雨上がりのオゾンと、むせ返るような赤錆の匂い。
海に沈みゆく廃線の上。夕陽が血のような赤を落としていた。
少し癖のある黒髪を、海風が乱す。
凪は光を吸い込む深い群青色の瞳で、眼下に広がる滅びの景色を見下ろす。
洗い晒しの白いシャツは波しぶきで重く肌に張り付く。首元の黒いチョーカーが、喉仏の動きを窮屈に締め上げていた。
細身の黒いパンツの裾からは、冷たい海水が絶え間なく滴り落ちる。
[Flash]空が、割れた。[/Flash]
ガラス細工が砕けるような微かな高音。星屑のような青い結晶のスコール。
圧倒的な、光の乱舞。
凪の腕の中に、一人の少女が崩れ落ちる。
月光を紡いだような銀色の長髪。透き通る病的な白い肌と、風に煽られる薄手の白いワンピース。
腕に巻かれた汚れた包帯の隙間。そこから、ぞっとするほど美しい青い結晶が皮膚を突き破って咲き乱れている。
[A:ナギ:狂気]「綺麗だよ、灯」[/A]
凪の手に握られた、古い軍用ナイフ。
刃先は迷いなく、灯の華奢な胸の真ん中を貫く。
生温かい鮮血。それが凪の白いシャツをどす黒く染め上げた。
口の中に広がるのは、咽返るような血の鉄の味。
[A:アカリ:愛情]「……うん、凪くん」[/A]
薄紫色の瞳が、ゆっくりと細められる。
唇の端から一筋の血を零し、灯はふわりと微笑んだ。
微かに痙攣する眉間。指先が凪の頬を弱々しく撫でる。
[A:ナギ:愛情]「何度だって、君が一番綺麗な瞬間に迎えに行くよ」[/A]
[Whisper]愛している。[/Whisper]
だから、醜い世界の生贄になる前に、殺す。
凪はナイフを深く捻り、彼女の鼓動を完全に停止させた。
[Pulse]ドクン、[/Pulse]と、世界が大きく脈打つ。
[Glitch]空間が歪む。[/Glitch]
重力の逆転。空から降る青い結晶が天へと昇り始める。
時計の針が逆回転し、錆びた歯車が悲鳴を上げた。
愛する者の胸に刃を突き立てる感触。それを手のひらに残したまま、凪は歪む視界の中で昏い笑みを浮かべる。
世界を巻き戻す、狂気に満ちたループの始まり。
◇◇◇
第二章: 硝子の街の雨音
とめどなく降り続く雨。水鏡の街を単調なリズムで打ち据える。
水上都市・第4区。錆びたトタン屋根の下で、凪は冷え切ったラムネの瓶を手のひらで転がした。
結露した水滴が指先を滑り落ちる。ひんやりとしたガラスの質感が、熱を持った肌に心地よい。
[A:アカリ:喜び]「見て、凪くん。雨の粒が光ってるよ」[/A]
軒先から身を乗り出し、薄紫色の瞳を輝かせる灯。
銀色の髪から滴る雨水。白いワンピースの裾が濡れるのも構わず、彼女は空を見上げていた。
包帯の下に隠された痛々しい真実など、今は微塵も感じさせない。
[A:ナギ:愛情]「あんまり身を乗り出すと落ちるぞ」[/A]
[A:アカリ:照れ]「えへへ、大丈夫だよ。凪くんがいる世界が、私は大好きだから」[/A]
[Think]どうか、この時間が永遠に続いてほしい。[/Think]
古いフィルムカメラを構え、ファインダー越しに彼女の笑顔を切り取る。
カシャ、と乾いたシャッター音。それは湿った空気にあっけなく吸い込まれた。
「……平和なこったね」
背後から響く、紫煙を纏った嗄れ声。
無造作な赤髪のショートボブ。鋭く見透かすような三白眼の金色の瞳が、凪を冷ややかに見下ろしている。
ボロボロの白衣を羽織ったシオン。電子煙草を深く吸い込み、青白い煙を吐き出した。
指先には、黒いインクの染みがこびりついている。
[A:ナギ:怒り]「何の用だ、シオン。邪魔しないでくれないか」[/A]
[A:シオン:冷静]「観測のついでさ。君のその無意味な行為が、どれだけ世界をすり減らしているか……忠告しに来てやったんだよ」[/A]
シオンの金の瞳が、灯の後ろ姿を捉えて微かに揺らぐ。
[A:シオン:冷静]「愛なんてバグだ。世界を壊す、最悪で最高に厄介なバグだよ」[/A]
[A:ナギ:怒り]「俺は灯を救う。何度でも、運命に抗ってみせる」[/A]
シオンは鼻で笑い、電子煙草を携帯灰皿に押し付ける。
[A:シオン:冷静]「……そうか。なら、せいぜい頑張るんだね。それが誰の血で贖われているかも知らずに」[/A]
白衣の裾を翻し、シオンは雨の中へと消えていく。
凪は奥歯を噛み締めた。
その言葉の裏に隠された致命的な毒。それに気づくには、まだ早すぎる。
足元の水鏡に映る街の灯りが、不吉な明滅を繰り返していた。
◇◇◇
第三章: 剥がれ落ちる世界の嘘
旧大陸・最果ての観測所。
壁一面を埋め尽くすのは、古いレコードと書籍の山。
シオンが差し出したブラックコーヒー。そこからは、胃の腑を焼くような焦げた匂いが立ち昇っている。
凪はカップを受け取らず、冷たい金属製のテーブルを睨みつけた。
[A:ナギ:怒り]「どういうことだ。灯の結晶化が、前回のループより早まっている」[/A]
[A:シオン:冷静]「当然だろ。彼女の魂の残量が、もう限界を迎えているんだから」[/A]
シオンは金色の瞳で、凪を真っ直ぐに射抜く。
眉一つ動かさない、酷薄なまでの真実の刃。
[A:シオン:冷静]「君は大きな勘違いをしている。時間を巻き戻しているのは、君じゃない」[/A]
[Impact]『灯』だ。[/Impact]
[Pulse]ドクン。[/Pulse]
凪の心臓が、肋骨を突き破らんばかりに跳ねた。
呼吸の仕方を忘れたように、喉がヒューヒューと鳴る。
[A:ナギ:驚き]「嘘だ……俺が、記憶を保持して、あいつが化け物になる前に殺して……!」[/A]
[A:シオン:冷静]「違うね。君が殺すたび、あの娘は己の命と記憶を削って世界を再構築し続けている。本当の死の運命にあったのは、凪、君の方だ」[/A]
シオンの指先が、空中に浮かぶ幾何学的なホログラムの軌跡をなぞる。
そこに浮かび上がるのは、無数に分岐し、そして途切れる赤い光の線。
[A:シオン:悲しみ]「灯は、君を延命させるためだけにループを発動している。君が『彼女を救うため』にナイフを突き立てるその瞬間、彼女の魂が砕け……それが空から降る『青い結晶』となって、この世界を滅ぼしているんだよ」[/A]
膝から力が抜け、凪は冷たい床に崩れ落ちた。
[Tremble]指先が、止まらない。ガタガタと全身が震える。[/Tremble]
己の救済行為そのものが、最愛の人を破壊し、世界を滅ぼす元凶。
「綺麗だよ」と囁きながらナイフを突き立てるたび、灯はどんな思いで微笑み返していたのか。
[A:ナギ:絶望]「あ、あ、ああ……っ!」[/A]
喉の奥から漏れる、獣のような嗚咽。
視界が急激に歪み、吐き気が込み上げる。
爪を立てて床を掻きむしり、自らの皮膚を裂きながら泣き叫んだ。
[Glitch]救済は、殺戮だった。[/Glitch]
床に落ちた古いフィルムカメラのレンズ。それが、ひび割れた凪の顔を無慈悲に映し出している。
◇◇◇
第四章: 砕けた祈りと拒絶
廃線跡の錆びた鉄橋。
吹き荒れる風が、灯の銀髪を狂ったように煽る。
引き裂かれた包帯。彼女の腕から首筋にかけて、鋭利で冷酷な硬さを持つ青い結晶が完全に肌を覆い尽くそうとしていた。
[A:アカリ:悲しみ]「もう、やめて、凪くん……っ」[/A]
薄紫の瞳からこぼれ落ちる、大粒の涙。
結晶化した指先で、灯は凪の胸を力なく押しのけた。
[A:アカリ:悲しみ]「私のために、ループを繰り返させないで。これ以上、凪くんに私を殺させたくない……っ! 私を忘れて、一人で生きて……!」[/A]
灯は、結晶化した右手を自身の首元へと伸ばす。
自らの命を絶ち、永遠にループの連鎖を断ち切るために。
だが、その手が刃を形成するより早く。凪は彼女の細い手首を、骨が軋むほどの力で乱暴に掴み上げた。
[A:ナギ:怒り]「ふざけるな!!」[/A]
[Shout]「一人で生きろだと!? 君がいない世界で、息をして何の意味がある!!」[/Shout]
凪の群青の瞳が、血走った狂気に染まる。
激しく上下する喉仏。ギリリと奥歯が砕けそうなほど軋む音が響いた。
[A:アカリ:恐怖]「な、ぎくん……お願い、わかって……」[/A]
[A:ナギ:狂気]「わからない。俺は君の願いなんか、絶対に叶えてやらない」[/A]
凍りつくような冷気が二人を包み込む。
空がひび割れ、無数の青い結晶が雪のように降り注ぎ始めた。
世界の崩壊。その最終段階。
凪は、灯の「生きてほしい」という最後の祈りすらも、泥靴で踏みにじる。
[A:ナギ:狂気]「君が生きられないなら、こんな世界、残す必要なんてない」[/A]
凪は狂ったように嗤う。自身の唇を噛み切り、血を滴らせながら。
世界を道連れにしてでも、彼女を手放さない。
シオンの「愛はバグだ」という言葉が、脳裏で反響していた。
理性を完全に投げ打った少年の手は、ただ一つ、禁忌の扉へと向けられる。
◇◇◇
第五章: 千回目の心中
世界の心臓部、星の核。
脈打つ巨大な青い光の結晶体が、空中に浮かび上がっている。
周囲の空間は既に崩壊。無重力の中でガラスの破片のような陸地が漂っていた。
凪は灯を抱き寄せたまま、星の核の中枢へと手を伸ばす。
[A:ナギ:冷静]「システム、強制オーバードライブ」[/A]
[Magic]《クロノス・リヴァーサル:ゼロ》[/Magic]
[Flash]視界が、純白に染まった。[/Flash]
鼓膜を破るような轟音。空が完全に砕け散る。
光の奔流があらゆる物質を飲み込む。世界そのものが原子のレベルへと分解されていく圧倒的な情景。
その滅びの中心で、二人は寄り添う。
[Sensual]
凪は灯の腰を強く抱き寄せ、その青く結晶化した冷たい唇に、深く口づけを落とした。
血と涙の味が混ざり合う、甘く、酷薄な感触。
灯の銀髪が凪の黒髪に絡みつき、二人の体温が一つに溶け合っていく。
[A:アカリ:愛情]「……馬鹿な人。本当に、どうしようもないんだから」[/A]
唇を離し、灯は薄紫の瞳を細めて微笑んだ。その瞳の奥には、狂気を孕んだ凪の顔が映っている。
凪の指先が、彼女のうなじを優しく撫でる。
[A:ナギ:愛情]「これで、ずっと一緒だ。誰にも、この世界にも、君を奪わせない」[/A]
[/Sensual]
崩壊の最も美しい瞬間。
青い光が二人を包み込み、時間が、永遠に凍結する。
システムを暴走させた代償。それは世界の完全な滅びと引き換えに、この刹那を「永遠の琥珀」として宇宙に留め置くという、歪み切った救済。
[FadeIn]静寂。[/FadeIn]
音の一切ない無の空間。抱き合ったままの少年と少女の彫像が、青い光を放ちながら静かに漂っている。
狂気の果てに手に入れた、何者にも不可侵の永遠。
星屑の降る海の底で、千回目の心中は、ついに完璧な結末を迎えた。
二人の口元に刻まれるのは、永遠に消えることのない微笑み。