デバッガーは世界を救わない

デバッガーは世界を救わない

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気がつくと、俺、佐藤健太は鬱蒼とした森の中に立っていた。さっきまで終電間際のオフィスで死んだ魚の目をしながらキーボードを叩いていたはずなのに。目の前にはご丁寧に半透明のウィンドウが浮かんでいる。

【佐藤健太】
HP: 10/10
MP: 5/5
スキル: デバッグ

「はっ、しょぼすぎだろ…」
思わず乾いた笑いが漏れた。HPもMPも村人Aレベル。そしてスキルはたった一つ、「デバッグ」。ゲームのバグ探しが趣味の俺には馴染み深い単語だが、これが剣と魔法の世界で何の役に立つというのか。

その時、茂みから緑色の醜悪な生物――ゴブリンが三体、棍棒を振りかざして飛び出してきた。絶体絶命。これが俺の異世界ライフの最初で最後か。

だが、死を覚悟した瞬間、世界が奇妙に見えた。ゴブリンの一体の足元、その地面の一部がチカチカと点滅し、【当たり判定エラー】という文字が浮かび上がって見えたのだ。

「まさか…」

俺は咄嗟にそのエラー箇所に向かって走り、ゴブリンを誘導した。すると、俺を追いかけてきたゴブリンは、ズブリ、と音を立てて地面に膝まで埋まった。身動きが取れなくなったそいつを、残りのゴブリンたちが困惑した顔で見ている。

「マジかよ…」

この世界は、まるで出来の悪いゲームだ。そして俺の「デバッグ」スキルは、その世界のプログラムの欠陥、つまり「バグ」を認識し、利用できる力らしかった。

命拾いした俺は、なんとか近くの街にたどり着いた。石畳の街並み、活気ある市場、腰に剣を下げた冒険者たち。まさにファンタジーの王道だ。広場では、金髪碧眼のイケメンが「魔王を倒す!僕と共に来てくれる仲間を募集する!」と高らかに演説していた。人々は彼を「勇者様」と呼び、熱狂している。

だが、俺には見えていた。勇者の頭上に浮かぶ【NPC: 定型ルートA-3を実行中】というタグが。こいつ、人間じゃねえ。ただのプログラムされたキャラクターだ。

俺は世界の真実に気づいてしまい、一気に冷めた。どうせなら、このクソゲーみたいな世界で、楽して生きてやろう。俺は街の道具屋で一番安い薬草を一つ買い、アイテムボックス内で【アイテム増殖バグ】を利用した。一瞬で99個になった薬草を売り払い、大金を手に入れる。これを繰り返せば一生遊んで暮らせる。

「最高じゃないか」
俺がほくそ笑んだその時、脳内に直接声が響いた。
【警告: 意図しないパラメータの操作を検知。過度な利用はアカウント凍結の対象となります】

「管理者か…チッ、面倒くせえ」
どうやら、あまりやりすぎるとこの世界からBANされるらしい。

そんなある日、事件は起きた。街を巨大な影が覆い、絶望的な魔力をまとった魔王が、配下を連れて空から現れたのだ。「勇者」一行が果敢に立ち向かうが、魔王の一振りでシナリオの主役はあっけなく吹き飛ばされた。街は阿鼻叫喚の地獄と化す。

「シナリオ崩壊ってやつか。さっさと逃げるに限る」
俺が踵を返したその時、瓦礫の陰で泣いている小さな女の子が目に映った。その子に向かって、魔王が巨大な魔力の槍を振りかぶる。

「……クソがっ!」

面倒なのは、ごめんだ。ヒーローになる気なんてサラサラない。だが、目の前の光景に、サラリーマン時代に培われた理不尽への怒りが沸騰した。

俺は駆け出した。
「デバッグ、全開!」

視界がコードと数値で埋め尽くされる。魔王の槍の攻撃範囲、弾速、着弾予測地点。その全てを読み解き、俺は【当たり判定のラグ】を利用して、槍が俺の体を通り抜けるコンマ数秒の無敵時間で少女を抱えて飛びのいた。

「なにっ!?」
驚愕する魔王。俺にはお前の全てがお見通しだ。お前の足元には【座標固定バグ】が発生するポイントがある。そこへ誘導すれば数秒間は動けなくなる。お前が放つ追尾魔法は【障害物認識ルーチン】に欠陥があって、特定の角度で柱の陰に隠れれば勝手に自爆する。

俺はただ逃げ回っているように見せかけながら、魔王を翻弄し、その行動パターンと弱点を分析していく。そして、ついに見つけた。魔王が持つ最強の魔剣。そのアイテム情報には、こう記されていた。

【魔剣ディアボロス】
効果: 全てを両断する
※バグ情報: 特定の三属性魔法(炎、氷、雷)を同時に受けると、耐久値が強制的に0になる。

「ビンゴだ」

俺は街に残っていた魔術師たちに向かって叫んだ。
「そこの三人!タイミングを合わせろ!俺の合図で、炎と氷と雷の魔法をあの剣にぶち込め!」

魔術師たちは戸惑いながらも、鬼気迫る俺の様子に何かを感じ取ったのか、一斉に詠唱を始める。俺は魔王の注意を引きつけ、絶好の隙を作り出す。

「今だっ!」

三色の閃光が走り、魔剣ディアボロスに直撃した。次の瞬間、けたたましい音を立てて、最強のはずの魔剣がガラスのように砕け散った。

武器を失った魔王は、ただの図体がでかいだけのモンスターだ。後は衛兵たちが群がって、あっさりと討伐してしまった。

歓声が上がる街を背に、俺はそっとその場を離れた。柄じゃない。
すると、またあの声が脳内に響いた。

【通知: 重大なバグの発見と修正への貢献を確認しました。デバッガー『KENTA』を、正式な『世界管理者』候補として推薦します。承認しますか? YES / NO】

「はぁ? 管理者?冗談じゃない…」
面倒事がさらに増えるだけだ。だが、俺の口元は、自分でも気づかないうちにニヤリと歪んでいた。目の前には、まだ誰も知らない世界の裏側へ続く、新たな道が見える気がした。

「まあ、退屈よりはマシか」

俺は空中に浮かぶ「YES」のボタンに、ゆっくりと指を伸ばした。

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