錆びた血と甘い劇薬〜僕を壊した最愛の妹〜

錆びた血と甘い劇薬〜僕を壊した最愛の妹〜

主な登場人物

アッシュ
アッシュ
19歳 / 男性
銀髪の無造作ヘア、鋭い三白眼、ボロボロの黒いタクティカルコート、首には認識票。常に血と硝煙の匂いを纏っている。
ルル
ルル
14歳 / 女性
黒髪のボブカット、虚ろだが愛らしい黒瞳、オーバーサイズの白いワンピース、裸足に不釣り合いな重いブーツ。
グレイヴ
グレイヴ
45歳 / 男性
オールバックの金髪、顔を横断する古傷、仕立ての良いが薄汚れたスーツ、常に上質な葉巻を咥えている。
シエル
シエル
外見年齢22歳 / 女性
銀糸のような長髪、焦点の合わない青い瞳、機械化された関節、拘束具の名残があるエプロンドレス。

相関図

相関図
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0 89 4935 文字 読了目安: 約10分
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■ 第1章:錆びた血と甘い劇薬 ■

鉄錆(てつさび)とアンモニアの臭いが鼻腔(びくう)を焼く。

足元のひどいぬかるみは昨夜の雨のせいではない。生温かく赤黒い液体が、ひび割れたアスファルトの隙間をねっとりと埋めているのだ。

ドクン、ドクン。

鼓膜を打つ心音。己のものか。足元に転がる肉塊のものか。

アッシュは、無造作な銀髪から滴る血を手の甲で乱暴に拭った。

鋭い三白眼が見下ろす先には、見慣れた少年の顔が転がっている。数分前まで、なけなしの配給を分け合おうと肩を叩き合った親友の死に顔だ。

その喉笛(のどぶえ)は、アッシュの握るサバイバルナイフで無惨に切り裂かれていた。

指先が、小刻みに震える。

首元の認識票(ドッグタグ)が擦れ合い、チャリ、と乾いた音を立てた。ボロボロに擦り切れた黒のタクティカルコートが、さらに重い赤を吸い込んでいく。

こいつが、ルルの分の缶詰に手を伸ばした。

ただそれだけの理由。急所を躊躇いなく抉り抜くには、十分すぎた。

背後から、細い腕が回される。

血と泥に塗(まみ)れたアッシュの背中に、純白のオーバーサイズワンピースが押し付けられた。

黒髪のボブカットが肩口に擦れ、甘くねっとりとした吐息が耳元を掠める。

ルル「お兄ちゃん、あったかいね」

裸足に不釣り合いな重いブーツ。それが、血だまりをピチャリと踏み鳴らす。

虚ろなまでに真っ黒な瞳が、足元の死体を見下ろして三日月型に歪んだ。

ルル「これで、ずっと家族だね。お兄ちゃんがいれば、他にはなにもいらないの」

狂っている。

理解はしている。だが、背中から伝わるこの熱。それだけが、アッシュの自我を繋ぎ止める唯一の鎖だった。

アッシュ「……ああ。俺が、ルルを守る。俺たちはずっと家族だ」

遠くで、治安維持部隊の甲高いサイレンが夜を切り裂く。

アッシュは血濡れたナイフを鞘(さや)に収め、その細い手を強く握りしめる。

振り返る事なく、暗い路地裏のさらに奥へと駆け出した。

■ 第2章:偽りの食卓 ■

廃教会の重い扉を押し開ける。

途端に、上質な葉巻の煙が紫色の靄(もや)となって立ち込めてきた。

ステンドグラスから差し込む月光の下、長机には不釣り合いなほど豪奢(ごうしゃ)な肉料理が並べられている。

グレイヴ「よく戻った、アッシュ。今日も見事に、家族を守り抜いたようだな」

仕立ての良いスーツを薄汚く着崩した大男だ。金髪をオールバックに撫でつけながら、腹の底から響く声で低く笑う。

顔を斜めに横断する古傷が、蝋燭(ろうそく)の炎に歪んで浮かび上がっている。

部屋の隅。音もなく人影が近づいてくる。

銀糸のような長髪と、焦点の合わない青い瞳。

所々に拘束具の名残があるエプロンドレスの隙間から、鈍く光る機械化された関節が覗く。

シエル「お食事の準備ができました、あなた。上着を、お預かりします」

抑揚のない、機械的な声。シエルはアッシュの血まみれのコートを無表情に受け取ると、丁寧に折りたたむ。

アッシュ「……悪いな。俺がやる」

シエル「肯定します。ですが、母としてのプロトコルが推奨されています。……たくさん、食べてください」

無機質な表情の奥で、微かに口角が上がったように見えた。

狂った世界に取り残された、温かくも歪(いびつ)な家族の団欒(だんらん)。

だが、その仮初めの平穏は強烈な違和感にたちまち塗り潰される。

ルルがテーブルナイフを握りしめ、自らの細い腕を躊躇(ためら)いなく切り裂いた。

赤い筋が走る。

削ぎ落とされた薄い肉片を、彼女はアッシュの皿の上にコトリと乗せた。

ルル「お兄ちゃん、これも食べて。私の、ぜんぶ」

虚ろな瞳が、とろけるような熱を帯びてアッシュを見つめる。

アッシュの喉がゴクリと鳴った。

その一部始終を、グレイヴは極上のワインを舌で転がしながら、底知れぬ笑みで見つめていた。

■ 第3章:崩壊のノイズ ■

轟音(ごうおん)。

ステンドグラスが粉々に砕け散る。色とりどりの破片が凶器となって降り注いだ。

重武装の治安維持部隊が、教会の四方から雪崩(なだれ)れ込んでくる。

グレイヴ「シエル、排除しなさい。ゴミが食卓を汚している」

シエル「肯定します。殲滅(せんめつ)モード、起動」

青い瞳が、血のような赤に染め上がる。

エプロンドレスが風圧で舞い上がり、機械化された四肢が限界駆動の金属音を悲鳴のように上げた。

圧倒的な蹂躙(じゅうりん)。

銃弾の雨を意に介さず、シエルは素手で装甲兵たちの頭蓋を次々と砕いていく。

大理石の床は瞬く間に、肉と鉄の混ざり合う惨(むご)たらしい泥濘へと変わった。

だが。

教会の入り口に、鈍く光る砲塔が現れる。対装甲用の大型パイルバンカー。

アッシュ「シエル!!」

世界が、スローモーションになる。

砲口が火を噴く瞬間。シエルはアッシュとルルの前に立ち塞がり、両腕を大きく広げた。

閃光と爆炎。

シエル「……かぞく、を……」

焼け焦げた匂い。

シエルの上半身が無惨に吹き飛び、飛び散ったオイルと銀色の髪が、アッシュの頬にべっとりと張り付く。

アッシュ「ああああああああッ!!」

喉が千切れるほどの絶叫。

グレイヴがアッシュの襟首を乱暴に掴み、祭壇裏の隠し通路へと引きずり込む。

グレイヴ「喚(わめ)くな! 地下へ走れ!」

暗い階段を転がり落ちながらも、アッシュは燃え盛る教会の残骸から目を離せなかった。

■ 第4章:解体屋の微笑み ■

地下の防空壕(ぼうくうごう)。

埃っぽく冷たいコンクリートの床に、アッシュは膝をついて荒い息を吐き出す。

ルルを背中に庇(かば)い、震える手でナイフの柄(え)を握りしめた。

アッシュ「親父……母さんが……ッ」

振り返ったグレイヴは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。

その顔に、先程までの頼もしい父親の面影は微塵もない。

冷酷な計算を弾き出す、死の商人の凍りついた瞳。

グレイヴの手には、銀色に光る小さなデータチップが握られている。

シエルの頭部残骸から、彼が直前に抜き取ったものだ。

グレイヴ「素晴らしい戦闘データだ。これなら軍の上層部に高値で売れる。あの不良品も、最後にいい仕事をした」

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空気が、凍りつく。

アッシュの頭の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。

アッシュ「……は? なにを……言って……」

グレイヴ「家族とは素晴らしいものだ。互いに利用価値があるうちはな。さて、次はお前たちの解体だ」

暗闇の奥。無数の赤いレーザーサイトが、アッシュたちの身体に突き刺さる。

圧倒的な武装を施されたグレイヴの私兵たちが、音もなく包囲網を狭めていた。

家族など、最初から存在しなかった。

彼らはただの、生きた商品に過ぎなかったのだ。

■ 第5章:見捨てられた縋り糸 ■

アッシュ「ふざけるなあああッ!!」

アッシュは地を蹴った。

死に物狂いで、グレイヴの喉元へ刃を突き立てようと飛ぶ。

だが、歴戦の傭兵でもある大男の拳が、容赦なくアッシュの腹部を粉砕した。

鈍い破裂音。

胃液と血を吐き散らし、アッシュは冷たい床に這いつくばる。

肋骨が何本も折れ、立ち上がることすらできない。

アッシュ「がっ……ル、ル……逃げ……」

泥に塗れた手を伸ばす。

だが、視線の先で起きた光景に、アッシュは己の目を疑った。

怯えて泣いているはずのルルが、血だまりを避けるように軽やかな足取りで歩み寄り、グレイヴの足元にすがりついて小首を傾げたのだ。

ルル「ねえ、パパ」

舌足らずな声。だが、その瞳には何の温度も宿っていない。

ルル「お兄ちゃん、もう壊れちゃったみたい。だから、私だけ助けて?」

視界が、ぐにゃりと歪む。

耳鳴りが止まらない。

守るべき存在。自分の命よりも大切だった妹。

その言葉が鋭い刃となり、アッシュの自我を粉々に切り刻んでいく。

背中に回されたルルの小さな手に、赤黒く染まったナイフが握られていることなど、知る由もなかった。

■ 第6章:純真なる怪物 ■

グレイヴは満足げに喉の奥で笑い、ルルの細い顎を指で持ち上げる。

グレイヴ「賢い商品だ。美しいガラクタとして、上層部の変態どもに高く売ってやろう」

ルルは無邪気に微笑み、グレイヴの胸元へ身を寄せる。

細い腕が大男の太い首に回され、甘い吐息が葉巻の匂いと混ざり合う。

ルル「うれしい。ねえ、パパ……」

次の瞬間。

ルル「死んで」

躊躇いなく振り抜かれたナイフ。それが、グレイヴの頸動脈(けいどうみゃく)を深々と抉り抜いた。

ブチャッ、と鮮血が噴き出す。

信じられないものを見る目で目を見開くグレイヴ。

ルルは生温かい返り血を全身に浴びながら、クスクスと笑い声を上げる。

ルル「私、パパが嘘つきだって最初から知ってたよ。でもね、ちょうどよかったの」

倒れ伏すアッシュを見下ろし、ルルは恍惚(こうこつ)とした表情で頬を染める。

ルル「お兄ちゃんをからっぽにして、私だけを見るようにしたかったの。ほら、これで本当のふたりきり」

グレイヴ「この、クソガキがあああっ!!」

致命傷を負い、血泡を吹きながらも、怪物のごとき生命力でグレイヴが立ち上がる。

巨大な掌(てのひら)がルルの首を掴み、コンクリートの壁へと力任せに叩きつけた。

同時に、彼の網膜(もうまく)デバイスが赤く発光し、私兵たちの殺戮(さつりく)プログラムが強制起動される。

■ 第7章:泥と血の祝祭 ■

ルル「あ……がっ……」

ルルの身体が崩れ落ちる。純白のワンピースが、真っ赤に染まった。

その瞬間。

アッシュの中で、かろうじて繋ぎ止められていた理性の糸が、ブツリと音を立てて千切れた。

アッシュ「ルルに……触るなああああああッ!!」

痛みなど、とうにない。

砕けた足で跳躍する。銃弾が肩を貫こうが、脇腹の肉を抉り取られようが、歩みは止まらない。

ただの憎悪の塊と化したアッシュは、獣さながらにグレイヴへ飛びかかった。

大男の胸ぐらを掴み、その巨体を床へと引き倒す。

ナイフを落とした手で、近くにあった重いコンクリートの瓦礫(がれき)を掴み上げた。

グレイヴ「狂犬が……離せッ!」

アッシュ「死ね! 死ね! 俺たちの世界から消えろッ!!」

振り下ろす。骨が砕ける音。

振り下ろす。肉が潰れる音。

振り下ろす。断末魔が途絶える音。

返り血で視界が完全に赤に染まっても、アッシュは腕を止めなかった。

かつての父の顔が、原型を留めないただの肉塊に成り果てようと。ひたすらに、重い石を叩きつけ続けた。

■ 第8章:血塗られた揺り籠 ■

静寂。

鼻を突く硝煙(しょうえん)と、濃密な血の匂い。それだけが、地下室に充満している。

私兵たちは主の死によって機能を停止し、ただの鉄くずと化していた。

血だまりの中心。アッシュは荒い息を吐きながら、仰向けに倒れ込む。

四肢はまともに動かない。視界は端から暗転していく。

終わった。

裏切られ、何もかもを失った。

這(は)うような衣擦れ(きぬずれ)の音が近づく。

冷えゆくアッシュの頬に、温かく柔らかい手が触れた。

泥と血に塗れたルルが、覆い被さるようにして彼を覗き込んでいる。

ルル「お兄ちゃん、がんばったね。えらい、えらい」

虚ろだった黒い瞳は、今はとろけるような熱を帯びてアッシュを映していた。

この怪物が、全てを仕組んだのだ。

彼から全てを奪い去り、狂った愛の檻(おり)に閉じ込めるために。

だが。

アッシュは残された僅かな力を振り絞り、その小さな背中にゆっくりと腕を回す。

アッシュ「……ああ。俺が、お前を守った。俺たちはずっと、家族だ」

外の世界は、変わらず絶望的な地獄だ。

頼れる大人など誰一人いない。

それでも二人は、血塗られた互いの体温だけを鎖のように縛り付け合う。底なしの泥濘(ぬかるみ)の中で、永遠の眠りにつくように深く寄り添い合った。

クライマックスの情景

【物語の考察】

本作は、終末世界を舞台にした極限のサバイバルを描きつつ、その本質は「依存と支配」という歪な愛の形にあります。主人公アッシュは「妹を守る」という自己犠牲をアイデンティティとしていますが、それは自身の孤独を埋めるための防衛機制に過ぎません。ルルはそれに気付いており、彼の精神を完全に破壊することで、自分だけのものにしようと企てます。二人の関係は倫理的に破綻していますが、世界から見捨てられた彼らにとっては、この共依存こそが唯一の救済として描かれています。

【メタファーの解説】

「偽りの食卓」は、人間社会が作り出した「家族」という概念の脆さと欺瞞の象徴です。サイボーグの母シエルが最も人間らしい自己犠牲を見せるのに対し、実の父を名乗るグレイヴや無垢な少女ルルが最も冷酷な怪物として描かれる点に、人間性への痛烈な皮肉が込められています。最後に二人が寄り添う「血塗られた揺り籠」は、社会から隔絶された絶対的な安息の地であると同時に、二度と抜け出せない地獄を暗示しています。

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