不完全な光のプリズム
1 2562 文字 読了目安: 約5分
文字サイズ:
表示モード:

不完全な光のプリズム

第一章 百十七回目の月曜日

こめかみを万力で締め上げられるような頭痛と共に、意識が浮上する。

重たい瞼を持ち上げると、窓の外は鉛色の曇天だった。雨が降り出しそうな湿った土の匂いが、閉め切った部屋に澱んでいる。

身体が鉛のように重い。記憶は曖昧なのに、ふくらはぎの筋肉だけが、何千キロも歩き続けた後のように悲鳴を上げている。

オフィスに着くと、デスクの隣で佐藤がコンビニのおにぎりの包装を剥がしていた。海苔がパリリと割れる乾いた音。

「あ、おはよう」

佐藤は私の顔を見ず、パソコン画面の隅についた埃を人差し指で拭っている。背中のシャツには、昨日と同じ位置にアイロンじわが寄っていた。

この光景を見るのは、もう何度目だろう。

彼の指先のささくれ、オフィスの蛍光灯が一度だけチカついたタイミング、給湯室から漂う焦げたコーヒーの臭気。

すべてが既視感という生温い沼の中にある。

私は鞄から、昨日――いや、前の周回で購入したペンライトを取り出した。

新品のはずのプラスチックの筒は、何十年も風雨に晒されたように白濁し、表面には無数の細かい傷が走っている。

スイッチを入れる。

本来なら美しい「月光色」を放つはずのLEDが、接触不良を起こした街灯のように、明滅を繰り返しながら濁った赤紫色の光を吐き出した。

膿のような、痛々しい色。

スマートフォンの画面をタップする。動画サイトのトップには、月城瞬の新曲MV。

彼は笑っていた。けれど、その頬の筋肉は引きつり、極限まで張り詰めた弦のように痙攣している。

画面越しですら、彼が押し殺した過呼吸の音が聞こえてくるようだった。

第二章 愛という名の檻

握手会の列は、安っぽいコロンと汗の臭いが混じり合い、鼻腔を刺激する。

私の番が来た。

目の前の月城瞬は、剥製のように美しかった。ファンデーションで塗り固められた肌は陶器のようで、毛穴ひとつない。

けれど、握った彼の手のひらは、氷のように冷たく、じっとりと濡れていた。

「……いつも、完璧な姿を見せてくれてありがとう」

私はいつものように、彼を崇める言葉を口にする。それが正解だと信じて。

その瞬間、瞬の瞳孔が開いた。

彼は反射的に私の手を振りほどこうとし、爪が私の手首に食い込む。鋭い痛みが走った。

「っ……」

「あ……ごめ、なさ……」

彼は小動物のように震えていた。笑顔を作ろうと口角を持ち上げるが、唇がわななき、引きつった笑みが醜く歪む。

その目には、私への感謝など微塵もない。あるのは、巨大な重圧に対する、純粋な恐怖だけだった。

剥製が動き出し、血を流している。

その時、気づいてしまった。

彼をこの永遠の七日間に閉じ込め、窒息させているのは、「変わらない完璧さ」を求め続ける私の視線そのものだと。

私の手首に残った赤い爪痕が、ずきずきと脈打った。

これが、私が彼に与え続けてきた痛みだったのだ。

第三章 泥だらけの輝き

ドーム会場の空気は、熱気と二酸化炭素で飽和し、むせ返るようだった。

五万人の歓声が、巨大な生き物の唸り声となって鼓膜を圧迫する。

ステージ中央、月城瞬が完璧なステップで踊っている。指先まで計算され尽くした動きは、人間味を削ぎ落とした精密機械のようだった。

私はポケットの中で、あの濁ったペンライトを握りしめた。表面のザラついた感触が、指の腹に食い込む。

周囲が一斉に、清廉な青白い光を掲げる。

その光の海の中で、私はひとり、傷だらけのペンライトを高く突き上げた。

薄汚れた赤紫色の光。

接触不良で不規則に点滅するその光は、会場の統一感を乱す、醜いノイズだった。

ステージ上の彼が、その異物に気づく。

彼の視線が、私の汚れた光に吸い寄せられ、止まる。

私は祈るのをやめた。応援するのもやめた。

ただ、その汚れた光を、暴力的に振り回した。

――見ろ。これが私だ。完璧じゃない、傷だらけで、薄汚れた現実だ。

瞬の動きが止まった。

音が消えるわけではない。彼だけが、振付を放棄したのだ。

流れるオケに取り残され、彼はステージの中央で棒立ちになった。

整えられた前髪が汗で額に張り付いている。

彼は私を見下ろし、そして、顔をくしゃくしゃに歪めた。

アイドルとしては失格の、あまりにも人間臭い、泣き出しそうな顔。

マイクが手から滑り落ち、床にぶつかる。

《ゴッ》

鈍く、重い衝撃音が、スピーカーを通して五万人の腹の底に響いた。

そのノイズが、世界の膜を破る合図だった。

私の手の中で、ペンライトの電池が焼き切れ、ふつりと光を失った。

最終章 明日への不協和音

目覚まし時計の電子音がうるさい。

叩き起こされた身体には、泥のような疲労感ではなく、昨日のライブで腕を振り回した心地よい筋肉痛が残っていた。

カーテンを開ける。

昨日の雨が嘘のように晴れているわけではない。相変わらずの曇天だ。けれど、窓ガラスを叩く雨粒の音が、昨日とは違うリズムを刻んでいる。

オフィスに着くと、私は自分のデスクでコーヒーを盛大にこぼしてしまった。

熱い液体がスカートに染み込み、火傷しそうな熱さが太腿に伝わる。

「うわ、派手にやったな」

隣の席の佐藤が、呆れた声を出した。

彼はため息交じりに自分のハンカチを放ってくる。

「貸してやるよ。洗って返せばいいから」

受け取ったハンカチは、ゴワゴワしていて肌触りが悪い。安っぽい洗剤の匂いがした。

佐藤の指先を見る。

パソコンのキーボードを叩きすぎたせいか、指先が少し平らになり、ささくれができている。

シャツの袖口は少し擦り切れ、背中は猫背で丸まっている。

どこにも「完璧」なんてない。

美しくもないし、輝いてもいない。

けれど、彼がキーボードを叩く《タタタン》という不規則なリズムは、私の心臓の鼓動と同じ、生きている人間の音だった。

「……ありがとう」

私が言うと、彼は「ん」とだけ言って、また画面の埃を指で拭った。

その無愛想な横顔を見ながら、私は不格好なハンカチでスカートの染みを拭う。

取れない汚れが残るだろう。

でも、それでいい。

汚れも、傷も、痛みも、すべてが私たちが今日を生きている証なのだから。

AIによる物語の考察

この物語は、完璧な偶像を求め続けることで自他を縛り、同じ「月曜日」を繰り返す主人公の心の旅を描きます。

**登場人物の心理**:
主人公は「完璧なアイドル」月城瞬に自己の理想を投影し、その幻想によって彼を「檻」に閉じ込め、自身もループに陥っていました。瞬は完璧を演じる重圧に苦しみ、内面では解放を求めていました。

**伏線の解説**:
「百十七回目の月曜日」は主人公の停滞した精神状態と、現実からの逃避を示唆。劣化するペンライトは、完璧という理想が実は歪み、傷ついている現実の象徴です。瞬の引きつった笑顔や冷たい手、握手会での爪痕は、彼が抱える苦痛と、主人公が無自覚に与えていた痛みを表します。マイクの落下音は、完璧という世界の膜が破れる決定的な合図でした。

**テーマ**:
本作は、「完璧」という幻想から解放され、傷や汚れも含む「不完全な現実」を受け入れることの尊さを問いかけます。それは、停滞した日常から脱却し、変化を恐れず「生」を肯定する、自己肯定と他者への赦しの物語です。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る