第一章: 終わりの始まり
灰が降る。
音もなく、無限に。空を覆う鈍色の層から零れ落ちるそれは、一見すると美しい雪。
だが、指先に触れても決して溶けない。微かな熱。ひどく乾燥した骨の削りかすのような、焦げた臭気。
命を蝕む「還らずの灰」。今日も静かに世界を埋め尽くしていく。
色褪せた灰色の外套。乾いた風にばたつく。
フードの奥で揺れる、深い漆黒の髪。前髪の隙間から覗くのは、光を吸い込む夜の淵のごとき黒い瞳。レオンは泥にまみれた両手で、灰に覆われた荒野の土をひたすらに掘り返す。
彼の左目から首筋にかけ、痛々しい黒い蔓草のような『呪いの痕』。それが生き物のように脈打つ。
血が滲む指先。彼はガラス細工のように透き通った青い花を、そっと土に置いた。
どんな過酷な環境でも決して枯れない。追放者の彼が唯一見つけた慰め。
背後で、乾いた土を擦る微かな音。
[Pulse]ドクン[/Pulse]
振り返るより早く。何かが彼の背中にぶつかり、足元の灰へと崩れ落ちる。
「……あ……」
掠れた吐息。
月光のように透き通る銀色の長髪。灰に塗れて散らばっている。
裾の焦げた純白の修道服。うつ伏せに倒れた少女の細い首筋に、不気味な紫色の斑点がびっしりと浮かび上がっていた。
穢れの猛毒。
レオンは迷うことなく膝をつく。少女の身体を抱き起す。苦痛に歪む蒼白な顔。
[Sensual]
レオンは手袋を引き抜いた。素手で少女の冷え切った頬を包み込む。
ひどく冷たい。命の灯火が今にも吹き消されそうな温度。
己の額を、少女の額にぴたりと押し当てる。
[Whisper]引き受けよう[/Whisper]
唇の間から紡がれる無音の意志。
瞬間、少女の首筋に這う紫色の斑点が、狂ったように蠢き出す。黒い線となってレオンの肌へと這い移り、彼の左目の下にある蔓草の痕に絡みつく。
焼け火箸を脳髄にねじ込まれたような激痛。
レオンの喉仏が大きく上下し、額から大量の脂汗が吹き出す。決して彼女を離さない。ひたすらに毒を自らの内へと啜り上げ続ける。
やがて。少女の規則正しい寝息が微かに胸を上下させた。
[/Sensual]
重い瞼を震わせる。碧眼がゆっくりと開かれた。
焦点の定まらない瞳が、自身を覗き込む黒い瞳を捉える。
[A:アイリス:驚き]「あなたは……」[/A]
細く、消え入りそうな声。自分の首筋に触れ、毒が消え去っていることに気づく。そして、レオンの顔の左半分で激しく脈打つ新たな呪いの痕を見て、息を呑んだ。
[A:アイリス:絶望]「どうして……私のせいで……」[/A]
[A:レオン:冷静]「僕のことは気にしなくていい。いつものことだ」[/A]
立ち上がるレオン。外套の裾についた灰を払う。
その時だった。地平線の彼方から響く、大気を震わせる不吉な地鳴り。
黒い雲の隙間から、何千もの赤い双眸がこちらを見下ろしている。
絶望的な逃避行の始まりを告げる鐘の音。
◇◇◇
第二章: 錆びた牙と崩れゆく栄光
辺境の街「ラグナ」。
木組みの酒場。安いエールの酸っぱい匂いと、獣の脂の強烈な臭気が混ざり合う。
[A:ガロ:怒り]「死にたきゃ勝手に死ね。俺は巻き込まねぇぞ」[/A]
ドンッ。荒々しい音を立て、木製のジョッキがテーブルに叩きつけられる。
灰褐色の狼の耳が苛立たしげにピクリと動いた。無数の刀傷が刻まれたボロボロの革鎧を着崩す大男。ガロの鋭い三白眼が、向かいに座るレオンを射抜く。
[A:レオン:冷静]「報酬は言い値で払う。アイリスを聖都の境界まで護衛してほしい」[/A]
[A:ガロ:狂気]「耳が遠いのか? 聖都への道には『澱み』が群れてる。金札積まれたって、ご免だね!」[/A]
牙を剥き出しにする獣人。だが、瞳の奥に一瞬だけ揺らいだ暗い色。レオンは見逃さない。怯え。過去に何かを取りこぼした者の目。
[A:アイリス:悲しみ]「私に、あなたを助けさせてください」[/A]
横から差し出された白い手。アイリスが、ガロの革鎧にこびりついた古い血の染みの上に、そっと指を這わせる。
[Magic]《聖なる息吹》[/Magic]
淡い光。革鎧の下にある古傷の痛みが、嘘のように引いていく。
ガロは目を見開く。慌てて彼女の手を振り払った。
[A:ガロ:照れ]「……チッ。勝手な真似しやがって。足手まといになったら、即座に見捨てるからな」[/A]
舌打ちとともに立ち上がる巨躯。即席のパーティーが、静かに歩みを進め始める。
◇◇◇
同じ頃、王都の絢爛たる大聖堂。
眩いほどに磨き上げられた白銀の鎧。光を束ねたような黄金の髪と、一点の曇りもない青い瞳。
完璧な英雄たるアーサーは、黄金の玉座の前で片膝をつく。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン[/Pulse]
視界の激しい明滅。
口の中に広がる、強烈な鉄の味。
アーサーは咄嗟に口元を押さえる。だが、指の隙間からどす黒いヘドロのような血がボタボタと大理石の床に滴り落ちた。
[A:アーサー:驚き]「なんだ……これは……!」[/A]
背後。魔法使いも僧侶も、もはや立ち上がることすらできずに床でのたうち回っている。全員の肌に、紫色の斑点。
彼らは気づいていなかったのだ。今まで浴びてきた全ての穢れを、あの無口な男が「見えない盾」となって引き受けていたことに。
[Tremble]指先が、ガチガチと音を立てて震える。[/Tremble]
栄光が。名声が。自分が世界で最も美しい存在であるという証明が、泥のように崩れ落ちていく。
[A:アーサー:狂気]「あの無能め……! 僕から逃げられると思っているのか!」[/A]
アーサーの青い瞳に走る、血走った赤い亀裂。
彼は聖剣を杖代わりに立ち上がる。狂気を孕んだ足取りで王都の門へと向かった。
◇◇◇
第三章: 決別は泥の底で
巨大な穢れの源泉。
足首まで泥濘に沈む腐海。肺を焼くような硫黄と腐肉の臭いが、容赦なく鼻腔を突き刺す。
[Shout]死ねぇぇ!![/Shout]
双刃が風を切り裂き、巨大な粘菌の化け物を両断する。黒い体液を浴びながら、ガロが獣の咆哮を上げた。
背後から飛来する毒の棘。レオンが左手を掲げて防ぐ。
[Magic]《絶対隔絶》[/Magic]
六角形の光の盾が空中で弾け、無数の毒針を灰へと変える。その直後、アイリスの澄んだ声が戦場に響き渡った。
[A:アイリス:冷静]「今です!」[/A]
光の矢が闇を貫き、化け物の核を粉砕する。
激しい呼吸。三人の間に、言葉以上の確かな熱が通い合う。
だが、最深部のすり鉢状になった泥の底で、彼らの足はピタリと止まった。
無惨な肉の塊と化した高位の魔物たちの死骸。
そして、泥水の中に這いつくばり、嘔吐を繰り返す男の姿。
黄金の髪はヘドロにまみれ、白銀の鎧は黒く変色して異臭を放っている。
[A:アーサー:絶望]「レオン……ああ、レオン!」[/A]
泥だらけの手を伸ばし、アーサーがすがりつくように這い寄ってくる。
かつての絶対的な自信は見る影もない。ただ、死の恐怖に怯える惨めな子供がそこにいた。
[A:アーサー:悲しみ]「お前がいないと駄目なんだ! 早く、この穢れを吸い取れ! 僕たちは世界を救う英雄なんだぞ!」[/A]
レオンは無表情のまま、アーサーの伸びてきた手を冷たく見下ろす。
ゆっくりと、灰色の外套の留め金に手をかけた。
バサリと布が滑り落ちる。
[Impact]アーサーの息が、ヒュッと止まった。[/Impact]
レオンの背中。そこには正常な肌など一寸たりとも残されていない。
全身を埋め尽くす、黒く蠢く無数の呪いの痕。皮膚は焼け爛れ、肉は削げ落ち、一部は骨すら透けて見えるほどに侵食されている。
これこそが、アーサーたちの栄光の代償。
[A:レオン:冷静]「もう、君たちの盾にはならない」[/A]
静かな、しかし氷のように冷たい決別の宣告。
その時。
泥の海が爆発した。
[Glitch]ゴゴゴゴゴゴゴゴ[/Glitch]
空が、文字通りに「ひび割れた」。巨大なガラスが砕けるような轟音。空間そのものが裂け、底知れぬ漆黒の眼球が彼らを見下ろした。
「原初の穢れ」。世界を終わらせる厄災が、ついに産声を上げたのだ。
◇◇◇
第四章: 孤独な贄、愚かな追跡者
[Tremble]空が鳴っている。[/Tremble]
鼓膜を突き破るほどの咆哮。大地が波打ち、辺り一面の泥が空に向かって逆流し始める。
原初の穢れが放つ瘴気。触れただけで肺胞を融かし、命を真っ赤な灰へと変える劇毒。
レオンは素早く印を結んだ。
[Magic]《絶対隔絶・終式》[/Magic]
眩い光の壁が、アイリスとガロの周囲を球状に包み込む。絶対に外からは干渉できない、神聖なる檻。
[A:ガロ:怒り]「おい! 何の真似だ、レオン!!」[/A]
結界を内側から叩きながら、ガロが牙を剥く。
[A:レオン:冷静]「ここで待っていてくれ。あれは僕が連れて行く」[/A]
[A:アイリス:絶望]「嫌です……開けてください! 一人で死ぬつもりですか!」[/A]
アイリスの拳が光の壁を叩く。指先から血が滲む。それでも、彼女は叩き続けた。
脳裏にフラッシュバックする、故郷が燃え落ちた日の記憶。何もできなかった。いつも誰かの後ろで、震えているだけだった。
レオンは振り返らない。
自らの命を器にして、全ての穢れを飲み込む。それ以外に、この巨大な絶望を消し去る術はない。
彼は自分を「犠牲」だとは思っていない。ただ、ゴミ箱がゴミを詰めるように、それが自分の役割だと信じ切っている。
レオンの背中が、圧倒的な闇の中へと溶けていく。
[A:ガロ:悲しみ]「また……見捨てるのかよ、俺は」[/A]
喉から漏れる、血を吐くようなうめき声。
かつて恐怖に負け、仲間を置き去りにした夜。重圧から逃げるために、強さだけを追い求めてきた。
だが今、自分より遥かに弱く脆い男が、全てを背負って死地に赴いている。
[Flash]脳内で、何かが弾けた。[/Flash]
[A:ガロ:興奮]「二度と、逃げるのは御免だ」[/A]
ガロは二本の剣を逆手に構え、結界の壁に深々と突き立てる。獣の筋肉が限界を超えて膨張し、毛細血管が弾けて血飛沫が舞う。
[A:アイリス:興奮]「私も……もう、誰も失いたくない!」[/A]
アイリスがガロの背中に両手を当てた。ありったけの魔力を、彼の刃に注ぎ込む。
[Impact]パァァァン!![/Impact]
絶対の強度を誇った結界が、粉々に砕け散る。
二人は一瞥も交わさない。レオンを飲み込んだ死の暴風の中へと駆け出した。
◇◇◇
第五章: 還らずの灰と、夜明けの追放者
穢れの中心。
そこは、音も光も存在しない絶対の無。
レオンの身体は宙に浮き、皮膚はボロボロと炭化して剥がれ落ちていく。
体内に流れ込む致死量の猛毒。骨が軋む。臓器が融解する熱。
(これで、いい。誰も傷つかずに済む)
意識が薄れゆく中、彼はそっと目を閉じた。
その時。
[Sensual]
焦げ落ちそうな右の手首を、力強い毛皮に覆われた手がガシリと掴んだ。
同時に、左の手のひらに、ひんやりとした柔らかな指が絡みつく。
熱。脈打つ生命の鼓動。他者の体温という、鋭いほどの現実が、薄れゆくレオンの意識を強引に引き戻す。
[A:アイリス:愛情]「もう、一人で背負わせません」[/A]
[A:ガロ:怒り]「死ぬなら道連れだ、この大馬鹿野郎!!」[/A]
目を見開くレオンの前。血だらけのガロとアイリス。二人の身体にも、穢れの黒い呪いが這い上がり始めている。それでも、二人は決して彼の手を離そうとしない。
レオンの胸の奥で、今まで感じたことのない激しい痛みが走る。
それは毒の痛みではない。「誰かを失うかもしれない」という、人間としての根源的な恐怖。
[/Sensual]
[A:レオン:恐怖]「やめろ……離せ……!」[/A]
初めて、レオンの口から感情の乗った叫びが漏れる。
[A:アーサー:狂気]「黙れ、無能がァァァ!!」[/A]
[Shout]閃光!![/Shout]
頭上から降り注ぐ、一条の黄金の光。
見上げれば、泥にまみれ、鎧の半分を失ったアーサー。剣を天に掲げて降下してくる。
青い瞳に、かつての傲慢さは微塵もない。ただ、取り返しのつかない喪失に対する、血を吐くような後悔だけが燃えていた。
[A:アーサー:絶望]「僕の、唯一の盾を……奪わせるものかァァ!!」[/A]
聖剣が、穢れの核に深々と突き刺さる。
四人の魔力と、それぞれの不格好な祈りが一つに融合した。
[Magic]《魂の解放》[/Magic]
[Flash]白一色の世界。[/Flash]
[FadeIn]
轟音が止んだ。
頬を撫でるのは、心地よい微風。
灰色の空が真っ二つに割れ、幾千もの黄金の朝焼けが、荒れ果てた大地に降り注いでいる。
[/FadeIn]
泥水の上。三人が重なり合うように倒れている。
アーサーの姿はどこにもない。ただ、ひび割れた聖剣だけが、朝日を反射して静かに刺さっている。
レオンはゆっくりと身を起こす。
左目から首筋を覆っていた忌まわしい呪いの痕。嘘のように消え去っていた。
アイリスが身を寄せる。ガロが痛む脇腹を押さえながら不敵に笑う。
風が、ガラス細工のような青い花を揺らした。
レオンは自分の手のひらを見つめる。
視界が、不意に[Blur]ぼやけた[/Blur]。
ぽた、ぽた、と。
自分の目からこぼれ落ちた生温かい水滴。乾いた土を濡らしていく。
[A:レオン:悲しみ]「僕は……」[/A]
喉が詰まる。言葉にならない。
それでも、肺いっぱいに朝の冷たい空気を吸い込む。彼は確かにこう願った。
この手で植えた花が咲くのを、明日も見てみたい、と。