱を帯びて脈打ち始めた。

「最高のステージが用意されているんですもの。主役が遅刻しちゃ、興ざめでしょう?」

レイドの目を見る。

言葉はいらない。

私の覚悟を悟った彼は、静かに剣から手を離し、代わりに懐から小さな通信石を取り出した。

王都の全回線を傍受するための違法改造品だ。

彼はニヤリと笑った。その表情だけは、昔の悪ガキのままだった。

「……特等席は確保してある。派手にやれ」

第二章 炎上の空

「殺せ! 魔女を殺せ!」

「俺たちの税金を返せ!」

「王太子殿下万歳!」

王都の中央広場は、狂気じみた熱狂に包まれていた。

上空には巨大な魔法スクリーンが浮かび、処刑台の様子を多角的に映し出している。

純白の軍服に身を包んだ王太子が、優雅に手を振った。

その隣で教皇が祝詞をあげるたび、民衆が掲げた「信仰端末」から光の粒子が立ち上り、王太子の体へと吸い込まれていく。

圧倒的な輝き。

対して、処刑台に引きずり出された私は、汚物にまみれたボロ雑巾だ。

「罪深き魔女エルセよ」

王太子が、マイク魔法で増幅された美声を響かせる。

「君が横領した支援金、そして聖女の地位を利用して行った数々の不貞……。すべては、この聖なる炎で浄化される!」

歓声が轟音となって鼓膜を叩く。

私は、懐に隠した黒鏡を握りしめた。

体中の痣が、沸騰したように熱い。

血管の中を流れるのは血液ではない。他人の罪悪感、嫉妬、憎悪という名の汚泥だ。

――接続(アクセス)。

ブツンッ。

世界中の音が消えた。

上空のスクリーンが、砂嵐のようなノイズに覆われる。

華やかなファンファーレが、耳障りな不協和音に変わった。

『あー、あー。テステス。聞こえてるかしら、愚民ども』

スクリーンジャック。

そこに映し出されたのは、ドロドロに崩れた顔で笑う、私のドアップだ。

広場が凍りつく。

『さあ、答え合わせの時間よ。王太子殿下?』

私は黒鏡を通して、自分の中に蓄積された「特定のデータ」を解放した。

映像ではない。

「感覚」の共有だ。

ドクンッ。

広場にいる数万人の心臓が、同時に跳ねた。

彼らの脳内に、直接流れ込む感覚。

柔らかい肉を踏み潰す感触。

骨が砕ける音。

そして、その瞬間に湧き上がる、どす黒い快感と優越感。

それは、王太子がスラムの孤児を馬車で轢き殺した時の「生」の感覚だった。

「ひっ……!?」

「な、なんだこれ……気持ち悪っ……!」

民衆が口元を押さえる。

だが、王太子は即座に反応した。

「騙されるな!!」

彼は光り輝く剣を掲げ、凛とした声で叫んだ。

「これは魔女の幻術だ! 精神干渉魔法だ! 彼女は君たちの脳を汚染しようとしている! 光を掲げよ! 信仰心で悪夢を払うのだ!」

なんて見事な演説。

さすがは王家の血筋、騙すことにかけては天才的だ。

民衆の目に、再び狂信の光が宿る。

「そうだ……幻覚だ!」

「魔女に負けるな!」

光の粒子が再び集まり始め、王太子の剣が太陽のように輝く。

彼は勝利を確信した笑みを私に向け、剣を振り下ろそうとした。

甘い。

『幻覚? いいえ、これはただの“履歴(ログ)”よ』

私は笑う。

血の混じった唾を吐き捨て、さらに深く、黒鏡へ魔力を注ぎ込んだ。

『そんなに彼が好きなら、彼の“味覚”も味わってみなさいよ』

第二波。

今度は、教皇と王太子が密談しながら味わっていた、極上のワインと人肉のステーキの味。

そして、その肉が「誰」であったかを知っている彼らの、背徳的な興奮。

腐臭。

鉄の味。

脂ぎった欲望。

「オ……ェッ……!!」

最前列にいた熱心な信者が、その場に崩れ落ちて嘔吐した。

連鎖反応は止まらない。

生理的な嫌悪感は、どんな巧みな演説でも誤魔化せない。

「ち、違う! これは!」

王太子が叫ぶが、もう誰も彼を見ていない。

彼に向かっていた光の粒子が、汚い泥のような色に変わっていく。

『イイネが減ってるわよ? もっと笑って?』

私が囁くと、王太子の顔が恐怖で歪んだ。

魔法による浮力が失われ、彼は無様に尻餅をつく。

ざまあみろ。

そう思った瞬間、私の左目が破裂した。

「ぐ、ぁああああ!!」

限界だ。

これだけの罪を垂れ流せば、私の体が持たない。

だが、まだ終われない。

『さあ、次は誰? 教皇様? それとも、そこで石を投げているあなた?』

私は血走った右目で、広場の群衆を睨みつけた。

第三章 チャンネル登録解除

「ギギ……ギギギギギ……!!」

地響きと共に、王城の尖塔がへし折れた。

空間が裂け、そこから赤黒い肉塊が溢れ出してくる。

巨大な眼球と触手の集合体。

この国が信仰してきた「神」の正体であり、人々の負の感情を餌にする高次元寄生体。

「素晴らしい……! 素晴らしいぞエルセ!」

教皇が狂ったように両手を広げた。

彼の背中から、蜘蛛のような足が生え始めている。

「民衆の疑念、嫌悪、そしてお前への殺意! この混沌こそが、神を現世に降ろす最高のゆりかごなのだ!」

怪物が咆哮した。

その衝撃波だけで、広場の半分が吹き飛び、逃げ惑う人々が赤い霧に変わる。

「ああああ! 助けてくれ!」

「神様、なんで!?」

『助けて? ふざけないで』

私はふらつく足で立ち上がる。

レイドが駆け寄り、私を支えようとしたが、私はそれを手で制した。

『あなたたちが育てたのよ。誰かを妬み、足を引っ張り、安全圏から石を投げて楽しんでいた、その醜い心が! こいつのエサだったのよ!』

怪物が私を見る。

その無数の瞳が、私の体内に残る「罪」を貪ろうと狙っている。

私こそが、最大の爆弾だ。

レイドが剣を抜き、私の前に立つ。

「俺が時間を稼ぐ。逃げろ、エルセ」

背中が震えている。

勝てるわけがない。相手は神だ。

でも、彼は一歩も引かない。

「……ねえ、レイド」

私は彼の背中に額を押し当てた。

汗と、鉄と、泥の匂い。

私の大好きな匂い。

「ありがとう。でも、私、最後に一つだけワガママ言うわ」

「なっ――」

私は彼を突き飛ばした。

そして、黒鏡を逆手に持ち、自分の心臓へと切っ先を向ける。

『全人類、強制共有(シェア)!!』

迷わず、突き刺した。

「ガハッ……アアアアアアッ!!」

心臓が破裂する痛みと共に、私の中に封じ込めていた「全世界の罪」が解凍される。

王都だけじゃない。

世界中の人間が、隠し、目を逸らし、忘れていた罪悪感。

それら全てを、増幅して解き放つ。

バシュゥゥゥンッ!!

黒い衝撃波が世界を包み込んだ。

「ぐ、あああああ!」

「やめろ、見せるな! 俺じゃない!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!」

広場の民衆が、王太子が、教皇が、一斉に頭を抱えてのた打ち回る。

脳内に蘇る、自分が誰かを傷つけた瞬間の記憶。

その時の相手の痛み。悲しみ。絶望。

それらが我がことのように襲いかかる。

そして、それは「神」にとっても猛毒だった。

「ギャ、アアアアアア!?」

怪物が身を捩る。

彼が好むのは「他者への憎悪」だ。

だが今、世界を満たしているのは「自己嫌悪」。

自分自身を許せないという、内側へ向かう負の感情は、寄生体を内側から腐らせる。

神の体がドロドロに溶け出し、崩壊していく。

信仰システムという名のサーバーがダウンしたのだ。

光が消える。

魔法が消える。

私の体も、灰のように崩れていく。

視界が白い。

最後に見たのは、必死に手を伸ばすレイドの、泣きそうな顔だった。

ああ。

そんな顔、しないでよ。

嘘つきの魔女には、似合わないわ。

最終章 名もなき風

窓を開けると、潮騒が聞こえた。

魔法のない風は、少し乾燥していて、肌に心地よい。

小さな漁村の、粗末な小屋。

私は鏡の前に座り、自分の顔を触る。

痣はない。魔力もない。

ただの、そばかすのある平凡な女の顔だ。

あの日、世界は変わった。

人々は魔法を失い、代わりに「痛み」を知った。

誰かを傷つけようとすると、吐き気を催すほどの共感痛が走るようになったのだ。

争いは激減し、世界は退屈で、平和になった。

「……おい。いつまで鏡を見てるんだ」

背後から、ぶっきらぼうな声。

レイドが網の修理をしながら、呆れたようにこちらを見ている。

騎士の剣は釣り竿に変わり、英雄の顔は日焼けして精悍さを増していた。

「見てたのは鏡じゃないわ。あなたの背中よ」

「は? ずっと鏡を見てただろ」

「ううん。鏡越しに、あなたを見てたの。かっこいいなあって」

私は振り返り、にっこりと笑う。

レイドは真っ赤になって、手元の網を強く握りしめた。

「……お前、また嘘を」

「痛くないもの」

私は胸に手を当てる。

嘘をついても、もう焼けるような痛みはない。

でも、胸の奥が温かくなるのは、どうしてだろう。

「愛してるわ、レイド」

彼は口をパクパクさせて、それからふいと顔を背けた。

耳まで赤い。

「……飯にするぞ。魚が焼けた」

「はいはい」

私は立ち上がり、愛しい人の隣へ歩み寄る。

チャンネル登録者数ゼロ。

視聴者ゼロ。

この静かで、退屈で、愛おしい世界が、私のハッピーエンドだ。

AIによる物語の考察

【深掘り解説:聖女の断罪配信】

エルセの真の動機は、自己犠牲による「人類の強制的な覚醒」です。彼女は民衆から吸い上げた醜い罪を一人で抱えるのではなく、自らの死をもって世界に「共有(シェア)」し、他者の痛みを物理的に感じる体質へと人類を作り変えました。

伏線の白眉は、冒頭から語られる「嘘をつくと自壊する呪い」です。これは聖女という偶像に縛られた不自由さの象徴でした。最終章でレイドに「愛してる」と告げても痛みが生じない描写は、彼女がシステムとしての役割を終え、ようやく一人の人間として心を取り戻したことを鮮やかに示しています。

本作のテーマは「無自覚な加害性への対峙」です。安全圏から石を投げる観衆に対し、エルセは「全人類、共犯者につき」という言葉通り、逃げ場のない自省を促しました。神や魔法という欺瞞を排し、痛みを分かち合うことでしか得られない、残酷で優しい平和の形を問いかけています。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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