佐藤さんちの、とある週末のやっかいごと

佐藤さんちの、とある週末のやっかいごと

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「ただいまー」
僕、佐藤健太がリビングのドアを開けると、そこには信じがたい光景が広がっていた。床には巨大なタコの足が転がり、壁にはイカ墨らしき黒い飛沫。そして、ずぶ濡れの父さんと母さんと姉ちゃんが、なぜか誇らしげな顔で立っていた。

「おかえり、健太。悪い、夕飯の買い出しがちょっとした大立ち回りになっちゃって」
父さんがTシャツの潮を絞りながら言った。父さんの本業はしがないサラリーマンだが、裏の顔は「半径5メートル以内限定の天候操作能力者」だ。どうやら近所の鮮魚コーナーで局地的な豪雨を降らせたらしい。

「大西洋から来たイカ魔人が特売のブリを狙ってたのよ。お母さんの『超高速レジ打ち』でなんとか撃退したけど」
母さんはパートのレジ打ちで鍛えた指さばきを応用し、バーコードリーダーから目に見えない衝撃波を放つ。今日も平和を守ってくれたようだ。

「健太、あんたも早く手伝って。このタコ足、今夜の唐揚げにするから」
姉ちゃんの美咲は、念動力でタコ足をまな板まで浮かせながら言った。

これが僕の家族、佐藤家。父さんは天候操作、母さんは衝撃波、姉ちゃんは念動力。それぞれが地味にすごい超能力を持つ、秘密のヒーロー一家だ。
そして僕は、何の能力も持たない、一家で唯一の一般人である。

だから、いつもこうだ。家族が世界の危機(主に近所の特売セールの平和)を救っている間、僕は家で宿題をするか、ゲームをするか。正直、ちょっとだけ、いや、かなり疎外感を感じていた。

その週末のことだった。街に奇妙な警報が鳴り響いた。
「緊急速報です。市内中心部に所属不明の巨大飛行物体が出現。周辺の住民から『やる気が出ない』『全てがどうでもよくなった』などの謎の症状が報告されています!」
テレビに映し出されたのは、灰色のもやもやとした、クラゲのような謎の物体だった。そいつがふわりと浮かぶたび、街の色が少しずつ褪せていくように見えた。

「来たか……『無気力誘発型精神汚染クリーチャー』、通称『ナマケモノ』ね」
母さんが買い物袋を置き、エプロンを脱ぎ捨てた。その目は完全に「戦士」の目だ。
「よし、行くぞ! 健太、お前は留守番だ。戸締りをしっかりな!」
父さんが叫ぶと、三人はあっという間にリビングの窓から飛び出していった。父さんが起こした上昇気流に乗って。

また、これだ。僕はテレビの画面に釘付けになった。現場に到着した父さんが豪雨と雷を呼び、母さんが衝撃波を連射する。姉ちゃんが瓦礫を操って防壁を作る。完璧なコンビネーションだ。なのに、灰色の怪物は少しも堪えていない。それどころか、攻撃を受けるたびに、ゆらりと揺れて少しずつ大きくなっているようだった。

『だめだ! 攻撃が効いていない! むしろ喜んでいるようです!』
ヘリからのレポーターの絶叫が聞こえる。家族の顔に焦りの色が見えた。

その時、僕は気づいてしまった。ナマケモノは、人々の「やる気」や「情熱」を吸い取っている。そして父さんたちの攻撃は、まさに「情熱」の塊だ。つまり、攻撃すればするほど、敵にエネルギーを与えていることになる。

どうしよう。どうすれば伝えられる?
僕には念動力もなければ、超スピードで現場に駆けつける脚もない。スマホで電話? いや、戦闘中にそんな暇はないだろう。

「くそっ!」
僕は思わず叫んだ。何の役にも立てない自分が、どうしようもなく悔しかった。家族が危ないのに、僕はテレビを見ているだけ。こんな物語の主人公は嫌だ。

もし僕が、この物語の作者だったら。こんな展開には絶対にしない。
そうだ、こんな時、ヒーローは諦めない。絶体絶命のピンチにこそ、奇跡は起きるんだ。例えば……そう、例えば、空から都合よく、めちゃくちゃ強力な武器が降ってくるとか!

そう強く念じた瞬間だった。

ピカッ!

テレビ画面がまばゆい光に包まれた。僕の家の屋根を突き破り、何かが空に打ち上げられた。それは、僕が小学生の時に図工の時間に作った、ペットボトルロケットだった。銀色のスプレーで塗装され、翼には「正義」と書かれた、あの最高にダサいロケットだ。

ロケットはぐんぐんと空を駆け上がり、ナマケモノの真上で綺麗な弧を描いた。そして、先端から放たれたのは……大量のシャボン玉だった。
虹色に輝く無数のシャボン玉が、ナマケモノに降り注ぐ。

『な、なんでしょうか!? 謎のロケットからシャボン玉が! しかし……おおっ!? 怪物の体が縮んでいく!』

そうか! やる気や情熱みたいな「熱い」感情がエネルギーなら、その逆だ! 「のんびり」「楽しい」みたいな「ゆるい」感情をぶつければいいんだ! シャボン玉を見て怒るやつなんていないだろ!

怪物はみるみる小さくなり、最後には子猫くらいのサイズになって、ぽとりと地面に落ちた。呆気にとられる父さんたち。そして、画面の向こうの姉ちゃんが、ハッとした顔で僕の家の方を見た。

数分後、玄関が勢いよく開いた。
「健太! あんた、今の……!」
「ご、ごめん! 家の屋根に穴開けちゃって……」

僕が謝ると、父さんは僕の肩をがっしりと掴んだ。
「バカ野郎! そうじゃない! お前の能力、ついに目覚めたんだな!」
「え? 僕の能力?」

ポカンとする僕に、母さんが優しく微笑んだ。
「あなたの能力は『物語を現実にする力』よ。あなたが強く望んだ物語が、本当に起きるの。今まで暴走しないように、あなた自身に『自分は無能力だ』っていう物語を信じさせていたんだけど……もう、その必要はなさそうね」

そう言われてみれば、思い当たる節があった。テストの朝、「今日は電車が遅延して、試験開始が遅れる話になればいいのに」と願ったら本当にそうなったこと。給食のプリンがどうしても食べたくて、「隣の席のやつが牛乳嫌いでプリンと交換してくれる最高の展開」を妄想したら、本当にそうなったこと。

全部、僕の仕業だったのか。

「すごいじゃないか、健太! お前のその力があれば、僕らは無敵だ!」
父さんが僕を高く抱え上げた。姉ちゃんも母さんも、誇らしそうな、そして嬉しそうな顔で僕を見ている。

疎外感なんて、もうどこにもなかった。
僕は、佐藤家の一員。そして僕の武器は、この世界で最強の「物語」だ。

「よし、健太! 次のミッションからはお前も参加だ! まずは、このタコの唐揚げを最高に美味しく食べるっていう物語から始めよう!」

父さんの言葉に、僕らは笑った。
リビングの床にはまだタコの足が転がっているし、屋根には穴が空いている。だけど、僕の心は、これから始まる新しい物語への期待で、最高にワクワクしていた。

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