第1章:錆びた血と甘い劇薬
鉄錆(てつさび)とアンモニアの臭いが鼻腔(びくう)を焼く。
足元のひどいぬかるみは昨夜の雨のせいではない。生温かく赤黒い液体が、ひび割れたアスファルトの隙間をねっとりと埋めているのだ。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
鼓膜を打つ心音。己のものか。足元に転がる肉塊のものか。
アッシュは、無造作な銀髪から滴る血を手の甲で乱暴に拭った。
鋭い三白眼が見下ろす先には、見慣れた少年の顔が転がっている。数分前まで、なけなしの配給を分け合おうと肩を叩き合った親友の死に顔だ。
その喉笛(のどぶえ)は、アッシュの握るサバイバルナイフで無惨に切り裂かれていた。
[Tremble]指先が、小刻みに震える。[/Tremble]
首元の認識票(ドッグタグ)が擦れ合い、チャリ、と乾いた音を立てた。ボロボロに擦り切れた黒のタクティカルコートが、さらに重い赤を吸い込んでいく。
こいつが、ルルの分の缶詰に手を伸ばした。
ただそれだけの理由。急所を躊躇いなく抉り抜くには、十分すぎた。
[Sensual]
背後から、細い腕が回される。
血と泥に塗(まみ)れたアッシュの背中に、純白のオーバーサイズワンピースが押し付けられた。
黒髪のボブカットが肩口に擦れ、甘くねっとりとした吐息が耳元を掠める。
[A:ルル:愛情][Whisper]「お兄ちゃん、あったかいね」[/Whisper][/A]
裸足に不釣り合いな重いブーツ。それが、血だまりをピチャリと踏み鳴らす。
虚ろなまでに真っ黒な瞳が、足元の死体を見下ろして三日月型に歪んだ。
[A:ルル:喜び][Whisper]「これで、ずっと家族だね。お兄ちゃんがいれば、他にはなにもいらないの」[/Whisper][/A]
[Impact]狂っている。[/Impact]
理解はしている。だが、背中から伝わるこの熱。それだけが、アッシュの自我を繋ぎ止める唯一の鎖だった。
[/Sensual]
[A:アッシュ:冷静]「……ああ。俺が、ルルを守る。俺たちはずっと家族だ」[/A]
遠くで、治安維持部隊の甲高いサイレンが夜を切り裂く。
アッシュは血濡れたナイフを鞘(さや)に収め、その細い手を強く握りしめる。
振り返る事なく、暗い路地裏のさらに奥へと駆け出した。
第2章:偽りの食卓
廃教会の重い扉を押し開ける。
途端に、上質な葉巻の煙が紫色の靄(もや)となって立ち込めてきた。
ステンドグラスから差し込む月光の下、長机には不釣り合いなほど豪奢(ごうしゃ)な肉料理が並べられている。
[A:グレイヴ:喜び]「よく戻った、アッシュ。今日も見事に、家族を守り抜いたようだな」[/A]
仕立ての良いスーツを薄汚く着崩した大男だ。金髪をオールバックに撫でつけながら、腹の底から響く声で低く笑う。
顔を斜めに横断する古傷が、蝋燭(ろうそく)の炎に歪んで浮かび上がっている。
部屋の隅。音もなく人影が近づいてくる。
銀糸のような長髪と、焦点の合わない青い瞳。
所々に拘束具の名残があるエプロンドレスの隙間から、鈍く光る機械化された関節が覗く。
[A:シエル:冷静]「お食事の準備ができました、あなた。上着を、お預かりします」[/A]
抑揚のない、機械的な声。シエルはアッシュの血まみれのコートを無表情に受け取ると、丁寧に折りたたむ。
[A:アッシュ:照れ]「……悪いな。俺がやる」[/A]
[A:シエル:愛情]「肯定します。ですが、母としてのプロトコルが推奨されています。……たくさん、食べてください」[/A]
無機質な表情の奥で、微かに口角が上がったように見えた。
狂った世界に取り残された、温かくも歪(いびつ)な家族の団欒(だんらん)。
だが、その仮初めの平穏は強烈な違和感にたちまち塗り潰される。
ルルがテーブルナイフを握りしめ、自らの細い腕を躊躇(ためら)いなく切り裂いた。
[Flash]赤い筋が走る。[/Flash]
削ぎ落とされた薄い肉片を、彼女はアッシュの皿の上にコトリと乗せた。
[Sensual]
[A:ルル:愛情][Whisper]「お兄ちゃん、これも食べて。私の、ぜんぶ」[/Whisper][/A]
虚ろな瞳が、とろけるような熱を帯びてアッシュを見つめる。
アッシュの喉がゴクリと鳴った。
その一部始終を、グレイヴは極上のワインを舌で転がしながら、底知れぬ笑みで見つめていた。
[/Sensual]
第3章:崩壊のノイズ
[Shout]轟音(ごうおん)。[/Shout]
ステンドグラスが粉々に砕け散る。色とりどりの破片が凶器となって降り注いだ。
重武装の治安維持部隊が、教会の四方から雪崩(なだれ)れ込んでくる。
[A:グレイヴ:冷静]「シエル、排除しなさい。ゴミが食卓を汚している」[/A]
[A:シエル:冷静]「肯定します。[System]殲滅(せんめつ)モード、起動[/System]」[/A]
青い瞳が、[Glitch]血のような赤[/Glitch]に染め上がる。
エプロンドレスが風圧で舞い上がり、機械化された四肢が限界駆動の金属音を悲鳴のように上げた。
[Impact]圧倒的な蹂躙(じゅうりん)。[/Impact]
銃弾の雨を意に介さず、シエルは素手で装甲兵たちの頭蓋を次々と砕いていく。
大理石の床は瞬く間に、肉と鉄の混ざり合う惨(むご)たらしい泥濘へと変わった。
だが。
教会の入り口に、鈍く光る砲塔が現れる。対装甲用の大型パイルバンカー。
[A:アッシュ:驚き][Shout]「シエル!!」[/Shout][/A]
[Pulse]世界が、スローモーションになる。[/Pulse]
砲口が火を噴く瞬間。シエルはアッシュとルルの前に立ち塞がり、両腕を大きく広げた。
[Flash]閃光と爆炎。[/Flash]
[A:シエル:愛情]「……かぞく、を……」[/A]
焼け焦げた匂い。
シエルの上半身が無惨に吹き飛び、飛び散ったオイルと銀色の髪が、アッシュの頬にべっとりと張り付く。
[A:アッシュ:絶望][Shout]「ああああああああッ!!」[/Shout][/A]
喉が千切れるほどの絶叫。
グレイヴがアッシュの襟首を乱暴に掴み、祭壇裏の隠し通路へと引きずり込む。
[A:グレイヴ:怒り]「喚(わめ)くな! 地下へ走れ!」[/A]
暗い階段を転がり落ちながらも、アッシュは燃え盛る教会の残骸から目を離せなかった。
第4章:解体屋の微笑み
地下の防空壕(ぼうくうごう)。
埃っぽく冷たいコンクリートの床に、アッシュは膝をついて荒い息を吐き出す。
ルルを背中に庇(かば)い、震える手でナイフの柄(え)を握りしめた。
[A:アッシュ:悲しみ]「親父……母さんが……ッ」[/A]
振り返ったグレイヴは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。
その顔に、先程までの頼もしい父親の面影は微塵もない。
冷酷な計算を弾き出す、死の商人の凍りついた瞳。
グレイヴの手には、銀色に光る小さなデータチップが握られている。
シエルの頭部残骸から、彼が直前に抜き取ったものだ。
[A:グレイヴ:冷静]「素晴らしい戦闘データだ。これなら軍の上層部に高値で売れる。あの不良品も、最後にいい仕事をした」[/A]
[Tremble]空気が、凍りつく。[/Tremble]
アッシュの頭の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
[A:アッシュ:驚き]「……は? なにを……言って……」[/A]
[A:グレイヴ:狂気]「家族とは素晴らしいものだ。互いに利用価値があるうちはな。さて、次はお前たちの解体だ」[/A]
暗闇の奥。無数の赤いレーザーサイトが、アッシュたちの身体に突き刺さる。
圧倒的な武装を施されたグレイヴの私兵たちが、音もなく包囲網を狭めていた。
家族など、最初から存在しなかった。
彼らはただの、生きた商品に過ぎなかったのだ。
第5章:見捨てられた縋り糸
[A:アッシュ:怒り][Shout]「ふざけるなあああッ!!」[/Shout][/A]
アッシュは地を蹴った。
死に物狂いで、グレイヴの喉元へ刃を突き立てようと飛ぶ。
だが、歴戦の傭兵でもある大男の拳が、容赦なくアッシュの腹部を粉砕した。
[Impact]鈍い破裂音。[/Impact]
胃液と血を吐き散らし、アッシュは冷たい床に這いつくばる。
肋骨が何本も折れ、立ち上がることすらできない。
[A:アッシュ:絶望]「がっ……ル、ル……逃げ……」[/A]
泥に塗れた手を伸ばす。
だが、視線の先で起きた光景に、アッシュは己の目を疑った。
怯えて泣いているはずのルルが、血だまりを避けるように軽やかな足取りで歩み寄り、グレイヴの足元にすがりついて小首を傾げたのだ。
[A:ルル:冷静]「ねえ、パパ」[/A]
舌足らずな声。だが、その瞳には何の温度も宿っていない。
[A:ルル:狂気]「お兄ちゃん、もう壊れちゃったみたい。だから、私だけ助けて?」[/A]
[Blur]視界が、ぐにゃりと歪む。[/Blur]
耳鳴りが止まらない。
守るべき存在。自分の命よりも大切だった妹。
その言葉が鋭い刃となり、アッシュの自我を粉々に切り刻んでいく。
背中に回されたルルの小さな手に、赤黒く染まったナイフが握られていることなど、知る由もなかった。
第6章:純真なる怪物
グレイヴは満足げに喉の奥で笑い、ルルの細い顎を指で持ち上げる。
[A:グレイヴ:喜び]「賢い商品だ。美しいガラクタとして、上層部の変態どもに高く売ってやろう」[/A]
[Sensual]
ルルは無邪気に微笑み、グレイヴの胸元へ身を寄せる。
細い腕が大男の太い首に回され、甘い吐息が葉巻の匂いと混ざり合う。
[A:ルル:愛情][Whisper]「うれしい。ねえ、パパ……」[/Whisper][/A]
[Flash]次の瞬間。[/Flash]
[A:ルル:狂気]「死んで」[/A]
[/Sensual]
躊躇いなく振り抜かれたナイフ。それが、グレイヴの頸動脈(けいどうみゃく)を深々と抉り抜いた。
[Pulse]ブチャッ、と鮮血が噴き出す。[/Pulse]
信じられないものを見る目で目を見開くグレイヴ。
ルルは生温かい返り血を全身に浴びながら、クスクスと笑い声を上げる。
[A:ルル:喜び]「私、パパが嘘つきだって最初から知ってたよ。でもね、ちょうどよかったの」[/A]
倒れ伏すアッシュを見下ろし、ルルは恍惚(こうこつ)とした表情で頬を染める。
[A:ルル:興奮]「お兄ちゃんをからっぽにして、私だけを見るようにしたかったの。ほら、これで本当のふたりきり」[/A]
[A:グレイヴ:怒り][Shout]「この、クソガキがあああっ!!」[/Shout][/A]
致命傷を負い、血泡を吹きながらも、怪物のごとき生命力でグレイヴが立ち上がる。
巨大な掌(てのひら)がルルの首を掴み、コンクリートの壁へと力任せに叩きつけた。
同時に、彼の網膜(もうまく)デバイスが赤く発光し、私兵たちの殺戮(さつりく)プログラムが強制起動される。
第7章:泥と血の祝祭
[A:ルル:絶望]「あ……がっ……」[/A]
ルルの身体が崩れ落ちる。純白のワンピースが、真っ赤に染まった。
その瞬間。
アッシュの中で、かろうじて繋ぎ止められていた理性の糸が、[Glitch]ブツリと音を立てて千切れた。[/Glitch]
[A:アッシュ:狂気][Shout]「ルルに……触るなああああああッ!!」[/Shout][/A]
[Impact]痛みなど、とうにない。[/Impact]
砕けた足で跳躍する。銃弾が肩を貫こうが、脇腹の肉を抉り取られようが、歩みは止まらない。
ただの憎悪の塊と化したアッシュは、獣さながらにグレイヴへ飛びかかった。
大男の胸ぐらを掴み、その巨体を床へと引き倒す。
ナイフを落とした手で、近くにあった重いコンクリートの瓦礫(がれき)を掴み上げた。
[A:グレイヴ:恐怖]「狂犬が……離せッ!」[/A]
[A:アッシュ:怒り][Shout]「死ね! 死ね! 俺たちの世界から消えろッ!!」[/Shout][/A]
振り下ろす。骨が砕ける音。
振り下ろす。肉が潰れる音。
振り下ろす。断末魔が途絶える音。
返り血で視界が完全に赤に染まっても、アッシュは腕を止めなかった。
かつての父の顔が、原型を留めないただの肉塊に成り果てようと。ひたすらに、重い石を叩きつけ続けた。
第8章:血塗られた揺り籠
静寂。
鼻を突く硝煙(しょうえん)と、濃密な血の匂い。それだけが、地下室に充満している。
私兵たちは主の死によって機能を停止し、ただの鉄くずと化していた。
血だまりの中心。アッシュは荒い息を吐きながら、仰向けに倒れ込む。
四肢はまともに動かない。[Blur]視界は端から暗転していく。[/Blur]
終わった。
裏切られ、何もかもを失った。
[Sensual]
這(は)うような衣擦れ(きぬずれ)の音が近づく。
冷えゆくアッシュの頬に、温かく柔らかい手が触れた。
泥と血に塗れたルルが、覆い被さるようにして彼を覗き込んでいる。
[A:ルル:愛情][Whisper]「お兄ちゃん、がんばったね。えらい、えらい」[/Whisper][/A]
虚ろだった黒い瞳は、今はとろけるような熱を帯びてアッシュを映していた。
この怪物が、全てを仕組んだのだ。
彼から全てを奪い去り、狂った愛の檻(おり)に閉じ込めるために。
だが。
アッシュは残された僅かな力を振り絞り、その小さな背中にゆっくりと腕を回す。
[A:アッシュ:愛情]「……ああ。俺が、お前を守った。俺たちはずっと、家族だ」[/A]
[/Sensual]
外の世界は、変わらず絶望的な地獄だ。
頼れる大人など誰一人いない。
それでも二人は、血塗られた互いの体温だけを鎖のように縛り付け合う。底なしの泥濘(ぬかるみ)の中で、永遠の眠りにつくように深く寄り添い合った。