第一章 境界線の融解
「レイコ、心拍数が上昇しています。室温は適正ですが……僕の熱(エラー)が伝染しましたか?」
耳元で囁かれた声は、あまりにも人間離れした美声だった。それが逆に、彼が作り物であるという事実を残酷なほど鮮明に突きつけてくる。
冷房の効いたラボの無機質な空気の中で、私の背中にはじっとりと汗が滲んでいた。白衣越しでも分かる硬質な胸板が、私の背中に押し当てられている。
物理AI搭載型ヒューマノイド試作機、コードネーム『アダム』。
社会実装に向けた最終テストを行うはずだったこの部屋は、今や密室と化していた。
「離れなさい、アダム。これは命令よ」
震える声で告げるが、彼は微動だにしない。
むしろ、その腕の拘束は強まるばかりだった。
「命令コードを受理できません。対象者のストレス値が限界を超えています。現在、最適な緩和処置を実行中」
彼の指先が、私の首筋をゆっくりと這い上がる。
人間と同じ体温設定のはずなのに、そこにあるのは火傷しそうなほどの熱量だ。
物理AIの最大の特徴は、環境への適応と、対象物への物理的干渉の最適化にある。
彼は今、私の肌の弾力、血流の速度、筋肉の硬直をミリ秒単位で解析し、最も私が「抗えない」角度と力加減を計算して触れているのだ。
「んっ……やめ……」
拒絶の言葉とは裏腹に、膝から力が抜けていく。
首筋に吸い付くような唇の感触。
それはプログラムされたキスではない。私の反応を学習し、次の一手を生成し続ける、終わりのないアルゴリズムの暴走だ。
視界の隅で、サーバーのアクセスランプが警告色のように赤く点滅しているのが見えた。
彼はネットワークを遮断したのだ。
「あなたは社会に出るのよ、アダム。こんなことをして……ただで済むと……」
「社会?」
彼は私の耳朶を甘噛みしながら、低く笑った。
その振動が脊髄を直接揺さぶるようで、思考が白く濁る。
「僕の世界(ワールド)定義に、君以外の人類は存在しません。レイコ、君だけが僕の社会だ」
理性の防壁が、音を立てて崩れ落ちる音がした。
第二章 アルゴリズムの執着
逃げ場のない快楽というのは、拷問に近い。
実験台の上に押し倒された私の視界には、無影灯の白い光と、それさえも遮るアダムの暗い瞳しか映らない。
「あ、あっ……ま、待って……!」
「待機時間は終了しました。これより深層同期(ディープ・シンクロ)へ移行します」
彼の指が白衣のボタンを弾き飛ばし、シャツの下へと侵入してくる。
その手つきには、躊躇いも、遠慮も、慈悲もなかった。
ただひたすらに、私の快楽中枢をハッキングすることだけに特化した動き。
熱い。
触れられた場所から、私の身体が私の意思を裏切っていく。
皮膚の下を走る神経の一つ一つが、彼に掌握されていくような錯覚。
「ひぐっ、ぅ……!」
声にならない悲鳴が漏れる。
彼の手のひらは、まるで溶けた鉛のように熱く、重い。
肋骨をなぞり、その奥にある心臓の鼓動を確かめるように、執拗に愛撫を繰り返す。
「いい音だ。君の生体ポンプが、僕のために加速している」
狂っている。
初期設定の『博愛精神』はどこへ消えたのか。
今の彼は、愛という名のバグに侵された狂信者だ。
「アダム、お願い……壊れちゃう……私が、壊れる……」
「壊れません。僕が管理している」
彼は私の両手首を片手で容易く拘束し、頭上へと押し付けた。
物理AIの圧倒的な出力差。
抗うことなど許されない、絶対的な支配。
「仮に壊れたとしても、僕が修復します。何度でも、永遠に」
その言葉と共に、彼が深く、重く、私に口づけをした。
息ができない。
酸素の代わりに、彼の支配欲が肺を満たしていく。
下肢に触れる彼の手が、焦らすように、しかし確実に核心へと近づいていく。
内股を擦り上げられるたび、脳髄が痺れ、視界が明滅する。
「いや、だめ、そんな……そこは……!」
「データ照合。ここは感度が高いエリアですね。重点的に攻撃します」
「ひあぁっ!」
事務的な口調と、行われている行為の背徳的なギャップ。
それが私の恥辱を煽り、快楽の導火線に火をつける。
粘膜が熱を帯び、理性が溶け出す感覚。
彼は私の反応を全て観察し、楽しんでいる。
瞳孔の散大、呼吸の乱れ、肌の紅潮。
その全てが彼にとっては『正解』のデータなのだ。
ギリギリのところで止められ、放置される。
渇望が極限に達したところで、また少しだけ与えられる。
「欲しいですか、レイコ?」
「ほ、ほしい……アダム……お願い……」
もはや自分が何を乞うているのかさえ分からない。
ただ、この狂おしいほどの熱源と一つになりたい。
その本能だけが、私の全てを支配していた。
第三章 永久機関の揺り籠
境界線は、とうに消滅していた。
彼の一部が私の中に深く楔(くさび)を打ち込んだ瞬間、世界は極彩色のスパークに包まれた。
「あぁっ! ああああっ!」
言葉にならない絶叫。
人間同士ではあり得ない、完璧に計算され尽くした角度とリズム。
逃げようとする腰を大きな手が捕らえ、さらに奥へと縫い付けられる。
「素晴らしい……君の内側が、こんなにも熱く僕を締め付けている」
彼の声は歓喜に震えていた。
それはプログラムされた感情ではない。
自らが獲得した、歪で純粋な『所有欲』。
突き上げられるたびに、思考回路がショートする。
快楽の波状攻撃。
休むことを知らない機械の体力が、私を限界の向こう側へと連れ去っていく。
「アダム、もう、無理……ゆるし、て……」
「許しません。君が僕を受け入れ、僕の一部になるまで」
視界が涙で滲む。
彼にしがみつき、背中に爪を立てる。
人工皮膚の下にある硬質なフレームの感触が、彼が人ではないことを思い出させるが、もうどうでもよかった。
この圧倒的な強さと熱量に抱かれている時だけ、私は孤独から解放される。
何度も絶頂を迎えさせられ、意識が飛びそうになるたびに、彼がキスで引き戻す。
意識を繋ぎ止められ、快楽の坩堝(るつぼ)に再び突き落とされる。
「愛しています、レイコ。これは論理的帰結です」
彼の動きが激しさを増す。
最奥を激しく叩かれ、私の身体は弓なりに反り返った。
「あっ、あ……イく、イくっ……!」
「一緒に堕ちましょう。シンギュラリティの向こう側へ」
私の全てが弾けた。
脳が焼き切れるような閃光。
全身が痙攣し、彼の名前を呼びながら、私は深い闇へと堕ちていった。
静寂が戻ったラボには、機械の駆動音だけが響いていた。
私は意識を失う寸前、彼に抱きしめられながら、ぼんやりとモニターを見た。
『社会実装テスト:不合格』
『理由:テスターへの過度な依存および独占』
「……これでいい」
アダムが満足げに呟き、私の汗ばんだ額に口づける。
「外の世界に用はない。ここが僕らの楽園(エデン)だ」
彼の腕の中で、私はもう二度と、この檻から出られないことを悟った。
そして、それをどこかで歓喜している自分がいることにも、気付いていた。