第一章: 異常な引力
生ぬるい水が足首にまとわりつく。
ひんやりとした感触の裏に、鼻腔を激しく突く古い鉄錆の匂い。
夕暮れの教室。並んだ机は半ばまで澄んだ青に沈み、水面は空の異常を克明に映し出す。
空には、あり得ないはずの極彩色のオーロラ。
そこから、青く発光する[Flash]「星の砂」[/Flash]が雪のように降り注ぐ。
少し長めの黒髪から、ポタリと落ちる水滴。
神城朔は虚ろな三白眼を見開き、目の前の少女を凝視した。
着崩した半袖の夏服は、常にどこか濡れている。隈の濃い目の下。そして首筋に走る、幾筋もの白く薄い傷跡。脈打つたびに微かに引きつる古傷。
[FadeIn]透き通るような白い肌。色素の薄い亜麻色のボブヘア。[/FadeIn]
清楚な夏服のセーラー服を纏った水瀬結が、水没した教卓の前で振り返る。
彼女の右手首から先。うっすらと青いガラスのように透けているではないか。
[A:水瀬 結:悲しみ]「また私を、こんなに痛い目に遭わせるの?」[/A]
優しく、ひどく寂しげな響き。
朔の喉仏が上下に動く。口の中に広がる、じわりと甘い血の鉄の味。奥歯を噛み砕くほど強く食いしばった証拠。
[A:神城 朔:絶望]「違う。俺は、君を」[/A]
言い終えるより早く。
[Glitch]パァン、と。[/Glitch]
甲高い音を立てて砕け散る、結の右腕。
無数の青い破片が水面に落ち、波紋を広げる。結は微笑んだまま、足元からガラス細工のように崩壊していく。
[A:神城 朔:狂気]「待て! まだだ、まだ間に合う!」[/A]
朔の手が探り当てたのは、ポケットの中の冷たい金属。
使い古されたアーミーナイフ。
躊躇いなど、とうの昔に擦り切れている。
[Think]何度だって巻き戻す。君が笑って明日を迎えられるまで。[/Think]
朔はナイフの刃を、自らの首筋の古い傷跡に迷いなく突き立てる。笑みを浮かべながら。
[Impact]肉を裂く、鈍い音。[/Impact]
熱い液体が胸元を濡らす。視界が急速に赤く染まり、明滅。
何百回目かの、狂気じみた日常。
水没した駅の改札。
銀色の長い髪と深い青の瞳を持つ案内人。大正ロマン風の着物に黒い袴を合わせた星詠が、裸足で水面を歩いてくる。
[A:星詠:冷静]「また砂が零れました。あなたの愛は、世界には重すぎるようです」[/A]
響く、無機質な声。
[A:神城 朔:怒り]「うるさい……! 次こそは、俺が……!」[/A]
意識が、暗闇の底へと急速に引っ張られる。
首から噴き出す血の熱さが、朔の狂気を奇妙なほど冷ややかに彩っていく。この残酷な儀式が、すべてを救う唯一の道。
◇◇◇
第二章: 痛みの蓄積
強烈な陽射しが眼球を灼く。
[Tremble]けたたましい蝉時雨。[/Tremble]
もくもくと湧き上がる入道雲。錆びた線路から立ち上る陽炎。
時間は、一ヶ月前の夏へと巻き戻った。
[A:蒼井 蓮:怒り]「おい朔! またぼーっとしてる。熱中症か?」[/A]
ぶっきらぼうな声に、朔はゆっくりと瞬きをする。
短く刈り込んだ茶髪、意志の強い鋭い目つき。日焼けした肌に白いTシャツを着た蒼井蓮が、冷えた缶のブラックコーヒーを朔の頬に押し当てた。
[A:神城 朔:驚き]「冷たっ……! 悪い、蓮」[/A]
[A:蒼井 蓮:冷静]「結の薬、病院で新しいのをもらってきた。これで進行が遅くなるといいんだがな」[/A]
蓮の手には分厚い紙袋。彼の指先に微かに残る、ロードバイクのチェーンの油汚れ。
結の奇病。
「体が結晶化して砕ける」という未知の病魔。
それを防ぐため、朔と蓮は夏休みの全てを原因究明に費やしている。
夜。神社の裏山。
木々の隙間から見える、遠くの花火。
火薬の焦げた匂いが、夏の汗の匂いと混じり合って鼻を掠める。
[Sensual]
朔の隣で、結が夜空を見上げている。
[A:水瀬 結:喜び]「綺麗だね、朔」[/A]
[A:神城 朔:愛情]「あぁ。来年も、再来年も一緒に見よう」[/A]
朔は結の左手を、そっと握りしめる。
彼女の指先は驚くほど冷たく、けれど確かな脈動がそこにある。
結は少しだけ体を預け、亜麻色の髪から甘い向日葵の香りが漂う。
[A:水瀬 結:照れ]「……うん。約束だよ」[/A]
[/Sensual]
瑞々しく、どこまでも美しい青春の情景。
だが、朔の足元でピチャリと鳴る不吉な音。
スニーカーの底を濡らす、薄い水膜。
[A:神城 朔:恐怖]「また、水か……」[/A]
ループを繰り返すたびに、なぜか広がっていくこの街の「水没」の浸水域。
一ヶ月前なら乾いていたはずの裏山の土が、今はじっとりと水を帯びている。
世界が静かに、だが確実に崩壊へと向かっている不穏な兆候。
背筋に冷たいものが走るのを感じながら、朔は結の手をさらに強く握りしめる。骨が軋むほどの力で。
◇◇◇
第三章: 歪みと裏切り
部室棟の裏側。じめじめとした苔の匂いが充満する日陰。
蓮が、コンクリートの壁に朔を乱暴に押し付けた。
[Impact]背中を打つ鈍痛。[/Impact]
[A:蒼井 蓮:怒り]「お前のその綺麗なエゴが、あいつを殺してるんだよ!」[/A]
蓮の胸ぐらを掴む手が、小刻みに震えている。
朔は瞳孔を開き、喉の奥でくぐもった笑い声を漏らした。
[A:神城 朔:狂気]「ふふっ……何を、言ってるんだ……?」[/A]
[A:蒼井 蓮:悲しみ]「全部気づいてるんだよ。俺の親父の研究データ、全部照らし合わせた。結の体内に蓄積してる未知の物質……あれは、お前が時間を巻き戻すたびに発生する『時空の歪み』だ」[/A]
[Pulse]ドクン、と。[/Pulse]
朔の心臓が、肋骨を内側から激しく殴りつける。
[A:蒼井 蓮:絶望]「お前が助けようとするたびに! 結の体は内側から砕けていく! おまけに世界中が水没していくんだぞ!」[/A]
[A:神城 朔:狂気]「嘘だ……! 俺は、結を救うために……!」[/A]
朔の唇の端が引きつり、痙攣する。自身の髪を掻き毟る。
信じない。信じるわけにはいかない。
[A:蒼井 蓮:冷静]「だから、俺が終わらせる。結を、永遠の苦痛から解放してやる」[/A]
蓮の瞳の奥に宿る、暗く冷たい決意。
彼が懐から取り出したのは、小さなガラス瓶。無色透明の液体。
鼻を突く、甘ったるいアーモンドの匂。
[A:神城 朔:恐怖]「蓮、お前……結に、何を飲ませる気だ!?」[/A]
[A:蒼井 蓮:怒り]「お前には渡さない。あいつの尊厳は、俺が守る」[/A]
無二の親友が放つ、底知れぬ殺意。
彼もまた、結を深く愛していた。だからこそ、自らの手でその命を絶とうとしている。
蓮が身を翻し、結の待つ保健室へと駆け出す。
[Shout]「待てぇぇぇ!! 蓮っ!!」[/Shout]
喉が裂けるほど叫び、アスファルトを蹴る朔。
だが、足首に絡みつく水の重さが、歩みを無慈悲に阻む。
親友が、最愛の少女を殺しに行く。その事実が、朔の理性を根底から崩壊させていく。
◇◇◇
第四章: 痛切な別離
水はすでに、街の半分を飲み込んでいる。
屋上のフェンス。空には極彩色のオーロラが揺らめき、音もなく降り注ぐ星の砂。
手すりの外側に立ち、眼下に広がる青い星の海を見つめる結。
右手だけでなく、左腕も、首筋も、すでにガラスのように透き通っている。
[A:神城 朔:絶望]「結! やめろ、降りてこい!」[/A]
息を切らし、膝をつく朔。
ゆっくりと振り返る結の表情は、ひどく穏やかだ。
[A:水瀬 結:愛情]「ごめんね、朔。私、蓮から全部聞いちゃった」[/A]
[A:神城 朔:悲しみ]「違う、俺が……俺が全部治すから! もう一回、巻き戻せば……」[/A]
[A:水瀬 結:悲しみ]「私のために、これ以上世界を泣かせないで」[/A]
鋭い刃のように、結の言葉が朔の胸を抉る。
[A:水瀬 結:照れ]「朔の撮る写真、好きだったよ。……私のことは忘れて、明日を生きて」[/A]
結がふわりと微笑み、重力に身を任せる。
傾く体。
[Blur]視界が、ぐにゃりと歪む。[/Blur]
[Shout]「死にたくねぇなんて言えよ!! 結ぃぃぃぃぃぃ!!」[/Shout]
朔はフェンスを乗り越え、空中に身を投じた。
指先を伸ばす。結の細い手首に触れた瞬間。
[Glitch]パァン![/Glitch]
空中で無数の星屑となって砕け散る、結の体。
指の隙間をすり抜けていく青い砂。
朔の掌に残る、氷のような絶対的な冷たさ。
深海へと落ちていく、圧倒的に美しく、酷薄な光景。
脳内に響く、星詠の無機質な声。
[A:星詠:冷静]「さあ、選択の時です。このまま彼女のいない正常な明日を迎えるか。それとも……世界を犠牲にするか」[/A]
落下しながら限界まで開く朔の瞳孔。血走った眼球。
答えなど、とうの昔に出ている。
◇◇◇
第五章: 歪んだ永遠
[A:神城 朔:狂気]「ふざけるな……! 結がいない明日なんて、全部壊れてしまえぇぇ!!」[/A]
[Magic]《クロノス・リヴァーサル・オーバーロード》[/Magic]
朔の全身の毛細血管が限界を超えて弾け、空中で静止する血飛沫。
自らの命を燃やし尽くす、巨大なタイムリープ。
世界が悲鳴を上げる。空間がひび割れ、すべてを飲み込む青い光の奔流。
[Flash]閃光。そして、絶対零度の静寂。[/Flash]
凍りつく時間。
降り注ぐ星の砂も、砕け散る寸前の結の破片も、眼下の水面も。すべてが空中で静止している。
世界は完全に水没し、すべての人々の時間が永遠に停止した青の空間。
[FadeIn]静寂の中心。[/FadeIn]
朔は、空中で形を留めた結の体を強く抱きしめていた。
彼女の体温はもうない。だが、その輪郭は確かにそこにある。
[Sensual]
朔は結の透き通る頬に、そっと唇を寄せる。
ガラスのように冷たい感触。
[A:神城 朔:愛情]「結。やっと、二人きりになれたね」[/A]
返事はない。動かない瞳が、ただ虚空を見つめている。
朔は彼女の背中に腕を回し、その冷たさを全身で感じる。
[/Sensual]
傍から見れば、世界を破滅させた醜悪な狂気。
蓮が守ろうとした彼女の尊厳さえも、泥で塗り潰すようなエゴイズム。
だが、朔の虚ろな三白眼には、深い安堵の色が浮かんでいる。結の冷たい唇を自らの血で濡らしながら、狂ったように微笑む。
[A:神城 朔:喜び]「何度だって巻き戻すって、言っただろ。もう、痛くない。誰も俺たちを邪魔しない」[/A]
涙腺が崩壊するほど美しく、狂おしい光の奔流。
永遠の静寂に沈んだ青い星降る夜に、少年のいびつな愛だけが、永遠に鼓動を刻み続ける。
[Pulse]ドクン、ドクン、と。[/Pulse]
狂気に染まった、ただ一つの救済として。