「我が遺産は、家族の絆を試す最後の冒険の中にある」
祖父、佐伯宗一郎の一周忌に、弁護士が読み上げた遺言状の一文に、僕たち家族は呆気にとられた。自称発明家で冒険家。そんな破天荒な祖父らしい、最後のイタズラだった。
「ヒントは、この家に散りばめた思い出の品々。制限時間は24時間。見つけられなければ、遺産はすべて慈善団体へ寄付する」
「……またお爺ちゃんの悪い冗談が始まった」
うんざりしたように呟いたのは、父の健一だ。生真面目な公務員の父は、夢想家だった祖父と昔からそりが合わなかった。母の恵子は「まあ、あの方らしいわ」と困ったように微笑んでいる。
沈黙を破ったのは、ウェブデザイナーで自由奔放な姉の遥だった。
「面白そうじゃん! やろうよ、宝探し!」
きらきらと目を輝かせる姉に、僕は内心でため息をつく。現実主義の僕にとって、こんな茶番に付き合うのは時間の無駄に思えた。
「遺産総額は、概算で……億、ですね」
弁護士が付け加えた一言で、リビングの空気が変わった。父の眉がぴくりと動き、僕も思わずゴクリと喉を鳴らす。億。その言葉の魔力は、現実主義者をも冒険へと駆り立てるには十分だった。
こうして、僕たち佐伯家の、一夜限りの宝探しが始まった。
最初のヒントは、祖父の書斎にあった地球儀に貼られた一枚のメモだった。
『始まりの地は、我らが初めて空を見上げた場所』
「凧揚げした裏山のことかな?」「いや、あいつは天体観測が好きだった。屋根裏の天窓じゃないか?」
姉と父がそれぞれの思い出を語る。母は「プロポーズしてくれた庭の桜の木の下かしら」なんて頬を染めている。僕たちは手分けしてそれぞれの場所を探したが、それらしいものは何も見つからない。
行き詰まった僕の脳裏に、子供の頃の祖父の声が蘇った。
『航、世界で一番大きな空はどこにあるか知ってるか? それはな、お前の心の中だ』
心の中……思い出……。僕はハッとして書斎に戻り、壁に飾られた一枚の家族写真に手を伸ばした。数年前、まだ祖父が元気だった頃の写真だ。写真立ての裏側に、小さな真鍮の鍵がテープで貼り付けられていた。そして、新たなメッセージが。
『思い出は、音となり、時を刻む』
鍵は、ホールに置かれた古びたグランドピアノのものだった。鍵盤には所々に数字が彫られている。
「ダメだ、順番が分からない」
姉がお手上げといった様子で肩をすくめる。その時、黙ってピアノを眺めていた父が、ぽつりと言った。
「この曲かもしれない」
父は鍵盤に指を置くと、辿々しいながらも、どこか懐かしいメロディを奏で始めた。それは、母が昔よく口ずさんでいた曲だった。メロディの最後の音が響き渡った瞬間、ゴゴゴ、と重い音を立てて、ホールの壁の一部がスライドし、隠し通路が現れた。
通路の先は、祖父の秘密の工房だった。埃っぽい空気の中に、機械油の匂いが満ちている。そして、僕たちはそこで信じられない光景を目にした。
工房の中央に、四つの未完成の発明品が並んでいたのだ。
父のための、全自動書類整理機。母のための、レシピを記憶する調理補助ロボット。姉のための、インスピレーションを刺激するという虹色の照明器具。
そして、僕のためには……小さな木製の飛行機のおもちゃと、精巧な設計図が置かれていた。「夢を忘れるな」という、祖父の筆跡のメモが添えられて。
僕たちは、変わり者だとばかり思っていた祖父の、不器用で深い愛情に気づかされた。父は、自分に反発していたと思っていた父親の本当の想いに触れ、静かに肩を震わせていた。
机の上には、分厚い日記帳と、古めかしい金庫が置かれていた。日記の最後のページに、メッセージが記されている。
『本当の宝物は、金銭ではない。君たち家族が、再び一つになることだ。だが、冒険のご褒美は用意してある。最後の鍵は、この家で生まれた最初の“希望”だ』
「最初の、希望……?」
母が首を傾げる。姉は「この家で発明された最初の大ヒット作とか?」と見当違いなことを言っている。
僕は、ふと気づいた。違う。発明品じゃない。もっと単純なことだ。
「父さんだよ」
僕の言葉に、全員が顔を上げた。
「この家で生まれた最初の希望。それは、この家で最初に生まれた子供……父さんのことじゃないかな」
僕は金庫のダイヤルに手を伸ばし、父の誕生日をゆっくりと入力した。カチリ、と小さな音がして、重厚な扉が開く。
しかし、金庫の中は空っぽだった。現金も、宝石も、何もない。ただ、一枚の古びたモノクロ写真と、一通の手紙が置かれているだけ。
写真は、若き日の祖父と祖母、そして、祖父の腕に抱かれた赤ん坊の頃の父が写っていた。佐伯家の始まりの瞬間だ。写真の裏には、こう書かれていた。
『私の宝物。これを、未来へ』
家族の間に、温かい沈黙が流れた。僕たちは、祖父が本当に伝えたかったことを、ようやく理解した。
弁護士宛ての手紙には、「もし家族がここまで辿り着いたら、私の“本当の”遺産を渡してほしい」とあった。祖父は、僕たちの絆を信じていたのだ。
宝探しは終わった。
リビングに戻った僕たちは、まるで何事もなかったかのようにコーヒーを飲んでいた。だが、そこにはもう、以前のようなぎこちない空気はなかった。父と姉が、楽しそうに昔の思い出を語り合っている。
僕は窓の外の夜空を見上げながら、工房にあった木製の飛行機をそっと握りしめた。
祖父の最後の冒険は、バラバラだった家族の心を、確かに一つにしてくれた。そして、僕の心にも、忘れかけていた夢への小さなエンジンが、再び火を灯したような気がした。
「よし、やってみるか」
僕の呟きは、夜の静寂に溶けていった。佐伯家の新しい冒険は、今、始まったばかりだ。
佐伯家のラスト・アドベンチャー
文字サイズ: