第一章: 値踏みされた首筋
腐ったオイルと甘たるい有毒ガスの臭気が、錆びついた鉄骨の隙間からどろりと這い上がってくる。
レヴィア・フォン・メビウス「動かないでください、エラーコード。総合評価ゼロの欠陥品など、我がメガフロートの美しき歯車に必要ありません」
白磁の肌に銀糸の髪を揺らした統括官――レヴィア・フォン・メビウスの銃口が、足元に組み伏せられた新堂シンの眉間を冷たく圧迫した。
純白の軍服の裾が、蛍光緑の汚水に触れることすら拒絶するように微かに浮いている。
カルマ・オルロック「ヒヒッ! 統轄官様ァ! そいつを差し出したんだ、俺の市民ランクを上げてくれる約束ですよねぇ!?」
ネオンイエローの裏地を翻し、赤色発光サイバーアイをぎらつかせたカルマが卑屈に揉み手を擦り合わせた。
灰色の防護パーカーの襟元を乱暴に掴まれたまま、首にかけたツギハギのゴーグルを揺らし、シンは口端に滲む血をゆっくりと舐め取る。
黒髪の隙間から覗く濡れた黒い瞳が、レヴィアの頭上に浮かぶ黄金の数値を静かに捉えた。
新堂 シン「へえ……あんたが誇るその高価な数値、あと何回分の呼吸でゼロになるか教えてやろうか?」
レヴィア・フォン・メビウス「戯言を。私は完全です。この完璧な数値こそが、私が生きるに値する唯一の証明なのですから」
サファイアブルーの瞳はシンの命など路傍の石としか見ていない。
だが、シンは眉間の銃口をものともせず、喉の奥で低く嗤った。
新堂 シン「【残り呼吸可能回数:382回】。【脳幹焼灼まであと6分】。あんた、自分を神だと錯覚したまま死ぬ気配だな?」
隠蔽された代償数値。
絶対的な支配者であった彼女の頭上で、不可視のロックが外れる音が響く。
レヴィア・フォン・メビウス「な……っ!?」
氷点下の瞳が激しく揺らぎ、銃口を握る白銀の手袋がカタカタと痙攣を始めた。
警告:心拍数閾値超過。バイタル急落――9999から降下中
胸元から溢れ出た粘質な生体冷却液が、誇り高き純白の布地を赤黒く汚していく。
第二章: 偽りの神格の崩落

警報の電子音が地下トンネルの澱んだ闇を甲高く切り裂き、青白い放電が鉄路を舐め回す。
レヴィア・フォン・メビウス「嘘よ……私の数値が崩れるはずがない! 私は選ばれた存在なのよ!」
彼女の存在意義そのものであった頭上の数値が、砂の城のように急速に削れ落ちていく。
敵性不適格者を感知。排除プロトコル起動
無機質なアナウンスと共に、周囲の治安ドローン群が一斉にレヴィアへ赤い照準レーザーを収束させた。
カルマ・オルロック「ゲヒャッ! 9999の女が廃棄落ちかよォ! ならその高価な生体チップ、俺がいただくぜぇ!」
カルマの振り抜いた電磁ナイフが、周囲の空気を焼き焦がす熱波を撒き散らす。
新堂 シン「勝手に値踏みすんなよ!」
シンは泥水から跳ね起きると同時に生身の左腕を差し出し、白熱する刃を強引に骨で受け止めた。
ジュッという肉の焼ける異臭。
鼻腔を突き刺す焦げ臭さと共に、鋭利な痛みがシンの脳髄を灼き切る。
カルマ・オルロック「なっ、シンてめえ……!?」
新堂 シン「てめえの数値は【欲望過多による心不全確率88パーセント】だ。これ以上欲張ると脳が沸騰するぞ」
カルマが怯んだ隙を突き、シンは腰を抜かしたレヴィアの華奢な手首を乱暴に引き寄せた。
勢い余って胸にぶつかってきたレヴィアの、激しく乱れる熱い吐息がシンの剥き出しの首筋を甘く撫でる。
耳介の裏に刻まれた彼女の識別バーコードが、冷や汗に濡れて微かに脈打っていた。
新堂 シン「おいエリート、死にたくねえなら走れ! てめえの命をこんなクズに横取りさせてたまるか!」
レヴィア・フォン・メビウス「あ……っ、私、を……?」
屈辱と混乱に唇を噛み締めながらも、彼女の冷え切った指先が、シンの防護パーカーを無意識に強く掴み返した。
そのまま二人は、赤いレーザーの網目を掻き分けるように、奈落へ続く非常階段へと身を躍らせる。
第三章: 剥ぎ取られた天蓋

高度三千メートル、風速三十メートルの殺人的な突風が換気タワーの錆びた足場を激しく叩きつける。
巨大重機ドローンのコックピットで、追いすがるカルマが赤髪を逆立てて醜く歪んだ笑みを浮かべた。
カルマ・オルロック「シン! てめえのその目、上層に売り飛ばせば俺は一生安泰なんだよ! ミンチになりなァ!」
重機関砲の多連装銃口群が狂ったように回転を始め、シンの網膜を死の赤色に染め上げる。
レヴィア・フォン・メビウス「新堂……もう私の評価はゼロよ……。父に見捨てられた私には、生きる理由なんて……!」
喀血しながらシンの背中に縋り付くレヴィアの銀髪が、荒れ狂う風に千切れるように舞い散る。
新堂 シン「カルマ、教えてやるよ。俺がなんで評価ゼロなのか」
シンは自らの項に埋め込まれた規格外の生体ポートへ、躊躇いなく二本の指を突き立てた。
肉を裂き、神経に絡みつく配線を強引に引きずり出す。
鮮血と共に、眩い青いスパークが飛び散る。
新堂 シン「この街のシステムはな、自立して生きようとする魂を数値化できねえから【欠陥品】って呼ぶんだよ!」
《ブラインド・オーバーヒート》
引き抜いた血まみれの端子を、タワーの中枢を貫く主基幹ケーブルへと力任せに突き刺した。
天蓋を裂く強烈な放電が奔流となって這い回り、世界そのものを灼き尽くす。
視界に張り付いていた無数の黄金色の数字、人々を縛り付けていた青い等級ホログラムが、一斉にガラスのように粉砕された。
全ステータス消滅――システムダウン
カルマ・オルロック「ぎゃあああっ! 俺の数字が……市民ランクが消えるぅぅぅ!」
生きるよすがを失って狂乱したカルマは足を踏み外し、制御を失って火を噴くドローン諸共、底知れぬ夜の奈落へと呑み込まれていった。
第四章: 数字の消えた夜明け
暴風がピタリと止み、耳を劈くような静寂だけが世界に残された。
空を覆い尽くしていたネオンの格子が完全に消滅し、二人の頭上にはもう何の評価も浮かんでいない。
泥と他人の血にまみれた純白の軍服の裾を握りしめ、レヴィアは小刻みに震える自らの手のひらを呆然と見つめた。
レヴィア・フォン・メビウス「消えた……。9999も、余命も、全て……。私、何者でもなくなってしまったわ……」
……だが、胸の奥を刺すような息苦しさは消えている。
シンは血の滴る腕をぶら下げたまま鉄骨の縁に腰を落とし、湿気た本物の煙草にマッチで火を点けた。
チリ、と葉の燃える音が鳴り、立ち上る紫煙が冷たい肺を満たしていく。
新堂 シン「何者でもねえなら、今から何にでもなれるんじゃねえの。ほら見ろよ、エリート様」
シンの指差す先、砕け散った人工天蓋の切れ間から、紫と茜が混ざり合う本物の朝焼けが真っ直ぐに差し込んでいた。
その圧倒的な光の帯が、レヴィアの汚れた白磁の横顔を淡く、そして力強く染め上げる。
レヴィア・フォン・メビウス「……冷たい。こんなに痛くて、冷たいのね、風って」
新堂 シン「ああ。ステータスなんざなくても、あんたは今、ちゃんと息をしてるよ」
彼女の瞳から零れ落ちた一滴の雫が、朝日に反射して宝石のように煌めいた。
立ち込める煙の向こう、二人は足元に広がる名もなき大地を静かに見下ろし、新たな痛みを刻むためにゆっくりと歩き出した。