第一章 承認欲求の亡者たち
「ねえ、マイク入ってる? おーい、みんな~! 聞こえてたら草生やして~!」
洞窟の湿った空気を、甘ったるい香水の匂いが切り裂いた。
暗闇に浮かぶのは、自動追尾型ドローンカメラの赤い録画ランプと、その下に広がるホログラムのコメント欄。
『草』
『草』
『今日はFランク? 余裕っしょw』
『キララちゃん、後ろのオッサン誰?』
流れる極彩色の文字が、俺の網膜をチカチカと刺激する。
俺、木島レンは、ため息を噛み殺してバックパックのベルトを締め直した。
「……おい、キララ。声がデカい。ここは『新宿第13ダンジョン』だぞ。低層とはいえ、アクティブな個体がいる」
「え~? だって木島さん、元プロなんでしょ? 守ってよ、私のナイト様!」
キララはカメラに向かってあざとくウインクを投げた。
瞬時にスパチャが飛び交い、洞窟内に『ナイスパ!』の電子音声が響き渡る。
俺は頭痛を覚えた。
かつて『聴覚』を武器に深層アタックをかけた俺だが、今はただの落ちぶれた荷物持ち兼安全管理ガイド。
借金返済のために引き受けた仕事が、この登録者数200万人の迷惑系配信者、星野キララの護衛だ。
「いいか、俺の指示には従え。俺の耳には聞こえてるんだ。壁の向こう、15メートル先にゴブリンの群れが……」
「はいはい、わかってますー。みんな、聞いた? ゴブリンだって! 見たいよね? 見たい人、スタンプ連打!」
キララは俺の警告を無視し、あろうことか足音を立てて小走りに進み始めた。
『GG(ゴブリン・ゲット)!』
『行け行け!』
『同接5万人突破おめ!』
数字が跳ね上がる。
それと同時に、俺の耳元で「キィィン」という不快な耳鳴りがした。
違う。
いつものダンジョンと何かが違う。
風の音が変わった。
先ほどまで「カサカサ」という乾いた音だったゴブリンの足音が、今の瞬間、「ズシ、ズシ」という重低音に変化したのだ。
「待て! 止まれキララ!」
俺は彼女のパーカーのフードを掴んで引き戻した。
その直後。
ドォォォォン!!
彼女が踏み込もうとしていた床が砕け散り、巨大な棍棒が叩きつけられた。
舞い上がる粉塵。
カメラの照明が照らし出したのは、緑色の小鬼ではない。
全身が鋼鉄のように黒光りする、身長3メートルの異形。
「う、嘘……何これ……? ゴブリンじゃない……!」
キララが腰を抜かす。
俺は舌打ちをした。
「やっぱりか。このダンジョン、今の『視聴者数』に反応してやがる」
コメント欄が爆速で流れる。
『え?』
『何これCG?』
『ガチじゃんw』
『やばいって!』
恐怖と興奮がネット回線を通じて流れ込み、ダンジョンという巨大な胃袋を刺激している。
ただのFランクダンジョンが、俺たちの目の前で、Sランク級の処刑場へと変貌しようとしていた。
第二章 バズりの代償
「木島さん、どうしよう! 逃げなきゃ!」
「動くな! 背中を見せたら一撃で潰される!」
俺は腰の短剣を引き抜き、ドローンカメラを睨みつけた。
黒い巨人が鼻息を荒くし、俺たちを見下ろしている。
奴の筋肉が収縮する音、心臓の鼓動が、俺の耳には大音量のドラムのように響いていた。
「キララ、配信を切れ」
「はあ!? 何言ってんの!? 今、同接8万だよ!? 過去最高記録更新中なんだよ!?」
「命とどっちが大事だ!」
「数字に決まってんでしょ!」
キララは涙目で叫びながら、それでもカメラのアングルを調整した。
そのプロ根性には感服するが、今はそれが命取りだ。
『逃げるな!』
『戦え!』
『ここで勝ったら伝説』
無責任なコメントが空間にオーバーレイされ、それが燐光となって巨人の身体に吸い込まれていく。
奴の棍棒が、赤熱した鉄のように輝き始めた。
「クソッ、承認欲求をエネルギー変換してるってのか……?」
俺は呼吸を整える。
視覚じゃない。
聴覚だ。
奴の動きを見るな。音を聞け。
(右足の踏み込み音……重心移動……来る!)
「右だ!」
俺はキララを突き飛ばし、自身も泥にまみれながら転がる。
一瞬遅れて、俺たちがいた空間を熱波が薙ぎ払った。
「熱っ……! 髪、髪が焦げたぁ!」
「泣くな! 立て!」
俺たちは狭い通路へと駆け込んだ。
だが、逃げれば逃げるほど、配信の盛り上がりは加速する。
『映画みたい』
『これマジで死ぬやつ?』
『拡散希望』
通知音が鳴り止まない。
それと呼応するように、壁のシミから新たな影が染み出してくる。
「はぁ、はぁ……木島さん、行き止まり……?」
追い詰められたのは、かつて「安全地帯(セーフティエリア)」とされていた広間。
しかし今、そこは無数の目が埋め込まれた不気味なホールと化していた。
壁一面の目が、ギョロギョロと俺たち……いや、ドローンを見つめている。
「わかったよ……」
俺は震える手でタバコを取り出し、折れた先を噛みちぎった。
「このダンジョンは、見られたがってるんだ。俺たちと同じようにな」
「どういうこと……?」
「視聴者が恐怖や興奮を感じれば感じるほど、ここの魔素濃度が上がる。お前のその数字が、奴らの餌なんだよ」
ドローンのバッテリー残量はあとわずか。
だが、同接は10万人を超えようとしている。
広間の中央、空間が歪み、とてつもない質量の何かが顕現しようとしていた。
ボスだ。
それも、既存のデータベースにない、特大の「バズり魔獣」。
「ねえ……あれ、私の顔に似てない……?」
キララが絶望的な声で呟く。
現れたのは、巨大な唇と無数のスマホを持った、醜悪な肉塊だった。
それが発する奇声は、数万人のコメントを合成したノイズのように聞こえる。
『カワイイ』『シネ』『ワロタ』『ツマンネ』
「……お前の欲望の成れの果てだ」
俺は短剣を逆手に持ち直す。
俺の才能(イヤー)が告げている。
こいつの弱点は心臓じゃない。
第三章 沈黙という名の生還
「木島さん、勝てるの……?」
「勝てない。今の装備じゃ傷一つつけられない」
俺は冷静に分析し、そしてドローンを見た。
「だから、殺すのは奴じゃない」
「え?」
俺は全力でダッシュした。
ボスに向かってではない。
空中に浮かぶ、キララの命よりも重い商売道具、ドローンに向かって。
「ちょ、何すんの!?」
「耳を塞げ!!」
俺はポケットから閃光手榴弾(スタングレネード)を取り出し、ピンを抜いた。
だが、投げる先は敵ではない。
俺たちの足元、そしてドローンの真ん前だ。
カッッッ!!!!
強烈な閃光と爆音が、狭い洞窟内を飽和する。
カメラのレンズがホワイトアウトし、マイクが過入力で悲鳴を上げた。
配信画面の向こう側で、数十万人が「鼓膜が破れる」ほどのノイズを聞いたはずだ。
『うわあああ!』
『音量注意!』
『画面真っ白』
『回線落ちた?』
接続が途切れる。
コメントの流れが止まる。
その瞬間。
ズズ……ズズズ……
目の前の巨大な肉塊が、まるでスローモーションのように溶け始めた。
「……え?」
キララが呆然と見上げる。
観客を失った怪物は、輪郭を保てなくなり、ただの泥へと還っていく。
ダンジョンを満たしていた殺意のような圧力が、急速に萎んでいくのを肌で感じた。
「見られてなきゃ、存在できない。それがこいつの正体だ」
俺は地面に落ちた、レンズの割れたドローンを拾い上げた。
完全に沈黙している。
「あ……あぁ……私の……私の同接10万人が……」
キララがへなへなと座り込む。
怪物が消滅した跡には、小さな魔石が一つだけ転がっていた。
それはスマホの形によく似ていた。
俺たちは静寂を取り戻した洞窟を、無言で歩き出した。
出口の光が見えたとき、キララがポツリと言った。
「……また、ゼロからやり直しかな」
「ゼロじゃないだろ」
俺は魔石を彼女に放り投げた。
「生きてる。それだけで十分だ」
彼女は泥だらけの手でそれを受け取り、少しだけ笑った。
その笑顔は、配信で見せる作り物よりも、ずっと人間らしく見えた。
地上に出ると、夕焼けが眩しかった。
俺の耳にはもう、怪物の心音も、コメントの通知音も聞こえない。
ただ、風の音だけが優しく響いていた。