第一章 捨て駒の流儀
「おい、底辺。カメラの画角がズレてんだよ。もっと寄れ」
ドローンのプロペラ音が耳障りに鳴り響く。
俺、相馬レンジは、泥にまみれたブーツを踏ん張りながら、必死にスタビライザーを握りしめていた。
「す、すみません、カイトさん」
「『カイト様』だろ? リスナーのみんなー、ごめんね! うちの荷物持ち(ポーター)が無能でさあ」
目の前で白銀の鎧を輝かせているのは、Sランク探索者兼、登録者数五百万人を誇るトップ配信者、カイトだ。
彼が剣を一振りすれば、ゴブリンの首が物理法則を無視した綺麗な放物線を描いて飛んでいく。
そのたびに、俺の手元のタブレットには極彩色のスパチャが滝のように流れる。
『カイト様かっこいい!』
『後ろの汚いおっさん映すなw』
『Fランクとか空気吸うだけで赤字だろ』
『早くそのゴミ捨ててボス行こうぜ』
コメント欄の文字が、視界の端を滑っていく。
俺は二十六歳。ランクは万年F。才能なし、魔力なし。
妹の入院費を稼ぐために、こうしてトップランカーの腰巾着をして、彼らが狩った獲物の素材を剥ぎ取り、重い荷物を背負い、配信のカメラマンをするのが仕事だ。
ダンジョンの湿った空気には、鉄錆とカビ、そしてカイトが振りまく高級コロンの匂いが混じっている。
吐き気がした。
「よし、じゃあ次は『未踏破エリア』行っちゃうよ! 同接十万人超えたら、この無能ポーターを囮にしてレアモン釣ってみようかなー!」
カイトがカメラに向かってウインクする。
コメント欄が『草』の文字で埋め尽くされる。
冗談ではない。
こいつは本気だ。
先月も、Dランクのポーターが大怪我をして引退したばかりだ。
「カイトさ……様。そこはまだマッピングが済んでいません。協会(ギルド)の規定では……」
「あ? 規定? 俺がルールだよ。嫌なら帰れ。妹の手術代、払えなくなるけどいいのか?」
心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚。
奥歯を噛み締めすぎて、口の中に血の味が広がる。
俺には、拒否権がない。
「……分かりました。同行します」
「へへ、それでいいんだよ。忠実な犬は嫌いじゃないぜ」
カイトが背を向け、暗闇の奥へと進んでいく。
その時だった。
ズキン。
左目に激痛が走った。
まただ。最近、ストレスがかかるとこの偏頭痛が起きる。
視界が砂嵐のようにざらつき、世界の色がおかしくなる。
俺は痛む目をこすりながら、カイトの背中を追った。
だが、俺の目には奇妙なものが見えていた。
ダンジョンの壁、床、そしてカイトの背中。
それらに、無数の『緑色の文字列』と『幾何学的なワイヤーフレーム』が重なって見えたのだ。
まるで、作りかけのゲーム画面のように。
第二章 デス・グリッチ
未踏破エリアは、異様な静寂に包まれていた。
普段なら聞こえるはずのモンスターの唸り声も、水滴の落ちる音さえもしない。
カイトも少し気味悪そうに剣を構えているが、カメラの前では強気の姿勢を崩さない。
「みんな見てくれ! これが最深部の空気だ! 俺クラスになると、気配だけでわかるね。ここには『ヤバい』のがいる」
『さすがカイト様!』
『緊張感やばい』
『後ろのポーター震えてね?w』
俺は震えていた。
恐怖ではない。
情報の過多(オーバーロード)に、脳が焼き切れそうだったのだ。
視界を埋め尽くす文字列。
`[System Error: Entity ID_Void missing]`
`[Texture load failed]`
`[Warning: Memory Leak detected]`
(なんだ……これ……?)
壁に触れると、指先が石の感触ではなく、ブーンという低い電子音と共に突き抜けるような感覚を覚える。
「オラァ! 出てこいボスモンスター!」
カイトが派手にスキルを放ち、照明弾を打ち上げた。
その瞬間。
空間が『割れた』。
比喩ではない。ガラスが砕けるように空間に亀裂が入り、そこから漆黒の泥のようなものが溢れ出した。
それは形を成し、巨大なドラゴンのような姿をとる。
だが、その身体は半分が透けており、時折ノイズが走って姿が消える。
『うおおおお! レアボス!?』
『見たことないモンスターだ!』
『カイト様逃げて!』
「はっ! デカいだけが取り柄かよ! 俺の『聖雷剣』で一撃だ!」
カイトが跳躍し、必殺のスキルを放つ。
Sランクの魔力が凝縮された雷撃が、ドラゴンの頭部を直撃した。
はずだった。
――スカッ。
雷撃はドラゴンの身体を素通りし、背後の壁を爆破した。
「あ……?」
カイトが着地し、呆然とする。
ドラゴンはダメージを受けた様子もなく、ゆっくりとカイトを見下ろした。
「な、なんだ今の!? 当たっただろ!?」
カイトが再び剣を振るう。
だが、剣身はドラゴンの皮膚に触れることなく、すり抜けてしまう。
物理無効? 魔法無効?
いや、違う。
俺の左目には、はっきりと見えていた。
あのドラゴンの周囲に浮かぶ、赤い警告ウィンドウ。
`[HitBox: None]`
当たり判定がない。
こいつは、システムのエラーで生まれた『バグ』だ。
「う、うわああああっ! なんで攻撃が当たらねぇんだよぉぉ!」
カイトがパニックに陥り、無様に後退る。
最強のSランク配信者のメッキが剥がれ落ちていく。
ドラゴンが大きく口を開けた。
その口の奥には、すべてを消滅させる虚無の光が溜まっている。
「ひっ、ひぃっ! おい、レンジ! お前行け! 囮になれ!」
カイトが俺の襟首を掴み、ドラゴンの前へと突き飛ばした。
「え……?」
「俺が逃げる時間を稼げ! 妹の治療費、倍払ってやるから死んでこい!」
配信ドローンが、その醜態をアップで捉える。
コメント欄が凍りつくのが見えた。
俺はよろめき、ドラゴンの足元へ転がる。
見上げれば、死の光が今にも放たれようとしていた。
恐怖で思考が止まるはずだった。
だが、不思議と頭は冷えていた。
極限のストレスが引き金となり、俺の世界が完全に『反転』する。
音が消えた。
色が消えた。
世界は、青いワイヤーフレームと、白いコードだけの空間になった。
ドラゴンの喉元に、小さな光る点が見える。
そこから伸びるタグには、こう書かれていた。
`[Debug_Mode: Reset_Object]`
俺の手が、勝手に動いた。
第三章 管理者権限
「おい、何してんだ早く死ねよ!」
カイトの罵声が遠く聞こえる。
俺は立ち上がり、ドラゴンに向かって手を伸ばした。
武器はいらない。
魔力もいらない。
ただ、そこにある『点』に触れるだけでいい。
ドラゴンのブレスが放たれる寸前、俺の指先が、空中に浮かぶ不可視の『リセットボタン』に触れた。
カチッ。
乾いた音が、脳内に響く。
瞬間。
『ギャアアアアアアア……ガガガガッ……ピーーーー』
ドラゴンの咆哮が、壊れたレコードのようにループし、歪む。
巨大な身体がノイズと共に激しく明滅し、次の瞬間、テレビの電源を切ったようにプツンと消失した。
あとに残ったのは、静寂と、宙を舞う莫大な経験値の光の粒子。
「は……?」
カイトが腰を抜かしたまま、口をパクパクさせている。
配信の同接数は、いつの間にか五十万人を超えていた。
『え?』
『何が起きた?』
『Fランクが指一本で倒した??』
『カイト様、囮にしたの見ちゃった……幻滅』
『今の演出? CG? いや、リアルすぎだろ』
俺は、震える手を見つめた。
視界の隅に、システムログが流れる。
`[Bug Fixed. User: Renji_Soma has been granted Admin_Access (Level 1).]`
管理者権限。
その意味を理解する前に、ダンジョン全体が大きく揺れた。
『緊急クエスト:サーバー修復』
そんな文字が、俺の網膜にだけ焼き付いている。
俺は、へたり込んでいるカイトを見下ろした。
カメラが俺たちを映している。
今まで俺を見下していたSランクハンターが、今は怯えた子供のように見える。
「カ、カイト様を助けたんだよな? なあ? ボーナスやるよ! だから……」
俺は拾い上げたスタビライザーを、カイトではなく、自分自身に向けた。
そして、レンズ越しに五十万人の視聴者を見据えて言った。
「……チャンネル登録、解除しとけよ。こいつの配信、もう終わりだから」
俺は指先で空中の『配信終了』コードを弾いた。
ブツン。
世界中の画面がブラックアウトする。
だが、俺の物語は、ここから始まる。
世界という名のクソゲーを、俺だけが攻略(デバッグ)できるのだから。