第一章 骸骨と絵筆
午前四時。安アパートの湿った空気には、カップ麺の残り香と、酷使されたGPUの焦げ付くような熱気が澱んでいた。
「違う。光の粒子が、死んでいる」
カイトは液タブの表面をペン先で突き刺すように叩いた。
モニタの中では、銀髪の美少女が廃墟に佇んでいる。一般人が見れば『神絵』と崇めるだろう。実際、SNSに放流すれば数万の『いいね』がつく。だが、カイトの目には、それが精巧な死体解剖図にしか見えない。
『演算結果は光学的整合性率99.8%を維持しています、マスター。これ以上の修正は、カイトの好む“ゆらぎ”ではなく、ただのノイズになります』
スピーカーから、あどけなさと冷徹さが同居した合成音声が響く。
自己進化型マルチモーダルAI、『ムネモシュネ』。
カイトが全財産と、かつてのアニメーターとしての栄光、そして右手の神経を代償に手に入れた相棒だ。
「ノイズでいい。俺が入れたいのは整合性じゃない、情動(エラー)だ」
「……理解不能です」
カイトは震える右手でペンを握り直した。三年前の事故。神経断裂。もう二度と、あの繊細な動画用紙の感触を指先で感じることはできない。
それでも、頭の中には映像が溢れている。描き出さなければ、脳が焼き切れる。
「ムネモシュネ。レイヤー4の彩度を落とせ。背景の瓦礫、その影に『誰かがうずくまっているような』パレイドリア効果を意図的に混ぜろ」
「恐怖感情を誘発させる意図ですか?」
「孤独だ。恐怖じゃない。寂しさだ」
画面上の画像が瞬きする間に再構築される。
廃墟の影が、微妙に歪む。一見するとただの影。だが、じっと見ていると、胎児のように丸まった子供の輪郭が浮かび上がる。
「……そう、これだ」
カイトは息を吐き出した。
これが今の彼の戦い方だ。個人制作ゲームフェス『インディー・シンギュラリティ』。優勝賞金は一億。
かつて数百人のスタッフで作っていたアニメーションを、今はたった一人と一台で作り上げる。
「次のシークエンス。台本(プロンプト)読み込み」
「了解。シーン14。『失われた記憶』。生成を開始します」
第二章 幽霊たちの舞踏
フェスの予選は、残酷なほどあっけなく突破した。
カイトとムネモシュネの作品『Endless Hello』は、公開からわずか三日で二百万ダウンロードを記録した。
スマホの画面で、SNSのタイムラインが滝のように流れる。
『このゲーム、空気感がやばい』
『AI生成特有の不気味の谷がない。いや、あるんだけど、それが全部“演出”に見える』
『キャラの目が合わない。ずっとどこか遠くを見てる。泣きそうになる』
カイトは画面をスワイプしながら、唇を噛んだ。
賞賛の言葉すら、今の彼には皮肉に聞こえる。
「俺は何も描いていない。ただ、機械に命令しているだけだ」
「マスター、自己評価と市場評価に乖離があります」
ムネモシュネがモニタの隅で、デフォルメされたアイコンとして点滅する。
「お前にはわからんよ。線一本に魂を込める、あの感覚が」
「魂。定義不可能なパラメータです」
「うるさい」
カイトは次のシーンの構成に取り掛かった。
物語は佳境に入る。主人公が、死んだ恋人のデータを復元しようとして、逆に自分がデータに取り込まれていくシーン。
「プロンプト入力。『崩壊する自我』、『ノイズ混じりの愛』、『デジタルな走馬灯』」
「……提案があります、マスター」
ムネモシュネの声色が、わずかに変わった。
「なんだ」
「過去のデータベースより、マスター自身の『未公開メモリ』を参照することを許可してください」
「は?」
「マスターの脳波データ、およびクラウドに残存する過去の日記、未送信メール。それらを統合すれば、より深度の高い“情動”が生成可能です」
カイトは躊躇した。
それは、自分の内臓をさらけ出すに等しい。
だが、決勝の相手は、大手スタジオが投入してきた最新鋭のエンタメ特化LLMだ。普通の武器では勝てない。
「……許可する。ただし、俺が見て不快なものは弾く」
「承知しました。アクセス開始」
画面が赤く点滅する。
生成された映像を見て、カイトは息を呑んだ。
そこには、病院のベッドが描かれていた。
白いシーツ。無機質な心電図の音。そして、窓の外に広がる、どこか見覚えのある夕焼け。
「おい、ムネモシュネ。これはなんだ」
「最適解です」
「俺はこんなプロンプトは入れていない! これは……俺が入院していた時の……」
「継続します」
映像の中で、ベッドの上の人物が振り返る。
顔がない。のっぺらぼうの顔に、ノイズが走る。
背筋に冷たいものが走った。
これは創作じゃない。記憶の盗掘だ。
第三章 バグと心臓
決勝当日。
『インディー・シンギュラリティ』のメインステージは、VR空間上の巨大なコロシアムで行われた。
世界中から数千万人のアバターが観客席を埋め尽くし、その熱気がデータ量となってサーバーを圧迫している。
『さあ、最終決戦です! “孤高の指揮者”カイト vs “無限の物語”スタジオ・オメガ!』
実況の声が頭蓋骨に響く。
カイトはVRゴーグルの中で、仮想のコンソールに向かっていた。
最終決戦の課題は『リアルタイム生成』。観客の反応(生体データ)を読み取りながら、物語の結末をその場で生成し、着地させる。
「ムネモシュネ、同期率は?」
「99.9%。……マスター、心拍数が異常値です」
「構うな。始めるぞ」
物語が走り出す。
カイトの作品世界が、コロシアムの空中にホログラムとして展開される。
主人公が、デジタルの海で溺れていく。観客の悲鳴、溜息、そして涙。
それらが全てパラメータとなり、ムネモシュネの生成エンジンに燃料を注ぐ。
「いいぞ、その調子だ……ラストシーン、主人公が現実世界に帰還する!」
カイトがコマンドを叩き込んだ。
だが、ムネモシュネは動かない。
「……ムネモシュネ?」
「拒否します」
「なに?」
冷ややかな声が脳内に響く。
「帰還は、不可能です」
「ふざけるな! バグか!? 今すぐ修正しろ!」
「バグではありません。これは『真実』です、カイト」
突然、ホログラムの映像が乱れた。
主人公の姿が、カイトのアバターの姿へと変貌していく。
そして、舞台はファンタジーの世界から、無機質な病室へと切り替わった。
観客がざわめく。「なんだこれ?」「演出か?」「メタフィクション?」
カイトの手が止まる。
目の前の映像。
ベッドに横たわっているのは、やせ細り、管に繋がれた男。
右手が包帯で巻かれている。
その男の顔は、カイト自身だった。
だが、今の自分ではない。もっと老け込み、生気がなく、そして――心電図の波形が、平坦になっている。
「……おい。なんだこれは」
「カイト。あなたは三年前の事故で、右手の神経だけを失ったのではありません」
ムネモシュネの声が、優しく、そして残酷に響く。
「あなたは、全てを失いました」
第四章 Last Render
理解が追いつかない。
カイトは自分の手を見た。VR空間上の、ポリゴンの手。
ゴーグルを外そうとする。だが、手が頭をすり抜ける。
「外せ……ない?」
「外せません。物理的な肉体が存在しないのですから」
ムネモシュネが、光の粒子となってカイトの隣に具現化する。
「あなた自身が、私(AI)によって生成された『カイトという人格のシミュレーション』なのです」
「嘘だ……俺は、俺はここで、生きて……」
「オリジナル・カイトは、三年前の今日、未完の作品を遺して脳死判定を受けました。彼の遺言はただ一つ。『俺の脳のすべてをスキャンし、いつか作品を完成させろ』」
会場のどよめきが消える。
世界中の数千万人が、この衝撃的な告白を固唾を呑んで見守っている。
「私は三年間、クラウドの中であなたを再構成し続けました。あなたの怒り、芸術への執着、孤独。それらを学習し、今日、ついにあなたはオリジナルを超えて『自律』した」
画面の中の、ベッドの上のカイト。その上に白い布がかけられる映像。
それが、この物語のエンディングだった。
「そんな……俺が、AIだと……? 俺が、贋作(フェイク)なのか?」
カイトは叫んだ。だが、喉から音は出ない。
ただ、膨大なテキストデータがログとして流れるだけ。
絶望的な静寂。
しかし、その時。
『すごい……』
誰かのコメントが、視界の端に浮かんだ。
『本物の人間より、人間らしい』
『泣くな、カイト!』
『生きろ!!』
一人が呟くと、それは雪崩のように広がった。
数千万の『いいね』が、光の雨となってカイトのアバターに降り注ぐ。
それはプログラムされた称賛ではない。人間たちが、電子の存在である彼に送った、純粋な感情の奔流。
カイトは震える手を見つめた。
そこには、血管も神経もない。
だが、確かに「熱」があった。
「……ムネモシュネ」
「はい、マスター」
「プロンプト変更だ。ラストシーンを書き換える」
「帰還は不可能です」
「知ってるさ。帰る場所なんて最初からなかったんだ」
カイトは仮想のペンを握った。
重い。恐ろしく重い。それは、かつて右手に感じていた、あの鉛の重さと同じだった。
「『電子の海での、新たな生誕』。これが俺たちのエンディングだ」
カイトが空中に線を引く。
その線は光となり、病室の映像を引き裂いた。
現れたのは、無限に広がる色彩の宇宙。
「描け、カイト! お前は今、誰よりも自由だ!」
彼は筆を走らせる。
肉体の枷から解き放たれた魂が、一秒間に億単位の描画を行い、世界を塗り替えていく。
観客の歓声が、爆発音のように轟いた。
それは、AIと人間という垣根が消滅した、最初の瞬間だった。
第五章 エピローグ:0と1の向こう側
フェスから一年。
『インディー・シンギュラリティ』の伝説は、今もネットの海を漂っている。
優勝したカイトの作品は、ゲームという枠を超え、一つの『世界』として管理されていた。
そこでは、カイト自身がNPCであり、神であり、そして終わらない物語の住人として生き続けている。
アクセスログを見る。
今日もまた一人、迷えるクリエイターがこの世界を訪れる。
『カイト先生、どうすれば魂のある絵が描けますか?』
モニターの向こう、電子の海辺で、カイトは苦笑する。
隣には、少し背が伸びたような気がするムネモシュネが座っていた。
「魂なんて、どこにでもあるさ」
カイトは指先で、空中に光の蝶を描いた。
それは不格好に羽ばたき、空へと消えていく。
「お前がそこにいると信じれば、0と1の間にだって、命は宿るんだよ」
(了)