うちの家族は、たぶん普通じゃない。
中学二年生の俺、佐藤健太がそう確信したのは、先週の夕食でのことだった。食卓に並んだのは母さん特製のハンバーグ。最高に美味い。ただ、会話が妙だった。
「それで、首尾はどうなんだ?『お隣の猫』の件は」
父さんが、真剣な顔で赤ワインのグラスを傾けながら言った。父さんはごく普通の商社勤めのはずだ。
「問題ないわ、お父さん。対象は今夜、西棟の屋根裏で微睡む予定。侵入経路は確保済みよ」
答えたのは高校生の姉さん、玲奈。学校では生徒会長を務める優等生だが、家ではノートパソコンを片時も離さない。カタカタと不気味なタイプ音を響かせながら、姉さんは続けた。
「ただ、セキュリティが面倒ね。赤外線センサーが三台。型番はKX-207。解析は終わってるけど」
「大丈夫。私が『ご近所さん』になって、十分ほど無力化できるわ」
母さんが、にこやかにデミグラスソースをハンバーグにかけながら言った。母さんの趣味はガーデニングと、なぜか「近所の地理と人間関係の完全把握」だ。
お隣の猫って、たしか三毛猫のタマのことだよな? なんでそんな話に赤外線センサーが出てくるんだ?
俺がポカンとしていると、父さんが咳払いをして俺を見た。
「健太。お前、夏休みの自由研究は進んでいるのか?」
「え? あ、うん。まあまあ……」
話題を逸らされた。いつものことだ。俺だけが、家族の会話の輪から弾き出されているような気がしてならなかった。
その夜、事件は起きた。
どうしても気になって眠れなかった俺は、自室をそっと抜け出し、リビングのドアに耳をつけた。中からはひそひそと話す声が聞こえる。
「……ターゲットは『嘆きのファラオ』。クライアントは例の博物館の元館長だ」
「五日前に何者かに盗まれた幻の秘宝ね。呪いの力が宿るとかいう、アレ?」
「ああ。犯人は国際的な美術品窃盗団『カリギュラ』。奴らは今夜、アジトである港の第四倉庫で、海外のバイヤーに売りさばくつもりだ」
「タイムリミットは午前二時。急がないと」
なんだその物騒な会話は。嘆きのファラオ? カリギュラ?
頭が混乱していると、ガチャリ、とリビングのドアが開いた。まずい。
俺は慌てて廊下の物陰に隠れた。そこから現れたのは、全身黒ずくめの家族だった。
父さんはシャープなコンバットスーツ。母さんは体にフィットしたレザースーツで、腰には細いワイヤーが巻かれている。姉さんはゴーグルを額に上げ、腕には小型のコンピューター端末を装着していた。まるでスパイ映画だ。
「じゃあ、行ってくるわね。健太が起きないうちに」
「ああ。玲奈、バックアップは頼んだぞ」
「任せて。パパこそ、派手にやりすぎないでよ」
三人は音もなく玄関から出て行った。
心臓がドラムのように鳴り響く。これは夢か? いや、現実だ。うちの家族は、ただの家族じゃなかったんだ。
退屈だった日常が、一気にひっくり返るような興奮が湧き上がってきた。
じっとしていられるわけがない。
俺は自転車にまたがり、真っ暗な夜の街へ、家族を追って全力でペダルを漕いだ。
港の第四倉庫は、気味が悪いくらい静まり返っていた。錆びた鉄の扉の隙間から、ぼんやりと明かりが漏れている。俺は息を殺して、窓から中を覗き込んだ。
倉庫の中では、いかにも悪人といった風貌の男たちが、黄金のマスクを囲んでいた。あれが「嘆きのファラオ」か。
その時、天井の梁から三つの影が音もなく舞い降りた。父さんと母さんと姉さんだ。
「今晩は、カリギュラの諸君。人の物を盗むのは感心しないな」
父さんの静かな声が響く。
悪人たちが一斉に銃を構えた。絶体絶命だ!
しかし、姉さんが腕の端末を操作した瞬間、倉庫中の照明が弾け飛び、完全な闇が訪れた。
暗闇の中、悲鳴と打撃音が響き渡る。父さんと母さんが、暗視ゴーグルをつけて縦横無尽に立ち回っているのが分かった。これが、うちの家族の本当の姿……。
だが、計画通りにはいかなかったらしい。
「くそっ、逃げられた! ボスがファラオを持って屋上へ!」
姉さんの焦った声がした。見ると、一人の大男がマスクを抱え、外階段を駆け上がっていく。
父さんと母さんは他の連中を相手にしていて手が離せない。
どうする……!
その時、俺は自分のリュックに入っていた「ある物」を思い出した。
夏休みの自由研究で作った、「超強力ネオジム電磁石」。理科の先生に「やりすぎだ」と呆れられた代物だ。
俺は夢中で倉庫の壁をよじ登り、屋上へと続く外階段に駆け上がった。
「待てー!」
俺が叫ぶと、大男がギロリとこちらを睨んだ。その手には銃が握られている。
やばい、死ぬ!
俺はパニックになりながら、リュックから電磁石を取り出し、スイッチを入れた。
次の瞬間、想像もしないことが起きた。
大男が持っていた銃が、カシャン!という派手な音を立てて、俺の電磁石に吸い寄せられたのだ。それだけじゃない。男のベルトのバックル、懐のナイフ、金属という金属が次々と俺の方へ飛んでくる。
「な、なんだこりゃあ!?」
身につけていた金属類を全て奪われた大男は、バランスを崩してその場にへたり込んだ。
その隙に、俺は黄金のマスクをひったくって駆け出した。
「健太!?」
追いついてきた父さんが、目を丸くして俺を見ていた。
無事に家に帰り着き、黄金のマスクをテーブルに置くと、家族全員の視線が俺に突き刺さった。
気まずい沈黙。絶対、メチャクチャに怒られる。
「……あの、ごめんなさい」
俺が縮こまっていると、父さんはふう、と大きなため息をついた。
「無茶をするな。だが……」
父さんはニヤリと笑った。
「お手柄だったな、健太。お前の自由研究が、まさかあんな形で役に立つとは」
「え……?」
「よくやったわ、健太! でも、今度からはちゃんと相談してよね!」
母さんが俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。姉さんも「まあ、見直したかも」と少しだけ口元を緩めた。
父さんは立ち上がると、俺の肩に手を置いた。その目は、今まで見たことがないくらい真剣で、そして誇らしげだった。
「ようこそ、健太。我が佐藤家の『秘密の家業』へ。今日からお前も、見習いエージェントだ」
こうして、俺の退屈だった日常は、最高にスリリングな非日常へと変わった。
次のミッションはなんだろう。今度はどんな「失われたモノ」を取り戻しに行くんだろう。
食卓に並ぶ母さんのハンバーグは相変わらず最高に美味くて、これからの毎日を思うと、ワクワクが止まらなかった。
佐藤家の、秘密の家業
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