碧海学園ロスト&ファウンド

碧海学園ロスト&ファウンド

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「なあ相田、放課後ヒマだろ? ちょっと面白いとこ、付き合えよ」
退屈な授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く中、クラスメイトの犬飼健太がニヤリと笑いながら俺の肩を叩いた。相田湊、こと俺は、特に打ち込むものもない、ごく平凡な高校一年生だ。断る理由もなかったので、俺は犬飼の後ろをついていった。

連れてこられたのは、旧校舎の三階、突き当りの部屋だった。扉には『遺失物捜索委員会』と書かれた古びたプレートが掛かっている。いわゆる、学内の落とし物を管理する委員会。面白いところ、という犬飼の言葉とはかけ離れた地味な響きだ。
「ここが? 面白いのか?」
「まあ、見てろって」
犬飼がノックもせずに扉を開けると、カビと古い紙の匂いが鼻をついた。部屋の中は雑然としており、壁一面の本棚には分野も年代もバラバラな本が詰め込まれ、机の上には分解された時計や用途不明のガラクタが散乱している。その中心で、一人の女子生徒が静かに紅茶を飲んでいた。
「犬飼くん、新しいお客様? それとも、新入部員かしら」
長い黒髪に、人形のように整った顔立ち。彼女は俺たちを一瞥すると、透き通るような声で言った。二年委員長の、桜坂莉子先輩。学年一の美人と評判だが、どこか謎めいた雰囲気をまとっている。
「こいつ、相田湊! 観察眼だけは無駄に鋭いんで、使えるかと思って!」
「……人聞きの悪い。勝手に決めないでくれ」
俺が反論するより早く、桜坂先輩はカップを置いた。
「ちょうどよかったわ。あなたに、私たちの仕事が務まるか試してあげる」

彼女が差し出してきたのは、一枚の依頼書だった。『依頼主:吹奏楽部部長』『依頼品:初代校長の幻の楽譜』。
話によると、吹奏楽部がコンクールの自由曲として探しているらしい。しかし、その楽譜は誰も現物を見たことがなく、存在自体が伝説と化しているという。
「失せ物っていうか、都市伝説じゃないですか、それ」
「だからこそ、“捜索”する価値があるのよ」
桜坂先輩は楽しそうに目を細めた。「私たちの委員会、通称『ロスト&ファウンド』は、ただの落とし物係じゃない。この学園から“失われた”あらゆるものを見つけ出すのが仕事。記憶、才能、友情……そして、伝説だってね」

半信半疑のまま、俺は犬飼と捜査を始めた。犬飼の顔の広さで吹奏楽部員や古株の先生に聞き込みをするが、得られるのは曖昧な噂話ばかり。「初代校長は音楽の天才で、最高の曲を遺した」「楽譜は彼の死後、どこかに隠された」……。
手詰まりかと思ったその時、俺はふと、音楽室に飾られた初代校長の肖像画の隅に、奇妙な記号が描かれているのに気づいた。ト音記号に似ているが、少し形が違う。
「これ……」
部室に戻って報告すると、桜坂先輩は「やっと気づいたのね」と微笑んだ。
「それは『音階の暗号』。初代校長が遺した、宝の地図よ。この学園そのものが、彼が作った巨大な楽器であり、楽譜なの」

その言葉をヒントに、俺たちは学園に隠された暗号を探し始めた。時計台が正午を告げる鐘の音、そのメロディの最初の三音。図書館の郷土史コーナーに並んだ本の背表紙の高さ。中庭の噴水を囲むタイルの模様。一見、無関係に見えるそれらが、ある共通の法則――ドレミの音階――で繋がっていることを、俺の「無駄に鋭い」観察眼が見つけ出した。
「すごいぞ相田! 天才か!」
「うるさいな……」
興奮する犬飼を横目に、俺は胸が高鳴るのを感じていた。退屈だった灰色の学園が、今や巨大な謎解きフィールドに見える。

全ての暗号が示した場所は、立ち入り禁止の旧講堂だった。忍び込み、ホコリを被ったステージの床板を一枚剥がすと、地下へと続く隠し階段が現れた。階段を下りた先には小さな部屋があり、その中央にポツンと、一台の古びたオルゴールが置かれていた。
「これが……楽譜?」
犬飼が呟く。俺はそっとオルゴールのネジを巻いた。
カチリ、と音がして、澄んだメロディが流れ出す。それは今まで聴いたどんな曲よりも美しく、どこか切ない、心を揺さぶる旋律だった。
初代校長が遺した幻の楽譜は、紙ではなかった。この音色そのものだったのだ。

後日、吹奏楽部がコンクールでその曲を演奏し、会場が万雷の拍手に包まれたと聞いた。
そして俺は、旧校舎のあの部室で、桜坂先輩が入れてくれた紅茶を飲んでいた。
「合格よ、相田くん。ようこそ、『ロスト&ファウンド』へ」
先輩は不敵に笑う。
「この学園には、まだたくさんの“失われた物語”が眠っているわ。手伝ってくれるでしょう?」
俺は、カップを置き、力強く頷いた。窓の外では、夕焼けが学園を黄金色に染めている。退屈だった日常は終わりを告げた。これから始まる、最高にワクワクする日々の始まりを、確かに感じていた。

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