第一章: 終わりの始まり
王都の分厚い石畳を叩き据える、氷の雨。
灰色のボサボサの髪を額に貼り付かせた青年——エルク。水を吸い鉛のように重いボロボロの黒外套を引きずり、ただ黙って俯く。
琥珀色の瞳の縁を伝う雨水。首元に黒く刻まれた「呪詛の茨の痣」へと、それは吸い込まれていく。
「お前のような泥被りは、私のパーティにもういらないわ」
濡れた石畳に響く、ひどく澄んだ声。
白銀の聖鎧に身を包んだアリシア。水滴を弾く燃えるような真紅のポニーテールが、鉛色の空の下で鮮烈な軌跡を描く。エルクの心臓を射抜く、鋭い翡翠の瞳。
アリシア「出て行きなさい。最底辺の『身代わり』なんて、足手まといよ」
冷酷な響き。だが、エルクの視線は彼女が剣の柄を握る手に落ちていた。
白く細い指先が、柄を砕かんばかりの力で握り込まれ、微小に、痙攣するように震えている。
錆びた鉄と泥の臭気が鼻腔を突く。
エルク「……わかった。今まで、悪かったな」
踵を返すエルク。背中に突き刺さる視線を振り切るように、ただ前だけを向く。
自分は誰の光にもなれない、ただの泥被りだ。
呪詛の痣が肉を焦がす熱を放つ。だが、彼の表情筋は死滅したかのようにピクリとも動かない。
向かう先は『死の森』。王都の誰もが忌避する底なしの絶望。
鬱蒼とした黒い樹海の奥深くに足を踏み入れる。周囲を漂うのは、腐敗した土と甘ったるい瘴気の入り混じった狂気の匂い。
足元に広がる、星屑のように仄白く発光する穢れの沼。
その中央。彼女はいる。
月光を編み込んだような長い銀髪が、黒い泥の上に広がっている。
白い飾り気のないワンピース。土に汚れた小さな裸足。周囲には、蛍のような光の粒子が淡く明滅する。
息を呑むエルク。泥濘に足を取られながらも、無意識に少女へと歩み寄る。
透き通るような蒼い瞳が、ゆっくりと瞬く。
シエル「……あなたは、誰、ですか?」
ぽつりと零れ落ちた声。エルクは泥に塗れた少女の頬に触れる。
指先に伝わる、氷のように冷たい肌の感触。
エルク「……痛くないか。こんな冷たい場所で」
少女の蒼い瞳孔が微かに揺れる。
シエル「私の肌に触れて、痛まないの、ですか……?」
首元の黒い茨の痣を、無造作に撫でるエルク。
エルク「痛くない。これくらい、なんてことない」
不器用な微笑み。
その刹那、森の空気が凍りついた。
木々を圧し折る轟音。天球の裂け目から這い出る、無数の目玉を持つ巨大な『神の尖兵』。
ドクン、と。
鼓膜を破るような異形の咆哮。静寂の森が恐怖に震え上がる。
第二章: 因果の覚醒と隠された呪い
ギチギチギチギチィッ!!
白磁の仮面を被った神の尖兵。空間を削り取るような不快音を立てて襲い来る。
狙いは、エルクの背後にいるシエル。
鋭く眇められる琥珀色の瞳。エルクはボロボロの黒外套を翻し、少女を庇うように立ち塞がる。
エルク「させない」
尖兵の振り下ろした巨大な刃。エルクの肩口に深く食い込む。
舞い散る鮮血。
口の中に広がる、ねっとりとした血と鉄の味。
シエル「やめて……! 私のために、どうして……!」
銀髪を振り乱し、小さな両手を必死に伸ばすシエル。
エルク「言ったはずだ。これくらい、なんてことない」
不気味な脈動を始める、黒い茨の痣。
限界を超えた『身代わり』の代償。だが、エルクの体に蓄積された無数の痛みと星の業が、今、臨界点を突破する。
極彩色に反転する視界。
条件をクリア。隠しクラス『因果紡ぎ』へと昇華します。
エルクの指先から溢れ出す、眩い黄金の糸。
《因果断絶・星堕ち》
空間そのものを切断する黄金の糸。神の尖兵の巨大な体躯が、音もなく無数の肉片へと解体され、黒い灰となって霧散していく。
◇◇◇
一方、王都。
雨上がりの薄暗い教会の祭壇の前。アリシアは力なく膝を突く。
カラン……手から滑り落ちた剣が石畳を転がる。
白銀の聖鎧の隙間から覗く白い肌。そこに、夥しい数の黒い呪いの痣が蠢きながら這い上がってくる。
アリシア「……くっ、あぁ……っ!」
喉の奥から漏れる、獣のような呻き声。激痛に明滅する翡翠の瞳。
彼女の強がりは、すべて嘘。
私は勇者だから、誰も犠牲にしない。彼をこれ以上、私の身代わりに傷つけたくなかったのに……!
孤児院時代にエルクが作ってくれた、ありあわせの温かいスープの記憶。
後悔の念に駆られ、自身の唇を噛み千切る。石畳にボタボタと滴り落ちる、赤黒い血の泡。
「エルク……どうか、生きて……」
虚ろに空へ溶けていく、王都の鐘の音。
だが彼女の祈りを嘲笑うかのように、空は不気味な赤紫色に染まり始めている。
第三章: 交差する魂、すれ違う祈り
死の森に響く、乾いた足音。
落ち葉を踏みしめる音。荒い息遣い。
エルクとシエルの前に姿を現したのは、全身を血と泥で汚したアリシア。
乱れた真紅のポニーテール。無惨に砕け散った白銀の聖鎧。
アリシア「探した、わよ……馬鹿エルク」
折れる膝。冷たい土の上に崩れ落ちる。
目を見開き、駆け寄ろうとして足を止めるエルク。アリシアの首元まで侵食した、悍ましい黒い呪いの痣。
エルク「アリシア……お前、その体は」
アリシア「貴方を……死なせたくなくて、追放したのよ……っ! 私から離れれば、貴方はもう、痛みを感じなくて済むって……!」
大粒の涙が零れ落ちる。土の匂いに混じる、微かな塩の匂い。
しかし、アリシアの視線がエルクの背後に立つシエルに向けられた瞬間。翡翠の瞳が極限まで収縮する。
アリシア「なぜ……『滅びの楔』がそこにいるの!」
シエル「……私は、世界を浄化する代わりに生贄となる器。私が生きている限り、世界に呪いが降り注ぐのです」
シエルの言葉に揺れる、エルクの琥珀色の瞳。
月光を浴びた銀髪が、儚く風に揺らめく。
この子は、ずっとそんな理不尽を背負わされていたのか。
アリシア「お願い、エルク! その少女を殺して! そうしないと世界が、貴方が滅びてしまう!」
血を吐くようなアリシアの絶叫。
だが、エルクは静かに首を振る。
エルク「……俺は、誰かが傷つくのは嫌いだ」
「例え相手が、世界そのものであっても」
シエルの手を取るエルク。冷たかった彼女の指先に灯る、確かな微熱。
シエル「エルク……だめです。私なんかのために……」
エルク「綺麗だ。君のいる世界は」
決定的な決裂。
かつての幼馴染と、守り抜きたい唯一の光。
天空がひび割れ、圧倒的な光の柱が森を貫く。
ゴゴゴゴゴォォォッ!!
空を埋め尽くす、黄金の甲冑を纏った無数の神軍。世界の守護者たちが、彼らを排除すべく降臨する。
第四章: 破滅への歩み、星空の誓い
夜空を焦がす熱波。空気を震わせる剣戟の嵐。
《因果断絶・天泣》
黄金の糸が、神軍の天使たちを次々と両断していく。
降り注ぐ血の雨。風に舞う、ボロボロの黒外套。
だが、エルクの足元から異変が起きている。
パキッ……ピキィッ……!
因果を歪める代償。透き通るような美しい星の水晶へと変貌していく、エルクの左腕。
消失する痛覚。代わりに脳髄を直接削るような、硬質な軋み音が耳の奥を突き刺す。
シエル「やめて! お願い、もう力を使わないでぇっ!!」
泥だらけの白いワンピースを翻し、泣き叫ぶシエル。蒼い瞳から溢れる涙が、光の粒子となって空へ昇る。
エルク「君に、本物の星空を見せる約束だからな」
優しく弧を描く、琥珀色の瞳。
右腕で剣を振り抜き、迫り来る槍を弾き飛ばす。
その横を駆け抜ける、真紅の閃光。
アリシア「私が勇者よ! こんなもの、何でもないわ!」
躍り出るアリシア。呪いで黒く染まった腕で、折れた剣を必死に振るう。
翡翠の瞳に、かつての傲慢さは微塵もない。ただ、愛する者を守り抜くという悲壮な覚悟だけが燃え盛っている。
エルク「アリシア……」
アリシア「一人で背負うなんて、許さないからね! 馬鹿エルク!」
合わさる二人の背中。
だが、空のひび割れから降り注ぐ、それまでとは次元の違う圧倒的な重圧。
ズン……ッ!!
破れる鼓膜。白濁する視界。
雲海を掻き分けて現れたのは、空そのものを覆い尽くすほどの巨大な単眼。
世界を統べる『神』の顕現。
第五章: 星降る夜に、君の痛みを全て咲かせよう
焼け焦げた大地を撫でる、肌を刺すような清冽な夜風。
神の眼から放たれる圧倒的な破壊の光条が、世界を白く染め上げようとしている。
アリシア「死にたくねぇぇぇ!! 絶対に、こいつらを守るんだぁぁっ!!」
血の混じった咆哮を上げるアリシア。折れた剣に全ての魔力を込め、天高く跳躍する。
しかし、神の圧倒的な力の前に、彼女の体は虫けらのように吹き飛ばされる。
エルク「アリシア!」
水晶化しつつある両足で、大地を蹴るエルク。
痛くない。これくらい、なんてことない。全部、俺が引き受ける。
かつてない激しさで発光し、全身へと広がっていく首元の黒い茨の痣。
世界の全ての呪い。シエルの背負う罪。アリシアの痛み。
すべてを、ただ一人の『身代わり』が飲み込む。
超新星のように、眩い光を放ち始めるエルクの体。
背後から彼に抱きつくシエル。
温かい光の粒子の感触。
シエル「エルク、嫌です……私を置いていかないで……っ!」
振り向くエルク。残された右手で、彼女の銀髪を優しく撫でる。
エルク「泣かないでくれ。君の笑顔が、一番綺麗だ」
前を向くエルク。
「俺の命で、因果を書き換える」
《星落とし・無極》
完全に砕け散るエルクの身体。巨大な光の槍となって天を突く。
光に貫かれる神の単眼。断末魔の叫びと共に、空間ごと崩壊していく。
空を覆っていた分厚い雲が、嘘のように晴れ渡る。
割れる天。世界に初めて降り注ぐ、本当の星空。
息を呑むほどに澄み切った、無数の星屑の瞬き。
光の粒子となったエルクの欠片。雪のように大地へと舞い落ちる。
それはシエルの頬を優しく撫で、アリシアの体から呪いの痣を綺麗に消し去っていく。
星降る丘。
白銀の聖鎧を失ったアリシアと、泥だらけのワンピースを着たシエル。
二人の少女は、降り注ぐ星空を見上げている。
シエル「綺麗、ですね……。こんな世界でも」
蒼い瞳から零れる涙。星の光を反射して、キラキラと輝く。
アリシアもまた翡翠の瞳を空に向け、そっと呟く。
アリシア「ええ……本当に、馬鹿みたいに綺麗よ」
頬を伝う、冷たい涙の感触。
星屑の風が、二人の髪を優しく揺らして吹き抜けていく。
どこかで、不器用で優しい彼の笑い声が聞こえた気がした。
夜空に咲く無数の星々は、いつまでも彼女たちを照らし続ける。
輝く痛みの全てを、美しく咲かせるように。