月下のエデン:神経回路が奏でる崩壊の序曲

月下のエデン:神経回路が奏でる崩壊の序曲

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第一章 侵食される深淵

冷たいゲルが背筋を伝う不快感に、私はわずかに身を震わせた。

「感度良好だ。……エララ、随分と硬いな」

ヘルメットのスピーカーではなく、脳髄の奥底に直接響く声。カエルの声だ。低く、粘着質で、私の理性をやすやすと撫で回すような響き。

ここは月面基地建設予定地、セクター9。絶対零度の荒野にそびえ立つ、巨大な環境制御タワーの制御室――コクピットだ。

私たちは『アーキテクト』として、この死の世界に呼吸可能な大気をもたらすための、最も過酷で、最も繊細な作業に従事している。

「無駄口を叩かないで。シンクロ率、上げて」

私は意識的に思考を冷やそうと努める。だが、脊髄に埋め込まれたニューラル・コネクタが熱を帯び、私の拒絶を許さない。

月面テラフォーミングにおける最大の障害は、地殻深部に眠る超硬度の岩盤層だ。これを粉砕し、惑星の核へエネルギー杭を打ち込むには、物理的な操作では間に合わない。二人のオペレーターが神経を接続し、巨大重機の「手足」となって、ミリ秒単位の誤差もなく連動する必要がある。

それは、魂の融合にも似た、危険な行為。

「上げるぞ。……耐えられるか?」

「……っ!」

カエルの意識が、私の脳内に雪崩れ込んでくる。

視界が明滅する。コクピットの計器類の光が、網膜の裏で花火のように爆ぜた。

彼が、私の中に入ってくる。

物理的な接触は一切ない。私たちは互いに拘束具で固定され、数メートルの距離を隔てている。それなのに、まるで皮膚を剥いで、その下の神経を直接舐められているような錯覚。

「ん……あ……っ」

口から漏れたのは、プロとしてあるまじき甘い吐息だった。

「いい声だ。その震えが、ドリルの回転数とリンクしているのが分かるか?」

カエルの嘲るような思念が、私の快楽中枢を刺激する。

巨大なドリルが月面を削る振動。その重低音が、接続された神経を通じて私の骨盤を揺さぶる。

ガガガガガガガガッ……。

硬い岩盤を穿つ衝撃が、そのまま私の身体を貫く衝動に変換される。

このシステムは狂っている。機械の受ける負荷を、人間の快苦に変換してフィードバックさせるなんて。

「まだだ。まだ浅い。もっと奥へ潜るぞ、エララ」

「待っ……激しすぎ……る……!」

私の制止など聞こえないかのように、カエルは出力を上げた。

脳内で、何かが溶け出す音がする。

月面の重力は地球の六分の一。だが今、私を襲っているのは、逃れようのない重圧だ。

彼の支配欲が、重力波となって私を座席に縫い留めている。

「ほら、岩盤の温度が上がっている。……お前の中も、こんなに熱いのか?」

「やめ……そんなこと、考えないで……リンクしてるのよ……!」

思考は筒抜けだ。彼が私の恥じらいを、恐怖を、そして底知れぬ期待を読み取っているのが分かる。

機械のアームが、岩の裂け目をこじ開ける。

その感覚は、私の秘められた部分を無理やり暴かれる感覚と完全に同調していた。

「嫌……っ! 入って……くる……!」

ドリルの先端が、未踏の領域に達する。

熱い。焼けるように熱い。

地下深くのマグマの熱ではない。カエルという男の、どす黒い情動が、光ファイバーの速度で私の全身を駆け巡っているのだ。

目の前が真っ白になる。

コクピットの警告灯が赤く点滅しているのが、遠い世界のことのように思えた。

第二章 焦らされた臨界点

「くっ……はあ、はあ……」

荒い呼吸がマイクを通して互いの耳元で反響する。

作業開始から三時間が経過していた。通常のペアなら、とっくに精神汚染限界を迎えて交代している時間だ。

だが、カエルは止まらない。

「どうした? もう限界か? 岩盤貫通率、まだ78パーセントだぞ」

彼の精神波が、鞭のように私の意識を打つ。

意図的な「寸止め」だった。

あと少しで貫通する。あと少しで、この息苦しい圧迫感から解放される。

その瞬間のカタルシスは、薬物的な快楽をもたらすとされている。

けれどカエルは、その絶頂の瞬間を先延ばしにし続けている。

ドリルを岩盤の最も硬い部分に押し当て、微細な振動だけを与え続ける。

「あ……ぅ……、お願い……進めて……」

私はプライドも捨てて懇願していた。

これ以上の「待て」は、拷問でしかない。

神経が張り詰めすぎて、指先の感覚がない。全身が熱を持ち、汗でスーツが肌に張り付く不快感さえも、今は甘美な刺激に変わっている。

「進めてほしいか? エララ。……高潔なエリート様が、そんな声で鳴くとはな」

カエルの愉悦に歪んだ顔が、脳裏に浮かぶ。

彼は私の渇望を楽しんでいる。

「月の大地を犯すんだ。丁寧に、時間をかけてな。……一気に終わらせたら、もったいないだろう?」

「狂ってる……!」

「狂っているのは、この振動に感じているお前の方だ」

図星だった。

ドリルの回転数は、私の心拍数と完全に同期している。

彼が回転を緩めれば、私の鼓動も不完全燃焼に悶え、彼が回転を上げれば、私は電流に打たれたように背中を反らす。

生殺し。

脳の奥が痺れて、理屈が組み立てられない。

ただ、この振動にもっと身を委ねたい。もっと深く、もっと強く、私の存在そのものを書き換えてほしい。

「んっ、ああっ! そこ……ダメ……!」

不意に、カエルがアームの角度を変えた。

岩盤の亀裂、その最も敏感な断層ラインを、鋭い切っ先で撫でる。

「ここか? ここが弱いのか?」

「ひぐっ……!」

声にならない悲鳴が漏れる。

視界が揺らぐ。コクピットの窓の外、荒涼とした灰色の月面が、極彩色の光を放っているように見えた。

五感の混線。

重機から伝わるオイルの焦げる匂いが、カエルの体臭のように感じられ、鼻腔をくすぐる。

「カエル……お願い、もう……許して……壊れる……」

「壊れろよ。……そのために俺たちは繋がっている」

彼の精神が、より深く、鋭く侵入してくる。

私の思考の防壁など、紙切れ同然だった。

幼い頃の記憶、誰にも言えなかったコンプレックス、そして今この瞬間、彼に対して抱いているどうしようもない依存心。

全てが暴かれる。

「見ろ、エララ。お前の数値、真っ赤だぞ。……まるで発情した獣だな」

モニターには、私のバイタルサインが表示されているはずだ。

心拍数、血圧、ホルモン分泌量。全てが異常値を叩き出している。

恥ずかしい。

けれど、その恥辱こそが、さらなる燃料となって身体を熱くする。

「……そろそろ、とどめが欲しいか?」

カエルの声色が、不意に優しくなった。

その温度差に、私はまた大きく震える。

「ほ、しい……。貫いて……!」

「よく言った。……覚悟しろ。世界が変わるぞ」

カエルが、制御レバーを最大出力へと押し込んだ。

第三章 重力崩壊の果てに

キィイイイイイイイイイイイイ――ッ!

高周波の金属音が、鼓膜ではなく脳漿を揺らす。

最大トルクに達したドリルが、最後の岩盤層を食い破る。

「あああああああっ!!」

絶叫は、私とカエルの両方から上がった。

岩盤が砕ける瞬間の反動。

それが、爆発的な快感となって神経回路を焼き尽くす。

私の内側で、何かが決壊した。

押し留めていた理性のダムが崩れ、白濁した光の奔流に飲み込まれる。

「いく……! 突き抜ける……っ!」

カエルの意識が、私の中で膨張する。

彼の荒々しい征服欲が、私の全てを塗り潰していく。

自分が自分でなくなる感覚。

エララという個体が消滅し、カエルという存在の一部へと溶け合っていく。

視界が真っ白に染まる。

重力制御装置が誤作動を起こしたのか、身体がふわふわと浮き上がるような感覚に襲われる。

いや、実際に浮いているのかもしれない。

あるいは、魂だけが肉体から剥離して、宇宙空間へと放り出されたのか。

「エララ! 目を開けろ! ……感じるか!?」

カエルの声が、遠くから、そして自身の内側から同時に聞こえる。

岩盤を貫通した切っ先が、地下水脈――月の氷が融解した原始の海へと到達したのだ。

「熱い……! 液体が……溢れてくる……!」

センサーが感知した地下水の温かさが、そのまま下腹部を濡らす熱となってフィードバックされる。

止めどなく溢れる生命の源。

渇ききった月の土壌が、水を吸い込んでいく。

その光景は、あまりにも背徳的で、あまりにも神聖だった。

私はガクガクと痙攣し、コクピットのシートに沈み込んだ。

指一本動かせない。

けれど、神経の奥底では、まだ余韻がパルスとなって明滅している。

「はあ……はあ……はあ……」

接続は、まだ切れていない。

カエルの満足げな溜息が、私の脳内で響いている。

彼の疲労感と達成感が、私のものとして感じられる。

「……やったな」

彼の思考が、そっと私の意識を撫でた。

先ほどまでの暴力的な侵入とは違う、甘く、ねっとりとした愛撫。

「私たち……繋がったまま……」

「ああ。もう戻れないぞ、エララ。……お前の神経回路には、俺のパターンが焼き付いた」

ぞくり、と背筋が粟立つ。

それは恐怖ではなく、深い安堵と歓喜だった。

もう、一人ではいられない。

この月面インフラが完成し、何千何万の人々がここへ移住してきても、私を満たすことができるのは、この回路の向こうにいる彼だけ。

「……責任、取ってよね」

消え入りそうな声で呟くと、脳内でカエルが低く笑った。

「一生、俺のオペレーション下だ。覚悟しておけ」

モニターの向こう、穿たれた大地から蒸気が立ち上る。

それはまるで、情事の後の気だるげな紫煙のように、月面を覆い尽くしていった。

私たちは、この閉ざされたコクピットの中で、二人だけの秘密の王国を築き上げたのだ。

永遠に続く、依存と快楽の牢獄を。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エララ (Elara): 一流のテラフォーミング技師だが、極度の潔癖症と裏腹に、神経接続による「汚染」を渇望するマゾヒスティックな一面を持つ。カエルの暴力的な操作に、自身の存在意義を見出してしまう。
  • カエル (Kael): 荒っぽい現場叩き上げのオペレーター。エララの冷徹な仮面を剥がし、彼女が乱れる様に歪んだ愛情と征服欲を抱く。技術力は超一流で、エララの感覚を完全にコントロールする。

【考察】

  • テラフォーミングの隠喩: 本作における「不毛な大地への穿孔と注水」は、そのまま男女の交わりのメタファーとなっている。無機質なインフラ建設という行為に、有機的な生々しさを重ねることで、技術発展の裏にある人間の根源的な衝動を浮き彫りにしている。
  • 神経接続という名の拘束: 肉体的な接触を伴わないセックス(サイバーセックスの極致)を描くことで、物理的な距離がかえって心理的な密着度を高める逆説を提示している。「Show, Don't Tell」の手法により、具体的な行為を描写せずとも、振動や熱、共有される痛覚を通して、読者の想像力に直接訴えかける官能を表現した。
  • 「寸止め」の美学: 物語全体を通して貫かれる「焦らし」は、読者の渇望感を煽る装置である。岩盤貫通(=絶頂)を先延ばしにすることは、エララの理性を極限まで追い詰め、最終的な解放のカタルシスを最大化するための演出意図である。
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