放課後オーパーツ倶楽部

放課後オーパーツ倶楽部

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「あー、退屈だ」
屋上のフェンスに背を預け、神山奏(かみやま かなで)は青すぎる空に向かって呟いた。可もなく不可もない成績。そこそこの友人関係。刺激もなければ、波乱もない。灰色に見えるこの日常が、鮮やかな色に変わる瞬間なんて、訪れるはずもなかった。
その時、足元に硬いものが当たった。拾い上げてみると、それは黒い革張りの生徒手帳だった。普通のものと違うのは、表紙に描かれた、歯車と月を組み合わせたような奇妙な紋章。持ち主の名前は「三年・月読玲(つくよみ れい)」。聞いたことのない名前だ。
「届けに行くか……」
退屈しのぎにはなるだろう。奏は重い腰を上げた。

三年生の教室を覗いても、月読玲という生徒は見当たらない。クラス名簿にも名前がなかった。諦めかけた奏の耳に、生徒たちの噂話が飛び込んできた。
「また旧校舎の方に行ったらしいぜ、あの人」
「『チリレキ』だっけ? 何やってるかわかんない部活の……」
旧校舎。今は倉庫としてしか使われていない、忘れられた場所。奏は好奇心に引かれるように、軋む廊下を進んだ。
突き当たりにあったのは、「地理歴史準備室」と書かれたプレートが錆びついた扉。ノックをすると、「どうぞ」と凛とした声が返ってきた。
中には、窓から差し込む光を浴びて、一人の女子生徒が本を読んでいた。長く艶やかな黒髪、人形のように整った顔立ち。彼女が、月読玲だった。
「これを、届けに」
奏が生徒手帳を差し出すと、玲はふっと微笑んだ。
「ありがとう。探していたんだ。君が拾ってくれたのか」
「あ、はい。それじゃあ……」
奏が帰ろうとすると、部屋の隅のソファから、ひょっこりと別の女子生徒が顔を出した。
「先輩! この子が新しい仲間ですか!?」
オレンジ色のツインテールを揺らし、彼女は目を輝かせて奏に駆け寄った。「二年、日向葵(ひなた あおい)です! よろしくね、新入部員くん!」
「は? いや、俺はただ届け物を……」
「奏くん、だね」玲が手帳を閉じ、真っ直ぐに奏を見た。「君には素質がある。この『予見者の手帳』は、素質のある人間の近くでしか、その姿を現さない」
わけがわからなかった。予見者の手帳? 素質?
玲は立ち上がると、壁にかかった学園の地図を指差した。
「我々の活動は、表向きは『地理歴史研究会』。だが、真の名は『放課後オーパーツ倶楽部』。この翠ヶ丘学園に眠る、本来あり得ないはずの力を持つ品々――通称『オーパーツ』を、悪用される前に回収・管理するのが我々の使命だ」
奏は完全に思考が停止した。まるで小説かアニメの世界だ。
「さっそく君に最初の任務を与えよう」玲は悪戯っぽく笑う。「学園七不思議の一つ、『誰もいない音楽室から聴こえる月光』の謎を解明してもらう」

半信半疑のまま、奏は葵に連れられて音楽室に来ていた。
「玲先輩っていつもあんな感じだから、気にしないで! でも、オーパーツは本当に存在するんだよ!」
葵はそう言うと、グランドピアノの蓋を軽々と開けた。
「このピアノが、満月の夜、誰もいないのにベートーヴェンの『月光』を奏でるんだって。気味悪いよね」
奏はピアノを調べてみたが、おかしなところは見当たらない。ただの古いピアノだ。しかし、鍵盤の隅に、手帳にあったのと同じ、歯車と月の紋章が小さく刻まれているのを見つけた。
「これ……」
「あ、本当だ! さすが奏くん、目の付け所が違うね!」
その夜。奏と葵は、月読先輩に言われた通り、再び音楽室に忍び込んだ。窓から差し込む満月の光が、ピアノを白く照らし出す。
すると、どうだ。
カタン、と音がして、鍵盤がひとりでに沈んだ。そして、あの有名な『月光』の第一楽章が、静寂な校舎に響き渡り始めたのだ。
奏は恐怖よりも先に、胸が沸き立つような興奮を覚えていた。退屈だった世界が、今、目の前で色づき始めている。
「すごい……本当に……」
「うん!」葵も頷く。「でも、ただの怪奇現象じゃない。玲先輩が言うには、この演奏は『音の鍵』。校舎のどこかにある、別のオーパーツを起動させるためのトリガーなんだって!」
演奏が終わった瞬間、ピアノの足元でカチリと小さな音がした。床の一部がスライドし、地下へと続く階段が現れた。

階段の先には、古い書庫があった。中央の台座には、手のひらサイズの水晶玉が淡い光を放っている。
「やった! 『記憶の水晶』だ! 触れた者の過去を映像として映し出すオーパーツだよ!」
葵が駆け寄ろうとしたその時、背後から冷たい声が響いた。
「そこまでだ。それは我々生徒会が管理する」
振り返ると、そこに立っていたのは、鉄の風紀委員長として恐れられる影山だった。
「学園の秩序を乱すオーパーツは、全て没収する」
「そんなの横暴だよ!」
葵が叫ぶが、影山は動じない。彼の背後には、屈強な生徒会役員たちが控えている。万事休すか。
その時、奏は書庫の隅に、教師が使うチョークが一本落ちているのに気づいた。何の変哲もない、白いチョーク。でも、なぜか無性にそれが気になった。
「退屈な日常は、もうこりごりなんだよ!」
奏は叫ぶと同時に、チョークを全力で影山めがけて投げつけた。何の策もない、ヤケクソの一投。
だが、チョークはあり得ない軌道を描いた。まるで生き物のように影山を避け、彼の背後にあった消火器のレバーにピンポイントで命中したのだ。
ブシュッ!
白い粉末が噴き出し、影山たちの視界を奪う。
「今だ、葵さん!」
「うん!」
葵はその隙に水晶をひっつかみ、奏の手を引いて階段を駆け上がった。

準備室に戻ると、玲が優雅に紅茶を淹れて待っていた。
「お帰りなさい。見事だったよ、二人とも」
奏は息を切らしながら尋ねた。
「あのチョーク、一体……」
「ああ、それもオーパーツの一つ。『必中のチョーク』。投げれば、投げた者が意識した『目的』に最も都合の良い形で命中する」
「そんなものが、なぜあそこに……」
「私が置いておいた」玲はあっさりと言った。「君なら、きっと面白い使い方をしてくれると信じていたからね」
奏は呆気に取られたが、すぐに笑いが込み上げてきた。何なんだ、この部活は。最高にどうかしている。
「神山奏くん」玲が改めて奏に向き直る。「君を『放課後オーパーツ倶楽部』の正式メンバーとして歓迎する。これから君を待つのは、退屈とは無縁の、謎と冒険に満ちた日々だ。覚悟はいいかな?」
奏は窓の外に広がる、見慣れたはずの学園の景色を見た。それはもう、灰色なんかじゃなかった。無数の秘密を隠した、宝の島のようにキラキラと輝いて見えた。
「はい、部長」
奏は、最高の笑顔で答えた。彼の胸を焦がす冒険が、今、始まったのだ。

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