音の錠前

音の錠前

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埃っぽい匂いが、記憶の底に沈んでいた感情を揺り起こす。父、佐伯正一が死んだという知らせを受け、俺、健人は十年ぶりに実家の暖簾をくぐった。家の中は、時間が止まったかのように、親父の生きた証がそこかしこに散らばっていた。口下手で、頑固で、仕事一筋の家具職人。そんな親父に反発して家を飛び出して以来、まともに顔を合わせることもなかった。

遺品整理とは名ばかりの、過去との対峙。その中で、俺は一つの奇妙な木箱を見つけた。書斎の隅、親父がいつも座っていた椅子のそばに、それは静かに置かれていた。紫檀だろうか、滑らかな手触りの箱には鍵穴がなく、継ぎ目さえ見当たらない。どんなに揺すっても、こじ開けようとしても、石のように沈黙を保っている。ただ、側面には鳥や星を模したような、不思議な彫刻が施されていた。

「最後まで、訳のわからん人だ」

独りごちて、俺はため息をついた。だが、どうしても気になった。この開かずの箱の中に、あの不器用な親父が何を遺したのか。それが知りたくて、俺は箱を自分の古道具屋に持ち帰ることにした。それが、俺に課せられた最後の宿題のように思えた。

店に持ち帰った箱を、俺はあらゆる角度から検分した。専門の道具を使っても、箱は頑として口を開かない。彫刻に何か仕掛けがあるのかと、一つ一つ指でなぞってみるが、ただの装飾にしか見えなかった。手詰まりを感じ、再び実家に戻って親父の遺品を漁る。何か手がかりはないか。

書斎の引き出しの奥から、くたびれた革の手帳が出てきた。ページをめくると、俺が子供の頃に描いた拙い家族の絵や、遊園地の色褪せたチケットが挟まっている。懐かしさよりも先に、ちくりと胸が痛んだ。俺は、こんな時間があったことさえ忘れようとしていた。

手帳の最後のページに、それはあった。木箱の側面にあったのと同じ、鳥と星の彫刻のスケッチ。そして、その横に、親父の震えるような字でこう書かれていた。

『音で開く』

音? 俺は首を傾げた。音で開く錠前なんて、物語の中でしか聞いたことがない。半信半疑のまま、俺は店にある音叉を鳴らしてみたり、ピアノのアプリで様々な音階を試してみたりした。だが、箱は相変わらず黙り込んだままだ。諦めかけたその時、手帳に挟まっていたもう一つのものに目が留まった。古いカセットテープだ。『健人、五歳の誕生日』とラベルに記されている。再生すると、ノイズの向こうから、幼い自分の甲高い声と、周りの大人たちの笑い声が聞こえてきた。そして、テープの終盤、小さな声が記録されていた。

「おとーさん、ありがと」

その声を聞いた瞬間、脳裏に閃光が走った。忘れていた光景が、鮮やかに蘇る。誕生日の日、親父が俺のために作ってくれた小さな手作りオルゴール。その蓋を開けると、聴き慣れない、けれど優しいメロディが流れた。「健人のための曲だ」と、親父は照れ臭そうに笑った。そうだ、あのメロディだ。

俺は記憶の糸を必死にたぐり寄せ、震える唇でその旋律を口ずさんだ。どこか懐かしく、少しだけ寂しい、不器用なメロディ。歌い終えた、その時だった。

カチリ、と。

木箱の中から、澄んだ小さな音が響いた。まるで長い眠りから覚めたかのように、ぴったりと閉じていた蓋が、わずかに持ち上がる。それは、親父が得意とした『からくり箱』だったのだ。特定の音階、世界でたった一つのメロディにだけ反応する、音の錠前。

ゆっくりと蓋を開ける。綿が敷き詰められた箱の中心に、それは鎮座していた。埃をかぶった、木彫りの小さなロボット。俺が幼い頃、店のショーウィンドウに飾られていたブリキのロボットを、毎日飽きもせずに眺めていた。結局、買ってもらうことは叶わなかった、憧れのおもちゃ。それとそっくりな姿をしていた。ヤスリの跡が残る、温かい手触り。

ロボットの足元に、四つ折りにされた小さな紙片があった。開くと、見慣れた不器用な文字が並んでいた。

『健人へ。
お前が欲しがっていたものだ。いつか、これを見つける頃には、俺はもういないだろう。
うまく言えなかったが、ずっとお前のことを誇りに思っていた。達者でな。
父より』

一粒、また一粒と、涙が手紙の上に落ちて染みを作っていく。声にならない嗚咽が喉の奥から込み上げた。反発して、憎んですらいた。だが、親父はずっと俺を見ていてくれたのだ。言葉にできない愛情を、このからくり箱に、この一体のロボットに、何年も何年も閉じ込めて。

俺は木彫りのロボットをそっと両手で包み込み、店のカウンターの一番よく見える場所に飾った。西日が差し込み、ロボットの影を長く伸ばしている。それはもう、ただの古道具ではない。時を超えて届いた親父の伝言であり、俺たちの不器用な家族の、確かな絆の証だった。言葉を交わさずとも、心は繋がっていた。俺は夕日に照らされたロボットを見つめ、静かに、本当に静かに微笑んだ。

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