時田計器店の秒針は、未来を刻む

時田計器店の秒針は、未来を刻む

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俺、時田刻(トキタ・キザム)の家は、古びた商店街で時計屋を営んでいる。カチコチと鳴る古時計の音と、油の匂いが染みついた店。客なんて滅多に来ないこの店が、俺はあまり好きじゃなかった。なぜなら、この「時田計器店」には、とんでもない裏稼業があるからだ。

「刻、ちょっといい?」
学校から帰って店番をしていると、奥から母さんの暦(コヨミ)が顔を出した。手にしたタブレットには、波形のようなグラフが映っている。
「1988年11月2日、午後4時13分。座標はうちから半径5キロ圏内。微小な時間震を観測したわ」
時間震。それは、歴史の流れに異物が混入した際に生じる歪みのこと。俺たち時田家は、その歪みを正す「時間修正官」の一族なのだ。
「またかよ。今回は父さんが行けばいいだろ」
俺が不貞腐れて言うと、店の奥から「うぐっ……」と情けないうめき声が聞こえた。見ると、巨大な振り子時計――我が家のタイムマシン――の前で、父さんの正(タダス)が腰をさすってへたり込んでいる。
「すまん、刻。ギックリ腰だ」
「はぁ!?」
「というわけで、あなたの初任務よ」
母さんがこともなげに言った。冗談じゃない。俺はまだ見習いだ。

渋々、店の地下にある秘密基地へ降りる。そこには、古めかしい店の雰囲気とは真逆の、ハイテクな機材がずらりと並んでいた。
「刻、これを持っていけ」
作業着姿のじいちゃん、永(ヒサシ)が、銀色の腕時計を手渡してきた。
「新型の『クロノメーター』じゃ。3秒だけ時間を止められる『スタシス』機能と、触れた物体の時間を10秒だけ巻き戻せる『リワインド』機能が付いとる。使いすぎるとエネルギーが切れるから、気をつけろよ」
今回の任務は、1988年の公園に落ちている一通のラブレターを、歴史通りに誰にも発見されず朽ちさせること。その手紙が本来の持ち主に渡ってしまうと、未来で生まれるはずのとある偉大な科学者の両親が出会わなくなり、結果として数百万人の命が失われる未来に繋がるという。
「たった一通の手紙が? 大げさだろ」
「歴史とは、そういう些細なことで変わるものなのよ」
母さんの言葉を背に、俺はタイムマシンの扉を開けた。

目を開けると、空気がやけに華やかだった。肩パッドの入ったスーツを着た人々が闊歩し、聞き慣れないユーロビートがどこからか流れてくる。これが1988年か。
指定された公園のベンチに、目的のラブレターは落ちていた。茶色い封筒だ。あまりに簡単で拍子抜けする。手を伸ばした、その瞬間だった。
「それに触るな、少年」
背後から低い声がした。振り返ると、黒いトレンチコートを着た長身の男が立っていた。鋭い眼光が俺を射抜く。
「君も未来から来たな。その手紙は、本来あるべき場所へ返す。歪められた歴史を正すために」
まずい。他の時間修正官か? いや、組織の人間ならこんな強引なやり方はしない。こいつは、歴史を自分の思い通りに変えようとする時間介入者――『テロリスト』だ。
男が突進してくる。俺はとっさにラブレターを掴み、駆け出した。

商店街を抜ける追いかけっこが始まった。男の足は異常に速い。追いつかれる! 俺はクロノメーターのボタンを押した。
「スタシス!」
世界が3秒間、色を失い静止する。その隙に路地裏へ飛び込み、息を殺した。しかし、男はすぐに俺の居場所を嗅ぎつける。
「そんなおもちゃで、私から逃げられるとでも?」
ゴミ箱の影から飛び出すと、男は俺の目の前に回り込んでいた。万事休すか。俺は覚悟を決め、ラブレターを懐にしまい、クロノメーターを握りしめた。
その時、頭上から聞き慣れた声が響いた。
「一人前になるには、百年早いな、刻」
見上げると、ビルの屋上に父さんが立っていた。腰には、見たこともないメカニカルなコルセットが巻かれている。
「悪いな、こいつは俺の息子だ。手荒な真似はさせん」
父さんが屋上から飛び降りると同時に、男の背後に着地した。一瞬の攻防。男は驚いたように目を見開き、その場に崩れ落ちた。気絶しているようだ。

「……父さん、なんで?」
「お前の初任務だからな。心配で見に来た」
ぶっきらぼうに言う父さんの顔は、どこか誇らしげに見えた。
俺たちは気絶した男を放っておき、現代へと帰還した。

「――というわけで、試験は合格じゃ」
秘密基地に戻ると、じいちゃんが笑いながら黒いトレンチコートを脱いだ。
「じ、じいちゃん!?」
「どうじゃ、迫真の演技じゃったろ?」
驚く俺に、母さんが呆れたように言った。
「あなたが心配性だから、刻がパニックになるじゃないの」
「まあ、及第点だな」
父さんはそう言って、俺の頭を無造作に撫でた。
俺の初任務は、家族に仕組まれた、壮大な最終試験だったのだ。

その夜、時田家の食卓は、いつもより少しだけ賑やかだった。テレビのニュースが、例の偉大な科学者が開発した新薬のおかげで、難病が克服されたと伝えている。
俺たちは何も知らないふりをして、母さんの作った生姜焼きを頬張った。
カチ、コチ、とリビングの古時計が時を刻む。退屈だと思っていたこの音が、今は世界を守る心臓の鼓動のように聞こえる。
そうだ、俺たち家族が守っているのは、この何でもない、温かい日常そのものなんだ。
時田計器店の新しい秒針として、俺の時間が、今、確かに動き出した。

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