絶対君主の言の葉は、僕にだけ届かない

絶対君主の言の葉は、僕にだけ届かない

2
文字サイズ:

私立言の葉(ことのは)学園。その頂点に君臨するのは、生徒会長の神楽坂(かぐらざか)ルナだ。

銀色の髪を揺らし、氷の人形めいた美貌を持つ彼女の言葉は「絶対」だった。教師すら逆らえないその力は『言霊(ことだま)』と呼ばれ、学園の秩序そのものだった。
「そこ、右に三歩ずれて」「その髪型、明日から禁止」
些細なことから理不尽なことまで、彼女が一度口にすれば、誰もが操られたように従う。逆らおうとすれば、謎の頭痛と抵抗感に襲われるのだ。

僕、相田湊(あいだみなと)は、そんな異常な学園で、ひたすら空気でいることを信条とする平凡な生徒だった。目立たず、騒がず、波風を立てず。それが、この学園で平穏に生きる唯一の術だと信じていた。

その日までは。

昼休み、中庭で親友の健太(けんた)と弁当を広げていると、神楽坂ルナが役員を引き連れて現れた。凛とした声が響く。
「あなた、目障りよ。一週間、誰とも口を利いてはならない」
矛先は健太だった。理由はわからない。きっと、会長の機嫌を損ねる何かがあったのだろう。健太の顔からサッと血の気が引いた。周囲の生徒たちも、同情と恐怖が入り混じった視線を向けるだけだ。

健太が絶望に顔を歪ませ、何かを言おうとして口をパクパクさせるが、声にならない。これが『言霊』の呪縛か。
僕は、カッとなった。理不尽だ。友達が、理由もなくそんな目に遭うなんて。
「ふざけるな!」
気づいたら叫んでいた。空気になるはずの僕が、学園の絶対君主に牙を剥いていた。
シン、と中庭が静まり返る。誰もが僕の末路を想像して息をのんだ。神楽坂ルナの冷たい視線が、僕を射抜く。

「……面白いことを言うのね。あなたには罰を与えましょう。今すぐ、ここから駆け出して校門の外まで止まってはならない」

彼女の唇から、絶対命令が紡がれる。周囲の生徒が「ああ、終わった」と顔を伏せた。
僕も覚悟した。体が勝手に走り出す感覚を。
だが――何も起こらなかった。
足は地面に根を張ったままだ。体は僕の意思通りに、ピクリとも動かない。

「……なぜ、動かないの?」
神楽坂ルナの声に、初めて焦りの色が浮かんだ。彼女はもう一度、今度はより強い意志を込めて言った。
「走りなさい、相田湊!」
ビリビリと空気が震えるような圧を感じる。でも、僕の体は自由だった。
「嫌だね。なんで僕が、あんたの命令で走らなきゃいけないんだ?」
そう言い返すと、健太がハッと息をのんだ。
「湊……声が……出せる!」
健太を縛っていた『言霊』が、僕の反逆の言葉によって霧散したらしかった。

周囲がどよめく。神楽坂ルナは信じられないものを見る目で僕を凝視していた。
「あなた、何者……?」

その日から、僕の平穏な学園生活は終わりを告げた。
神楽坂ルナは僕の能力――『無効化(キャンセル)』に気づき、執拗に僕を追い始めた。
「相田湊、ひざまずきなさい」「相田湊、私の靴を舐めなさい」
廊下で、教室で、彼女は様々な『言霊』を試してくる。僕はそのたびに「お断りだ」と突っぱねた。彼女の『言霊』が僕にだけは効かない。その事実は、水面下で瞬く間に学園に広まっていった。

僕の周りには、これまで息を潜めていた生徒たちが集まり始めた。生徒会に部を潰された元部長、理不尽な校則に反発するファッション好きな女子、会長の独裁を快く思わない知識人の集まりである新聞部。
「君は我々の希望だ!」「力を貸してくれ!」
彼らは僕を「サイレンサー」と呼び、革命の旗印にしようと目を輝かせる。いや、僕はただ、平穏な日常と友達を守りたかっただけなのに。

「面白いじゃない、相田湊。あなたというイレギュラーが、この完璧な私の世界に何をもたらすのか、見届けてあげる」
生徒会室の窓から僕を見下ろす神楽坂ルナは、初めて出会った時とは違う、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべていた。

絶対的な『言霊』を持つ孤独な女王と、その力が唯一効かない平凡な僕。
僕の意思とは裏腹に、この言の葉学園を二分する、奇妙で壮大な反逆劇の幕が、今、静かに上がったのだった。胸の高鳴りが止まらない。退屈だった日常より、ずっとワクワクするじゃないか。

TOPへ戻る