欠けた月と黄金の継ぎ目

欠けた月と黄金の継ぎ目

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私の右腕を奪った刃は、私を殺しはしなかった。

それはただ、刀の代わりに筆を握らせ、決して癒えることのない亀裂に黄金を塗り込める運命を、私に背負わせただけだ。

雨音だけが支配する京の路地裏。

湿気を含んだ風が、古傷をじくじくと疼かせる。

第一章 雨音と来訪者

「ごめんください」

雨を裂くような、凛とした声だった。

長屋の入り口に立っていたのは、濡れた蛇の目傘をたたむ一人の女。

年は二十そこそこか。

藍色の着物は質素だが、仕立ては良い。

「……金継ぎの職人とは、こちらで相違ないでしょうか」

私は左手だけで急須を置き、半身を起こした。

失った右袖が、力なく揺れる。

「いかにも。見ての通りの廃業した武士崩れだが、それでもよければ」

女は私の右肩を一瞥したが、眉一つ動かさなかった。

懐から取り出したのは、白木の箱。

彼女は静かに正座し、震える指先で箱の蓋を開けた。

中には、真っ二つに割れた織部焼の茶碗が納められていた。

「これを、直していただきたいのです」

私はその破片を手に取り、息を吞んだ。

歪んだ緑の釉薬(うわぐすり)。

特徴的な十文字の絵付け。

間違いない。

これは、慶応四年の鳥羽・伏見。

燃え盛る炎の中で私が斬り伏せた、薩摩藩士の腰に下がっていた茶道具だ。

あの日、血に濡れた地面に転がったこの茶碗を、私はなぜか拾い上げた。

だが、逃走の最中に失くしたはずだった。

「……見事な織部だ。だが、傷が深い」

私は声を押し殺し、努めて職人の顔を作った。

「直せますか」

「直せる。だが、継ぎ目は残る。元通りにはならん」

「構いません」

女は顔を上げ、私を射抜くように見つめた。

「傷跡こそを、景色として残したいのです」

その瞳の奥に、私は燃えるような憎悪と、それ以上に深い哀しみを見た。

名は、小夜(さよ)といった。

第二章 漆の乾く時間

作業は難航した。

割れ口は鋭利で、かつ複雑だった。

まるで持ち主の無念そのものが、陶器の肌を裂いたかのように。

私は麦漆(むぎうるし)を練り、接着面に薄く塗る。

漆は生き物だ。

湿度が高いこの梅雨の時期こそ、よく乾き、よく固まる。

「職人さん、手際が良いのですね」

小夜は、作業の進み具合を見に、三日おきに店を訪れた。

「片手ですから。工夫せねば生きていけません」

「……その腕は、戦で?」

「ええ。幕府が倒れる寸前、京の郊外で」

私は嘘をつかなかった。

ただ、すべてを語りもしなかった。

へらを持つ左手が、わずかに滑る。

あの日、私は右腕を斬り飛ばされながらも、相手の喉元を左の脇差で貫いた。

相手の男は、最期に何かを言おうとして、血の泡を吹いた。

その男が持っていた茶碗。

それがなぜ、巡り巡って娘の手にあるのか。

「父の形見なのです」

小夜が雨戸の隙間から外を見つめながら、独り言のように呟いた。

「遺体と共に、戻ってきました。父は茶を愛していました。戦場にまでこれを持っていくほどに」

心臓が早鐘を打つ。

「……立派なお父上だったのでしょうな」

「ええ。優しくて、強い人でした」

小夜の声が震えた。

「でも、許せないのです。父を奪った時代のうねりも。そして……父を殺した、名も知らぬ誰かも」

私は背を向けたまま、黙々と錆漆(さびうるし)を研いだ。

研げば研ぐほど、黒い粉が出る。

それは私の罪の色のようだった。

この茶碗を直すことは、彼女の心を救うことになるのか。

それとも、復讐の刃を研ぐ手助けをしているだけなのか。

漆の独特の甘く重い香りが、部屋に充満していた。

それは、あの日の戦場の、鉄と血の匂いを思い出させた。

「きれいな傷ですね」

ふと、小夜が私の背後で言った。

振り返ると、彼女は接着された茶碗の継ぎ目を見つめていた。

まだ金粉を撒く前、黒い漆の線が走っているだけの状態だ。

「傷がきれい、とは……奇妙なことを言う」

「隠そうとしていないから。割れた事実を受け入れて、繋ぎ止めている。……私の心も、そうできればいいのに」

彼女の目から、一雫、涙が落ちた。

私はその時、悟った。

彼女は知っている。

この茶碗の傷が、単なる破損ではないことを。

そしておそらく、私の正体も。

第三章 黄金の太刀

約束の日。

仕上げの時が来た。

雨は上がり、雲の切れ間から青白い月が顔を覗かせている。

私は最後の工程に取り掛かった。

継ぎ目の漆の上に、真綿で金粉を優しく掃きかけていく。

黒い傷跡が、黄金の光を帯びて浮かび上がる。

死んだ器が、新たな命を吹き込まれる瞬間。

「できました」

私は茶碗を小夜の前に差し出した。

緑の肌に走る、稲妻のような黄金の線。

それはかつての姿よりも、遥かに凄味を帯びていた。

小夜はそれを受け取らず、懐から短刀を取り出した。

鞘が払われる音。

冷たい金属の輝きが、店内の闇を切り裂く。

「父の日記に、ありました」

小夜の声は、氷のように冷たかった。

「『新選組の、左利きの使い手と対峙す』と。そして父の遺品の中にあった書き付けには、あなたの身体的特徴が記されていた。……右腕を失った、隻腕の狼」

私は動かなかった。

逃げるつもりも、弁解するつもりもなかった。

「やはり、ご存知でしたか」

「茶碗を直させたのは、あなたを油断させるため。そして……あなたがどんな人間か、この目で確かめるため」

切っ先が、私の喉元に向けられる。

「なぜ、あんな丁寧に直したのですか。父を殺した手で」

「……殺したからこそ、です」

私は小夜を見上げた。

「私は、私が奪った命を背負って生きている。右腕を失った痛みよりも、奪った重みの方が、夜ごとに私を苛む」

「そんな言葉で、許されるとでも!」

「許しなど乞わない。ただ、あんたの父上の茶碗は、直りたがっていた。それだけだ」

小夜の手が震えた。

殺気と、迷い。

私は静かに、茶碗に茶を点てた。

左手だけで茶筅を振る音だけが、部屋に響く。

「一服、どうですか」

黄金の継ぎ目が入った茶碗に、鮮やかな緑の茶が満たされる。

湯気とともに、茶の香りが立ち上る。

それは、殺し合いの螺旋から最も遠い、安らぎの香りだった。

小夜は短刀を握りしめたまま、泣き崩れた。

「……っ、うあぁぁ……!」

彼女は斬れなかった。

父の仇を目の前にして、その仇が父の愛した器を、これほどまでに美しく蘇らせたという事実に、心が引き裂かれていた。

短刀が畳に落ちる。

私は黙って茶碗を彼女の前に押しやった。

「飲んでくれ。それが、この茶碗の望みだ」

小夜は震える手で茶碗を持ち上げた。

口をつける。

黄金の継ぎ目が、彼女の唇に触れる。

「……温かい」

その一言が、私の胸の奥の何かを溶かした。

終章 欠けたままで

その後、小夜がどうなったかは知らない。

彼女は茶を飲み干し、代金として置いていった布包みの中には、あの短刀が入っていた。

私は今も、京の片隅で割れた器を直している。

金継ぎは、傷をなかったことにするのではない。

傷を受け入れ、それを歴史として刻み、新たな美として昇華させる。

私の右袖は空っぽのままだ。

罪も消えない。

だが、雨上がりの空にかかる欠けた月を見上げるたび、思うのだ。

欠けているからこそ、美しいこともあるのだと。

私は筆を執る。

今日もまた、誰かの心のひび割れを、黄金で継ぐために。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 宗次郎(そうじろう): 元新選組隊士。剣の腕は一流だったが、右腕を失い廃業。「金継ぎ」に自身の贖罪を重ねている。無口で、感情を表に出すのが苦手だが、職人としての腕は確か。
  • 小夜(さよ): 戊辰戦争で父を亡くした薩摩藩士の娘。父の遺品である茶碗を通して、犯人を探していた。復讐心と、宗次郎の職人としての誠実さの間で揺れ動く。
  • 割れた織部焼の茶碗: 物語のキーアイテム。父の形見であり、宗次郎にとっては殺人の記憶そのもの。金継ぎによって「傷」が「景色(美)」へと昇華される象徴。

【考察】

  • 「金継ぎ」のメタファー: 本作のテーマは「傷の肯定」である。戦争による身体的欠損(宗次郎の右腕)と、精神的欠損(小夜の喪失感)を、割れた茶碗になぞらえている。傷を隠すのではなく、黄金(=新たな価値観や時間)で修復することで、過去を背負って生きる覚悟を描いている。
  • Show, Don't Tellの活用: 宗次郎の罪悪感を「言葉」で語らせず、「右腕の幻肢痛」や「錆漆の黒い粉」といった身体感覚や視覚情報で表現した。また、小夜の殺意と迷いを「短刀」と「茶碗の温かさ」の対比で描写し、感情の揺れを演出している。
  • 雨と月の対比: 前半の「雨」は停滞と悲しみを、後半の「欠けた月」は不完全な美しさと再生への希望を象徴している。
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