天穹学園シャドウ・フェスト

天穹学園シャドウ・フェスト

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私立天穹学園の門をくぐった時、俺、相馬陽(そうま あきら)が抱いた感想は「普通すぎる」だった。どこにでもある、少しばかり校舎が綺麗なだけの進学校。だが、この学園の生徒は、全員が普通じゃない。

一人一人に「才能(ギフト)」と呼ばれる特殊な力が宿っているのだ。そしてその力は、足元に揺らめく自らの「影」に封じられている。

俺の才能は「模倣(ミミック)」。視認した他人の影の能力を、一度だけ、三分間だけコピーできる。劣化コピー、時間制限付き。学園中が知る「ハズレ才能」だ。だから俺は決めていた。この学園では息を潜め、石ころのように三年間をやり過ごす、と。

「よお、転校生!退屈そうな顔してんな!」

隣の席の風間蓮(かざま れん)が、ニヤリと笑いながら話しかけてきた。彼の影は、風に吹かれてもいないのに絶えず揺らめいている。才能は「疾風(ゲイル)」。影を風に変え、超高速で移動するトップクラスの能力だ。

「なぁ、知ってるか?年に一度の『影踏み祭(シャドウ・フェスト)』。学園の王を決める、最高の祭りだぜ」

影踏み祭。それは、生徒たちが影の力を解放し、一対一で戦う非公式のトーナメント。勝者は「学園の王(キング・オブ・シャドウ)」の称号と、一年間、あらゆる校則を一つだけ無効化できる絶対的な特権を手にする。

「興味ない。俺は平和に過ごしたいんで」

俺がそう断った数日後、事件は起きた。昼休みの中庭で、俺の数少ない友人である高木が、上級生に絡まれていた。

「才能『岩石(ロック)』。影を岩のように硬化させるだけの、地味な能力だなあ」

上級生の影が、粘性を帯びた黒い槍のように伸び、高木の腹を貫いた。もちろん、影の攻撃は影にしか当たらない。痛みはないが、影が一定のダメージを受けると、その日の才能は使えなくなる。それが、この戦いのルール。高木の影はぐにゃりと形を崩し、地面に溶けるように消えた。

「くそっ……」

悔しそうに膝をつく高木の姿が、俺の心の奥底で眠っていた何かに火をつけた。ハズレ才能?上等だ。そのハズレで、エリート様の鼻っ柱をへし折ってやる。

俺は影踏み祭にエントリーした。初戦の相手は、高木を倒したあの「黒槍」の上級生。

「ハズレ才能の『模倣』が何の用だ?さっさと影を散らしてやるよ」

ゴング代わりに鳴り響くチャイム。上級生の影が、瞬時に鋭い槍へと姿を変える。だが、俺は動かない。ただ、意識を集中させる。対象はただ一人――風間蓮。数日間、嫌というほど観察し続けた、彼の揺らめく影。

「――模倣(ミミック)起動、『疾風(ゲイル)』」

俺の足元の影が、蓮と同じように激しく揺らめいた瞬間、俺の身体は突風と化していた。

「なっ!?」

驚愕する上級生の顔を横目に、俺は彼の背後へ回り込む。影の槍が虚空を突く。俺は一度も振り返ることなく、ただ一言、告げた。

「チェックメイトだ」

俺の影から放たれた小さな風の刃が、無防備な彼の影の根本を正確に切り裂いた。番狂わせに、ギャラリーがどっと沸いた。

そこから、俺の快進撃が始まった。
二回戦では『岩石』を模倣して鉄壁の防御で相手の消耗を誘い、準々決勝では影を無数の分身に変える『幻影(ミラージュ)』を模倣し、トリッキーな戦術で勝利をもぎ取った。俺の戦いは、いつしか学園中の注目を集めていた。

「相馬陽君ね。その力はあまりに危険だわ」

決勝戦を前にした放課後、俺の前に現れたのは、生徒会長の月詠栞(つきよみ しおり)だった。凛とした佇まいと、氷のように冷たい瞳。彼女の足元の影は、深淵のように静まり返っている。

「祭りをこれ以上掻き乱すというのなら、私が全力であなたを止める」

彼女の才能は『絶対支配(ドミニオン)』。影を意のままに操る、学園最強の能力。

そして、決勝の舞台。夕陽が校庭を茜色に染める中、俺と月詠会長は向かい合っていた。

「始めましょう」

その声と同時に、彼女の影が爆ぜた。数十本の黒い触手が、蛇のようにうねりながら俺に殺到する。速い、多い、鋭い!事前にコピーしておいた『岩石』の盾を構えるが、数秒で粉砕される。『疾風』で回避するが、触手はどこまでも正確に俺を追尾する。

「終わりよ」

回避しきれない一本が、俺の肩の影を掠めた。激痛にも似た衝撃。追い詰められた俺に残された手は一つだけ。

「――模倣、『絶対支配(ドミニオン)』!」

俺の影からも、無数の黒い触手が生まれ、会長のそれと激しくぶつかり合う。影と影が軋む、耳障りな音が響き渡る。だが、純粋なパワーと練度で、俺は完全に押し負けていた。じりじりと、俺の影が削られていく。

負けるのか。やっぱり、俺のは所詮、偽物の力か――。

諦めかけたその時、ふと気づいた。彼女の触手は、一本一本が独立して動いている。まるで、熟練の指揮官が率いる兵隊のようだ。だが、俺のは?俺の意思一つで、全部が動く。なら――。

「――集合しろッ!」

俺は叫んだ。俺の数十本の触手が、命令一下、瞬時に一本の巨大な拳を形成する。個々の兵隊では勝てないなら、一つの巨人で殴ればいい!

「なっ……!?」

初めて会長の顔に動揺が浮かぶ。彼女の戦術の隙を突いた、俺だけの『絶対支配』。

巨大な影の拳が、彼女の防御網を打ち破り、その華奢な影の中心を、優しく、しかし確実に捉えた。勝敗は、決した。

静まり返っていた校庭が、やがて割れんばかりの歓声に包まれた。新しい「学園の王」の誕生だった。

俺は、崩れ落ちた月詠会長に手を差し伸べた。
「あんたの才能、すごいな。でも、使い方次第でもっと面白くなるかもよ」
会長は驚いたように俺を見上げ、やがて小さな声で「……ありがとう」と呟き、その手を取った。

後日。俺は「学園の王」の特権を行使した。俺が選んだ無効化ルールは、ただ一つ。

「昼休みの購買部における、焼きそばパンの購入は一人一個まで」

生徒も教師も、皆がずっこけた。風間蓮には「お前、最高だよ!」と腹を抱えて笑われた。月詠会長からは、呆れを通り越して感心したような溜息を吐かれた。

俺はただ、平和に、腹一杯、大好物の焼きそばパンが食べたかっただけなんだ。

まあ、いい。この日を境に、俺の退屈だった学園生活は終わりを告げた。足元の影は、次なる挑戦を待つように、静かに、しかし力強く揺らめいている。案外、学園の王ってのも悪くないかもしれない。

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