私立霧ヶ峰学園では、才能は売買されるものだった。
全生徒に配布される銀色の腕輪『タレント・ブレスレット』。それは、己の才能を「TP(タレントポイント)」として可視化し、学内通貨『クレジット』を介して生徒間で取引できる、夢のようなシステムだった。
試験前には『学力TP』を買い、大会前には『運動TP』を借りる。才能ある者は富み、無い者は、なけなしのTPを切り売りして糊口をしのぐ。残酷なまでに公平で、徹底した実力主義のユートピア。
そんな学園で、俺、相馬拓人(そうま たくと)は『ゼロ』と呼ばれていた。ブレスレットに表示されるTPは、全項目で学年平均を大きく下回る。売るほどの才能もなく、買うためのクレジットもない。まさに底辺。教室の隅で息を潜めるのが、俺の日常だった。
「今年も開催が決定した! 学園対抗アルティメット・トライアスロン!」
学園長の声がホールに響き渡った瞬間、エリートたちの目がギラついたのを俺は見た。学力、運動能力、芸術性。三つの総合力を競うチーム戦。優勝チームには、一生遊んで暮らせるほどのクレジットと、絶大な名誉が約束される。
もちろん、俺には関係のない世界の話だ。そう思っていた、はずだった。
「拓人、頼む! 俺たちのチームに入ってくれ!」
放課後、俺に頭を下げてきたのは、数少ない友人の大野だった。彼のチームは、俺に輪をかけて悲惨なメンバー構成だった。運動音痴のガリ勉、絵が絶望的に下手な体育会系、極度のあがり症の美声の持ち主。いわば『才能の欠陥品』の見本市だ。人数合わせで、ついに俺にまで声がかかったというわけだ。
断るつもりだった。だが、大野の必死な目を見ていたら、なぜか頷いてしまっていた。
その夜、自室のベッドで、俺はチームメンバーのプロフィールを眺めていた。ブレスレットを介して共有された、絶望的な数値の羅列。溜め息をついた、その時だった。
――チカッ。
メンバーたちのプロフィールデータの間を、淡い光の線が走った。幻覚か? 俺は目をこすった。だが、光は消えない。それは、まるで星座を結ぶ線のように、ある才能と別の才能を繋いでいた。
運動音痴のガリ勉、鈴木が持つ『記憶力TP:98』。そして、体育会系の赤井が持つ『空間認識TP:85』。二つの才能の間に、確かな光のパスが見える。
まさか。
胸が早鐘を打つ。もしかして、これは……。
俺のブレスレットには、どのカテゴリーにも属さない、未分類のTPが『1』だけ存在した。今までずっと意味不明のバグだと思っていた。だが、もしこれが『才能の組み合わせ(シナジー)を見抜く力』だとしたら?
「……面白いことになってきたじゃないか」
口の端が吊り上がるのを、止められなかった。
トライアスロン第一種目、『知の迷宮』。巨大な立体迷路に隠された難解なクイズを解いていく、学力と判断力の勝負だ。
「いいか、作戦通りに行くぞ。鈴木、お前の『記憶力TP』を一時的に赤井に譲渡しろ。手数料は俺が持つ」
「え? 俺の唯一の取り柄を?」
「信じろ」
半信半疑の鈴木。だが、俺の有無を言わせぬ視線に、彼はブレスレットを操作した。赤井の『記憶力TP』が一時的に跳ね上がる。
「赤井、スタートと同時に迷路の全体図を焼き付けろ。お前の空間認識能力なら、最短ルートが割り出せるはずだ」
「お、おう!」
スタートの合図と共に、赤井はコンマ数秒で地図を脳内に叩き込むと、猛然とダッシュした。他のチームが地図とにらめっこしている間に、俺たちは最初のチェックポイントに到達する。
「問題は……古代史か。よし、全員のなけなしの『歴史知識TP』を鈴木に集めろ!」
俺の号令で、メンバーたちの微々たるTPが鈴木のブレスレットに集約される。彼の『学力TP』が一時的にエリート級にブーストされ、淀みなく解答を導き出した。
これを繰り返し、俺たちはまさかの一位で第一種目を通過した。呆然とするメンバーと、どよめく観客席。俺は確信した。この力は本物だ。俺は、個々の才能を指揮し、最高のハーモニーを奏でさせる『司令塔』になれる。
第二種目『力の絶壁』、第三種目『美の創造』も、俺の采配は冴え渡った。あがり症の生徒から『声量TP』を借りてチームを鼓舞し、メンバー全員から『色彩感覚TP』を一点集中させて、奇跡のようなオブジェを創り上げた。
そして、運命の決勝戦。相手は学園最強、王者『アストライア』。メンバー全員が各分野でトップクラスのTPを誇る、正真正銘のエリートチームだ。
「小細工はそこまでだ、『ゼロ』」
リーダーの東堂が、俺を見下して言い放つ。個々のTPの絶対値では、俺たちに勝ち目はない。だが――。
「あんたたちは足し算しか知らない。俺たちは、掛け算のやり方を知ってるんだ」
最後の競技は、三種目すべての要素を複合した『総合演劇』。限られた時間で脚本を作り、舞台を設営し、演じきる。
俺たちは、東堂たちが圧倒的な『芸術性TP』で豪華絢爛な舞台を作り上げるのを横目に、地味な作業に徹した。俺の指示通り、メンバーたちは最小限のTP貸借を繰り返し、小さな歯車を噛み合わせていく。
クライマックス。東堂が舞台中央で高らかに歌い上げる、その瞬間だった。
「――今だ!」
俺の合図で、チーム全員が最後のTPを、たった一つの要素に注ぎ込んだ。それは、この学園で最も軽視されていた才能――『共感性TP』。
俺たちの創り上げた物語は、地味で、不格好で、みっともないものだった。だが、それは『ゼロ』と呼ばれた俺たちが、初めて手にした勝利への渇望、そのものだった。その想いが『共感性TP』のブーストによって、観客のブレスレットに直接流れ込む。
豪華な歌声よりも、派手な舞台装置よりも、俺たちの泥臭い想いが、会場全体の心を揺さぶった。審査員のブレスレットが、共感の波で激しく明滅する。それは、システムが想定していなかった、新たな評価基準が生まれた瞬間だった。
結果は、俺たちの圧勝。
鳴り響く歓声の中、俺は拳を突き上げた。ブレスレットが誇らしげに輝いている。そこには、新たな才能の名が表示されていた。
『タレント・コーディネーター』、と。
才能は、一つだけでは意味をなさない。誰かと繋がって初めて、本物の輝きを放つ。俺はもう『ゼロ』じゃない。この才能市場で、最高の奇跡を起こす司令塔だ。霧ヶ峰学園の新しい伝説が、今、始まった。
無才の司令塔
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