第一章: 雨降る王都と白紙の楽園
錆びた鉄の臭気。冷たい雨の匂いとともに鼻腔を突き刺すのは、王都の冷徹な石畳。
水溜まりの前に立つのは、灰色の髪を緩い三つ編みに編み込んだ少女。泥に濡れた己の足元を、深いアメジストの瞳がじっと見下ろす。
着古した質素なワンピース。だが、その袖口や裾に密かに施されているのは、極彩色で精緻な刺繍。不自然なほど赤く腫れ上がった両手。見えない糸を延々と引き続けた代償として、硬いタコが指先を分厚く覆い尽くしている。それが、ルミナの「現在」。
[A:アーサー:怒り]「おい!誰か俺の靴紐を結べ!」[/A]
派手な金髪をかき上げ、アーサーが苛立ちを隠さずに怒鳴り散らす。過剰な装飾が施された豪奢な鎧。自信に満ちた碧眼に宿るのは、足元に控える少女への侮蔑のみ。敬意など微塵も存在しない。
[A:アーサー:冷静]「靴紐を結ぶことしか能がない雑用係など、我が栄光のパーティには不要だ。荷物をまとめて、とっとと消えろ」[/A]
アーサーの黄金の肩当てを弾く、無情な雨粒。
ルミナは反論しない。[Think]絡まった糸は、無理に引っぱっちゃダメなんだよ。[/Think]
喉の奥で呟き、静かに踵を返す。
[Pulse]ぷつり。[/Pulse]
胸の奥で、何かが千切れる微かな音。濡れた路地裏を歩きながら、見えない糸を引き寄せるルミナ。指先を狂ったように動かし、荒い呼吸とともに自身の「千切れた心」の結び目を、自身の血肉で不器用に縫い合わせた。
行き着いた先。それは地図にも載らない最果ての地「白紙の谷」。
ひび割れた大地。枯れ果てた樹木。支配するのは死の静寂だけ。
冷たい空気を肺の奥底まで満たすべく、ルミナは大きく息を吸い込む。両手を広げ、指先を宙に這わせた。
[Magic]《概念の綾取り・地脈紡ぎ》[/Magic]
彼女の真の特技。万物の理を解き、結び直す神の如き力。
指先が不可視の弦を弾く。荒れた大地の因果が解け、空気が微かに震動。次の瞬間、足元の岩盤が崩壊し、ふかふかの黒土が波打つように広がる。岩の隙間から噴き出したのは、むせ返るような硫黄の匂いを伴う白濁した熱い湯。
冷え切った両手を温泉に浸す。じわじわと広がる確かな温もり。
静かで、誰にも脅かされない自分だけの楽園。
しかし、その平穏を破る異変。[Pulse]ドクン、[/Pulse]と谷の境界線が歪む。
吹きすさぶ風の中、空間そのものがバグを起こしたかのように明滅。蜃気楼のような「透明な人影」が、ふらふらと谷の結界を踏み越えようとしていた。
第二章: 透明な騎士と解ける世界
朝霧が立ち込める谷間。白くたなびく温泉の湯気。
ルミナの膝の上で丸まっているのは、オーロラ色の毛糸で構成された巨大なサモエド犬のような使い魔、ノヴァ。黒曜石のボタンの瞳が、ルミナの顔を見上げて瞬きをする。
[A:ノヴァ:喜び]「ワフン!」[/A]
ノヴァの柔らかな毛並みを撫でながら、ルミナが見遣るのは傍らの丸太に腰掛ける青年。
色素の薄い銀髪。憂いを帯びた碧眼。ボロボロになった黒い騎士服を纏うシオン。だが、彼の足元や指先は、陽炎のように透けて揺らいでいる。
[Sensual]
ルミナは身を乗り出し、シオンの透けかけた左手を両手でそっと包み込む。彼女の指先が引く、微かな光の糸。シオンの脈打つ手首の裏側、そこに絡みついた「死の呪い」の因果を、一本一本丁寧に解き、再び「生」へと結び直す。
僅かに見開かれるシオンの碧眼。上下する喉仏。
[A:シオン:照れ]「俺に触れると、君の手まで透けてしまうよ……。こんな、消えゆく罪人に構う必要などないのに」[/A]
[A:ルミナ:愛情]「絡まった糸は、無理に引っぱっちゃダメなんだよ。少しずつ、解いていけばいい」[/A]
指先のタコがシオンの冷たい肌を擦る。確かな質量が、彼の手にほんの少しだけ戻った。
[/Sensual]
一方、その頃。王都の広場を包み込んでいたのは奇妙なパニック。
[A:アーサー:驚き]「な、なんだこれは!?」[/A]
[Glitch]ズリッ……バサァッ![/Glitch]
突如として全て弾け飛ぶ、アーサーの豪奢な鎧を繋いでいた革紐。音を立てて崩れ落ちる重装甲。さらにはズボンのベルト紐までが完全に解け、彼は民衆の面前で無様な下着姿を晒す羽目に。
[A:アーサー:恐怖]「誰か!靴紐を!いや、ズボンの紐を結べぇぇっ!」[/A]
王都の至る所で防具が分解し、魔法陣の因果が解け、火の玉が術者の顔面で自爆する。ルミナが裏で繋ぎ止めていた「世界の結び目」の、一気なる崩壊。
[Impact]ゴゴゴゴゴ……ッ!![/Impact]
王都の地下深く。因果の崩壊によって封印の結び目が解け、数百年眠り続けていた厄災の鼓動が目を覚ます。
白紙の谷の夜空が、突如として赤黒く染まり始めた。
第三章: 終焉の泥濘と消えゆく光
風に乗って谷に流れ込む、腐敗した泥の臭気。
地平線の彼方から這いずるように接近してくるのは、山を丸ごと飲み込むほどの巨大な泥濘の塊――「終焉の魔獣」。空を覆うのはどす黒い雲。星光一つ見えない。
毛糸の尻尾を股の間に挟み、ガタガタと震えるノヴァ。
[A:ノヴァ:恐怖]「キュウ……ッ」[/A]
ルミナの額を伝う、冷たい汗。
[A:ルミナ:恐怖]「あれは、防げない……。結び目を、完全に食い破ってる」[/A]
その横で、静かに立ち上がるシオン。彼の右手に握られているのは、柄だけが残る折れた長剣。
[A:シオン:冷静]「俺が、行く」[/A]
[A:ルミナ:驚き]「ダメだ!あんたの体はもう……」[/A]
[A:シオン:悲しみ]「俺のような罪人が生き延びるより、君の楽園を守るべきだ。透明になって消え去ることこそが、俺の世界に対する唯一の償いなんだから」[/A]
囁くような声。シオンが微笑んだ瞬間、彼の体から迸る強烈な光。
自らの残された命の火を、物理的な「光の鎖」へと強制的に変換する捨て身の絶技。
[Flash]パァァァンッ!![/Flash]
魔獣の巨体に絡みつき、その進行を無理やり停止させる幾千もの銀色の光帯。苦悶の咆哮を上げる泥の巨躯。激しく揺れる大地。
しかし、その代償として、足元から急速に霧散していくシオンの体。
夜空に舞い上がる、雪のような銀色の粒子。
[A:ルミナ:絶望]「シオン!やめろ、やめてよ!」[/A]
両手を伸ばし、空を切る。すり抜ける光の粒。指先に残るのは、微かな花の香りだけ。
[Blur]視界が、どうしようもなく滲む。[/Blur]
膝から崩れ落ち、乾いた土を握りしめる。喉の奥から漏れる、形にならない鳴き声。ようやく見つけた、私の居場所。大切な人。それが今、指の隙間から完全に零れ落ちようとしている。
[A:アーサー:絶望]「ル、ルミナ……!助けてくれぇっ!!」[/A]
振り返るとそこには、泥にまみれ、ズボンを両手で押さえた滑稽な姿のアーサーたち。息も絶え絶えに転がり込んできていた。
第四章: 決別、そして星を編む手
鼻を突く、泥と汗の悪臭。
かつて栄光を誇った勇者アーサーは、地面に這いつくばり、ルミナの質素なワンピースの裾にすがりつく。
[A:アーサー:絶望]「俺が悪かった!俺たちを、世界をもう一度結び直してくれ!力も名声も、お前がいないと全て崩れてしまうんだ!」[/A]
鼻水と泥にまみれた顔。かつての虚栄心は微塵もない。
すがりつくその手を、冷たいアメジストの瞳で見下ろすルミナ。
微かに動く眉間。歪む唇の端。
[A:ルミナ:冷静]「あんたたちのズボンの紐なんか、知るか」[/A]
[Impact]ドンッ![/Impact]
弾ける見えない糸。無慈悲に弾き飛ばされるアーサーの手。
[A:アーサー:驚き]「あ……」[/A]
ルミナは踵を返す。もはや過去の残骸に割く時間はない。
見上げる空。星屑のように微弱な光を放ちながら、魔獣の黒い泥に飲み込まれようとしているシオンの命の欠片。
[Think]私はずっと、誰かの特別になれないと諦めていた。でも、違う。[/Think]
血が滲むほど、両手の指先に力を込める。熱を帯びる見えないタコ。空間そのものを掴み取る握力。
[A:ルミナ:狂気]「私の居場所を、私の大切なものを、勝手に奪うなァァァッ!!」[/A]
[Tremble]指先が、腕が、全身の骨が軋む。[/Tremble]
禁忌の秘術。己の寿命すらも削り、世界の理そのものを強制的に編み直す絶技。
[A:ノヴァ:興奮]「ワォォォォォン!!」[/A]
遠吠えを上げるノヴァ。その全身のオーロラ色の毛糸が、空に向かって螺旋を描いて放たれる。ルミナの魔力と共鳴し、夜空に形成されていく巨大な「機織り機」の枠。
震える星々。歪む空間。
血の滲む両手で、魔獣の暴力、自身の過去の痛み、そして夜空に散らばるシオンの命の欠片を、一本残らず掴み取るルミナ。
[Shout]「編み直す……!!」[/Shout]
限界まで引き絞られる、運命の糸。
第五章: 星巡りの大綾取り
[Magic]《星巡りの大綾取り(ステラ・マクラメ)》[/Magic]
ルミナの指先から天空へ向かって放たれる、何万光年にも及ぶ「光の糸」。
夜空そのものを巨大なタペストリーに見立て、狂気的な速度で舞う彼女の両手。縦糸には星々の瞬きを。横糸には、シオンの命の熱を。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
全身を襲う、血を吐きそうなほどの負荷。真っ赤に染まる視界。口の中に広がる、強烈な血と鉄の味。それでも、指は止まらない。
光の糸によって強制的に解体されていく、黒い泥にまみれた魔獣の因果。暴力も、絶望も、悲鳴も、全てが美しい極彩色の模様へと織り込まれる。
[Flash]カァァァァァッ!![/Flash]
完成した巨大なオーロラのタペストリー。圧倒的な光量で、世界を優しく包み込む。
清らかな花の香りに変わり、風に乗って散っていく魔獣の泥。
そのあまりに神々しい光景を前に、力なく膝をつくアーサー。自らの矮小さに打ちのめされるように、ただ呆然と荒野へ向かって歩み去っていった。
白紙の谷に差し込む、夜明けの清冽な光。
キラキラと降り注ぐオーロラの残滓の中。
[FadeIn]静かに、輪郭が結ばれていく。[/FadeIn]
陽炎のように透けていた靴。ボロボロの黒い騎士服。そして、銀色の髪。
そこに存在した、シオン。彼の足は、確かに黒土を踏みしめている。
[Sensual]
ふらつく足で歩み寄り、シオンの胸に顔を埋めるルミナ。
ゴツゴツとした胸当ての硬さ。規則正しく打つ、力強い心音。
シオンの両腕が、ルミナの背中をしっかりと、そして壊れ物を扱うように優しく包み込む。
[A:シオン:愛情]「君の手は……本当に、温かいんだな」[/A]
[A:ルミナ:照れ]「当たり前だ。私が、がっちり結び直したんだから」[/A]
[/Sensual]
微かに震えるシオンの背中に腕を回す。
夜露に濡れた若草の匂いを運んでくる空気。足元で嬉しそうに尻尾を振るノヴァ。
アメジストの瞳から溢れ落ちる、大粒の雫。
もう、千切れることはない。
二人の結び目は、夜明けの空の下、確かに紡がれていた。