第一章 0人の観客と1つの死に場所
「……あー、テステス。聞こえてますかー。底辺Fランク探索者、レンです」
スマホの画面には、俺の顔と、背後に広がる薄暗い石壁が映っている。
左上の視聴者数カウンターは『0』。
わかってる。こんな時間に、しかもFランク指定の『新宿地下水道ダンジョン』なんて、誰も見ちゃいない。
「今日はね、ちょっと奥まで行ってみようと思います」
俺は乾いた笑い声を漏らす。
震える指先で前髪を整え、コメント欄を更新する。
『更新』。
何もなし。
『更新』。
何もなし。
心臓が嫌な音を立てる。
ダンジョンの湿った空気よりも、この『無関心』という毒気が肺を締め付ける。
俺、雨宮レン(22歳)。
探索者歴3年。登録者数112人。
才能なし、金なし、彼女なし。
あるのは、異常なまでに肥大化した承認欲求と、中古で買った高画質アクションカメラだけ。
ピコン。
通知音が響く。
《 名無しさんが入室しました 》
たった一人。
それだけで、脳髄に電流が走る。
「いらっしゃい! 今日は浅層の『汚泥スライム』じゃなくて、中層の『カビ人間』狩りに行くから! 見ててくれよな!」
俺は足早に歩き出す。
本来、Fランクがソロで中層に行くのは自殺行為だ。
だが、リスクを冒さなきゃ数字は取れない。
血が欲しいんだろ?
悲鳴が聞きたいんだろ?
わかってるよ。
通路の角を曲がると、腐った肉の臭いが鼻をつく。
「うっ……」
前方に、人型の影。
全身にカビを生やし、ゆらりと揺れる『カビ人間』だ。
普段なら逃げる。
でも今は、画面の向こうに『1人』がいる。
「よーし、先制攻撃だ」
俺は腰のサバイバルナイフを抜き、カメラのアングルを確認してから飛び出した。
「オラァッ!」
ナイフがカビ人間の肩に突き刺さる。
鈍い感触。
敵が呻き声を上げ、腕を振り回す。
重い一撃が俺の腹を掠めた。
「ぐっ……!」
激痛。シャツが裂け、血が滲む。
カメラが激しく揺れる。
その時だ。
《 wwwwww 》
《 死ぬんじゃね? 》
《 雑魚乙 》
コメントが流れた。
いつの間にか視聴者が5人に増えている。
嘲笑。侮蔑。
本来なら腹が立つはずのその文字の列が、俺には輝いて見えた。
(見られてる……俺は今、見られてる!)
その瞬間、奇妙な現象が起きた。
カビ人間の頭上に、赤い文字が浮かび上がったのだ。
『殺意:レベル3(視聴者の期待値により上昇中)』
は?
俺は目を擦る。
ARグラスなんて付けていない。これは裸眼だ。
カビ人間の動きが、急に速くなる。
視聴者のコメントが増えるたび、まるでバフがかかったように敵が強化されていく。
《 もっと血を見せろ 》
《 腕ちぎれそうw 》
コメントが、カビ人間の筋肉を膨張させる。
「なんだこれ……ふざけんな……!」
俺は転がるように回避する。
(敵が強くなってる? コメントのせいで?)
これが俺の固有スキル『炎上視覚(バズ・アイ)』の覚醒だった。
そして同時に、ある仮説が脳裏をよぎる。
逆に言えば。
コメントを制御できれば、こいつを弱体化できるのか?
第二章 偽りの偶像と共犯関係
「はぁ、はぁ……なんとか、逃げ切った……」
物陰に隠れ、俺は配信を切った。
結局、最後は無様に逃げ惑う姿を晒しただけだったが、同接は過去最高の『50』を記録した。
心臓の高鳴りが収まらない。
「おい、そこの陰キャ」
不意に声をかけられた。
ビクリとして振り返ると、そこには場違いなほど煌びやかな装備を纏った少女が立っていた。
金髪のツインテール。フリルのついた軽装鎧。
「……『閃光のアイドル探索者』、ミナミ?」
登録者数50万人越えのトップ層だ。
なぜこんなところに。
彼女は俺のスマホを覗き込み、舌打ちをした。
「チッ。ここ電波悪いんだけど。配信落ちちゃったじゃん」
画面上の清楚な笑顔とは程遠い、ドスの効いた声。
彼女は煙草を取り出し、慣れた手つきで火をつけた。
「あ、あの、ここダンジョン内なんで火気は……」
「あぁ? 配信外だろ今。関係ねーよ」
彼女は煙を吐き出し、俺を睨みつける。
「てかアンタ、さっきの見たよ。カビ人間に追い回されてるやつ。……アンタ、何か『やった』でしょ」
「え?」
「あのカビ人間、異常個体(イレギュラー)並みに動きが速かった。なのに、アンタがコメント欄を見てニヤついた瞬間、急に動きが鈍った」
見られていたのか。
あの時、俺は『応援してくれたら勝てるかも!』と叫んだ。
数少ない『頑張れ』というコメントが流れた瞬間、敵の頭上の『殺意』レベルが下がったのだ。
「ただの偶然です」
「嘘つけ。私のスキル『解析眼』には全部お見通しなんだよ。アンタ、ダンジョンの『構成素子』に干渉できるだろ」
ミナミは俺の胸ぐらを掴み、顔を近づける。
甘い香水の匂いと、タバコの臭いが混ざり合う。
「私と組みな」
「は?」
「最近、伸び悩んでんの。マンネリ化してるってアンチがうるさくてさ。アンタのその『事故誘発体質』と『盤面操作』……使える」
彼女はニヤリと笑った。
その笑顔は、アイドルとしての営業スマイルよりも遥かに凶悪で、魅力的だった。
「『底辺配信者』と『トップアイドル』の禁断のコラボ。……バズると思わない?」
俺の喉が鳴る。
バズる。
その言葉の響きに、抗えるはずがなかった。
「……条件があります」
「何?」
「俺を、一番危険な場所に連れて行ってください」
ミナミは目を丸くし、それから大笑いした。
「ハハハ! イカれてんねアンタ! 合格だ。死ぬまで撮れ高稼ごうぜ、相棒」
第三章 スパチャという名の拘束具
「みんなー! ミナミだよ☆ 今日はなんと、特別ゲストのレン君と一緒に、未踏破エリア『深淵の回廊』に来ちゃいましたー!」
カメラが回った瞬間、ミナミの声色が3オクターブ高くなる。
《 うおおおおミナミちゃん! 》
《 誰だその男? 》
《 彼氏? 殺すぞ 》
《 地雷探索者連れてくとか正気か 》
コメント欄が滝のように流れる。
視聴者数、3万人。
俺の視界には、ダンジョンの壁や床にまで、無数の文字が重なって見えていた。
視聴者の『嫉妬』『好奇心』『悪意』が、黒い霧となってダンジョンに充満していく。
「じゃあ行こっか、レン君♡(さっさと歩けゴミ)」
(了解です姫……)
俺たちは進む。
深層へ。
現れる魔物は強力だった。
だが、ミナミの戦闘センスは本物だ。
レイピアが閃くたび、魔物が粒子となって消える。
しかし、異変はすぐに起きた。
《 なんかヌルくね? 》
《 ミナミちゃんの本気が見たい 》
《 もっとギリギリの戦いが見たい 》
贅沢になった視聴者たちの要望。
それが、ダンジョンを変質させる。
ズズズ……ッ。
地面が揺れ、巨大な影が立ち上がる。
ボスの部屋でもないのに、フロアボス級の『ミノタウロス・ゾンビ』が出現した。
しかも、通常の三倍はデカい。
「ちょ、デカすぎでしょ! 話が違う!」
ミナミが叫ぶ。
俺には見える。
ミノタウロスの全身に、視聴者のコメントが刺青のように刻まれているのが。
『もっと激しく』『血を』『絶望を』
「ミナミさん、避けろ!」
俺が突き飛ばした直後、巨大な斧が彼女のいた場所を粉砕した。
《 !!!! 》
《 危ねええええ 》
《 神回避 》
《 レンやるじゃん 》
「ッ……! アンタ、何なのコイツ! 硬すぎて刃が通らない!」
「視聴者の『期待』が装甲になってるんだ! みんなが『ピンチ』を望むほど、奴は強くなる!」
「はぁ!? じゃあどうすんのよ!」
「俺が……ヘイトを買います」
俺はカメラを自分に向けた。
「おい見ろよお前ら! ミナミちゃんがビビってるぞ! ざまぁみろ! やっぱりトップ層なんてハリボテだったんだよ!」
煽る。
全方位に。
自分の尊厳を切り売りして、悪意を集める。
《 は? 死ねよこいつ 》
《 ミナミちゃんを馬鹿にすんな 》
《 お前が死ね 》
コメントの矛先が、怪物から俺へと変わる。
ミノタウロスのタゲが俺に向く。
「今だ、ミナミさん!」
「……ッ! 後で覚えときなさいよ!」
装甲が薄くなった一瞬の隙を突き、ミナミの必殺スキル『スターダスト・レイド』が炸裂した。
光の粒子と共に、巨獣が崩れ落ちる。
《 すげええええ! 》
《 さすがミナミちゃん! 》
《 レン君もナイス囮 》
同接、10万人突破。
脳内麻薬が溢れ出す。
怖い。
死ぬほど怖い。
なのに、画面の数字が増えるたび、俺は生を実感していた。
第四章 承認欲求の成れの果て
それからも俺たちは進み続けた。
引き返すべきラインは、とっくに超えていた。
装備はボロボロ。
回復薬も尽きた。
だが、視聴者は帰してくれない。
《 まだ行ける 》
《 ここで終わったら伝説になれない 》
《 スパチャ投げるから進め 》
高額スパチャ(投げ銭)が飛ぶたび、俺たちの足には見えない鎖が巻き付いていく。
『ありがとう』と言わなきゃいけない。
期待に応えなきゃいけない。
「ねえ、レン……」
ミナミが崩れ落ちる。
彼女の足は、罠によって深く裂けていた。
「もう、無理……配信、切って……」
弱々しい声。
これが『閃光のアイドル』の真実の姿。
だが、俺の手は止まらない。
カメラは冷酷に、傷ついた彼女を映し続ける。
《 うわ痛そう 》
《 グロ注意 》
《 でもエッッッッ 》
《 まだ立てるだろ 》
「ごめん、ミナミさん」
俺は呟く。
「俺、わかったんだ。このダンジョンの正体が」
俺はスマホの画面を見る。
そこには無限に湧き出るコメント。
「ここは『地下』じゃない。ネットの海そのものなんだ」
人々の悪意、欲望、承認欲求。
それらが吹き溜まる場所が、現代においてダンジョンとして具現化した。
だから、ここは配信者にとっての天国であり、処刑場だ。
俺たちの目の前で、空間が歪む。
ラスボスが現れる。
それは、無数のスマートフォンが融合してできたような、醜悪な巨人。
その全身から発せられているのは、俺たちが今まで欲しがっていた『声』だった。
『もっと面白いことしろ』
『飽きた』
『オワコン』
「あぁ……あれは、俺たちだ」
俺は笑った。
「レン、逃げ……」
「無理だよミナミさん。見てみろよ、この同接」
**500,000人**
国内最高記録。
「ここで逃げたら、こいつらは全員アンチになる。そしたらその『負の感情』で、この怪物は世界中に溢れ出すぞ」
倒す方法は一つしかない。
俺はカメラを固定する。
そして、ミナミを瓦礫の影に押しやった。
「最高のエンディングを演出してやるよ」
第五章 配信終了(BAN)
俺はナイフ一本で巨人に歩み寄る。
《 お前じゃ無理 》
《 逃げろ 》
《 奇跡を見せろ 》
コメントが嵐のように流れる。
そのすべてが、俺の身体に力を与え、同時に俺の魂を削り取っていく。
『炎上視覚』が限界を超えて作動する。
世界が、0と1の数字に見える。
巨人の拳が振り下ろされる。
俺は避けない。
ドォォォン!!
衝撃。
左腕が吹き飛ぶ。
「あ、が……ッ!!」
激痛。
だが、視聴者数はさらに跳ね上がる。
《 腕がああああああ 》
《 放送事故 》
《 運営仕事しろ 》
《 でも見ちゃう 》
「はは、いいぞ……もっと見ろ……もっと騒げ……!」
俺は残った右手でナイフを握りしめ、巨人の足元に突き立てる。
俺の血が、データのように光って蒸発する。
俺の身体が、ダンジョンと同化していくのがわかる。
そうか。
俺が『バズ』そのものになればいい。
「みんな、今までありがとうな」
俺はカメラに向かって、血まみれの歯を見せて笑った。
「これが、俺の人生の最高傑作(クリップ)だ」
俺は、巨人のコア――無数のコメントが渦巻く胸のあたりへ飛び込んだ。
斬るためじゃない。
取り込まれるために。
俺という存在が、莫大な承認欲求のエネルギーとなって、怪物を内側から破裂させる。
視界が白く染まる。
最後に見たのは、泣き叫びながら手を伸ばすミナミの姿と、
《 神回 》
という、たった二文字のコメントだった。
―――
数日後。
ダンジョンは消滅した。
ミナミは生還し、引退を発表した。
ネット上では、伝説の配信者『レン』の話題で持ちきりだ。
切り抜き動画は数百万再生され、彼の最後の笑顔はミームになった。
だが、誰も知らない。
新しいダンジョンの最奥で。
『もっと見ろ、俺を見ろ』
そう呟きながら、無限に湧き出るコメントを喰らい続ける、一匹の怪物が生まれたことを。
スマートフォン越しに、彼は今日もあなたを見ている。
【配信を終了します】