鈴木家の週末は、いつも静かだった。いや、静かというより、音がなかった。父・雄介はリビングのソファで惰眠を貪り、母・美咲はスマホの画面に視線を落とし、高校生の俺、健太は自室でイヤホンをつけてゲームに没頭する。唯一、リビングでアニメを観ていた小学生の妹・陽菜の笑い声だけが、この家の生命活動の証だった。
そんな淀んだ空気に波紋を広げたのは、先月亡くなった曾祖父の遺品整理で見つかった、古びた桐の箱だった。
「お父さん、見てこれ! ひいおじいちゃんの宝箱だよ!」
陽菜が目をキラキラさせながら、雄介を揺り起こす。箱の中には、羊皮紙のような手触りの地図と、一通の封筒が入っていた。
『我が愛する子孫たちへ。人生という名の冒険は楽しんでいるか? もし退屈しているのなら、我が人生最後のミッションに挑戦してみよ。この地図が示す場所に、生涯最大の宝が眠っている』
「宝探し……?」
陽菜の頬が高揚する。しかし、父は面倒くさそうに頭を掻いた。
「馬鹿馬鹿しい。じいさんの悪い冗談だ。仕事で疲れてるんだ」
「でも、面白そうじゃない!」と食い下がる陽菜。俺も「どうせガラクタだろ」と冷めた視線を送る。家族で何かをするなんて、何年も前の話だ。
だが、いつもは父の意見に従う母が、珍しく口を開いた。
「あなた。たまにはいいんじゃないかしら。陽菜も楽しみにしているし……私たち、最近、こういうこと全然なかったでしょう?」
母の少し寂しそうな声に、父はぐっと言葉を詰まらせた。結局、陽菜の熱意と母の静かな圧力に負け、俺たち一家は「週末限定の宝探しごっこ」に繰り出すことになった。
最初の指令は、地図に書かれた暗号詩だった。
『森の入り口、双子の石灯籠。影が真実を指し示す刻、西の巨人の足元を探れ』
「双子の石灯籠って、裏山の神社のことじゃないか?」
父が、昔取った杵柄とばかりに口を開く。子供の頃、この辺りでよく遊んだらしい。
「影が真実を指し示す刻って、何時だろう?」
母が首を傾げる。俺はスマホを取り出し、「石灯籠 影 時間」と検索した。
「正午だよ。太陽が真南に来た時、影は真北を指す。地図だと北西に『巨人の木』って書いてある」
俺の指摘に、父が少し驚いた顔をした。
翌日の正午、俺たちは神社の石灯籠の前に立っていた。くっきりと伸びた影の先、ひときわ大きな楠の根元を掘ると、錆びたブリキの缶が出てきた。中には次の指令が書かれた紙切れが。
『水底に眠る銀の鱗を追え』
「川だ! 川に違いない!」
陽菜が叫ぶ。そこからは、まるで何かのスイッチが入ったようだった。父は率先して川べりを歩き、浅瀬のルートを探した。母は持参した水筒のお茶を配り、俺はスマホの地図アプリで川の流れを分析した。
「銀の鱗って、魚のことかも!」
陽菜の言葉に、父が川の中の光る石を指差した。「あれじゃないか?」。川底には、魚の鱗のように光る平たい石が点々と続いていた。それを辿っていくと、小さな滝の裏にある洞窟にたどり着いた。
ヘッドライトの光を頼りに洞窟を進む。ひんやりとした空気が肌を刺し、水滴の音が不気味に響く。俺のすぐ後ろを歩く母の手が、俺のリュックをぎゅっと掴んでいるのが分かった。その時、先頭を歩いていた父が叫んだ。
「健太、陽菜! 足元に気をつけろ! 穴だ!」
ライトが照らした先には、ぽっかりと暗い口を開けたクレバスがあった。陽菜が小さく悲鳴を上げる。
「大丈夫だ。俺が先に渡る」
父は壁の突起に手をかけ、慎重にクレバスを乗り越えた。そして、向こう岸から俺たちに手を差し伸べる。
「健太、母さんを頼む。陽菜、お父さんの手をしっかり掴め」
その声は、俺が知らない父の声だった。力強く、頼りがいのある声。陽菜の手をしっかりと握り、母の背中を支えながら、俺たちはクレバスを渡りきった。洞窟の最奥には、またしても次の指令が隠されていた。
最後の指令は、一枚の写真だった。古い家の前で、若い頃の曾祖父が赤ん坊を抱いている。その赤ん坊は、父だった。
「これ、俺たちが昔住んでた家だ……」
父が呟く。今はもう取り壊されて、ただの空き地になっている場所だ。
夕暮れ時、俺たちはその空き地に着いた。写真と同じ場所に立っていたであろう柿の木の下を掘ると、ずしりと重い木箱が現れた。宝箱だ。
陽菜が歓声を上げ、父がゆっくりと蓋を開ける。息をのむ俺たち。
しかし、中に入っていたのは金銀財宝ではなかった。
そこにあったのは、何冊もの古いアルバムと、四通の手紙だった。父、母、俺、そして陽菜。それぞれに宛てられた、曾祖父からの手紙。
俺宛の手紙には、こう書かれていた。
『健太へ。お前が生まれた日、父さんは大声で泣いていたぞ。お前という宝物をどう守っていけばいいか、不安で仕方なかったようだ。人生という冒険には、地図なんてない。迷って当然だ。だが、たった一つだけ、絶対に手放してはいけないコンパスがある。それが家族だ。このミッションで、少しはコンパスの使い方を思い出してくれたかな?』
隣で父も母も、静かに手紙を読んでいた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいる。アルバムには、俺たちが忘れていた家族の写真が溢れていた。笑い合う両親、無邪気にはしゃぐ幼い俺と陽菜。
宝は、ここにあった。俺たちが失くしてしまったと思っていた、時間の中に。
帰り道、陽菜が父の背中で幸せそうに寝息を立てていた。母が俺の隣を歩きながら、そっと呟く。
「来週末は、どこに冒険に行く?」
俺は黙って空を見上げた。そこには、数時間前とは全く違う、満点の星空が輝いていた。
「そうだなぁ」
俺は自然と笑っていた。
「今度は俺が、ミッションを考えてやるよ」
鈴木家の週末に、新しい音が生まれた。それは、未来の冒も険を計画する、弾んだ声だった。
曾祖父のラスト・ミッション
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