僕、佐藤健太の家族は、たぶん日本で一番退屈な家族だ。
父さんは平々凡々なサラリーマンで、毎晩疲れきった顔で帰ってきては、趣味の盆栽をいじってため息をついている。母さんは近所のスーパーでパートをしていて、作る料理はいつもどこか味が薄い。大学に通う姉ちゃんは、スマホ片手にリビングで寝転がっているのが定位置で、僕との会話なんてほとんどない。
そんな退屈な家族が、僕は大嫌いだった。
十三歳の誕生日。食卓に並んだのは、母さん特製の「ちょっと焦げたハンバーグ」と、スーパーで買ってきたであろう小さなケーキ。そして、家族からのプレゼントは、古びた桐の箱だった。
「健太、誕生日おめでとう。これはな、佐藤家に代々伝わる、本当の家宝なんだ」
父さんが神妙な顔で箱を差し出す。僕は少しだけ期待した。中から出てきたのは、しかし、錆びついた紋様が刻まれた一本の鍵だけ。ゲーム機を期待していた僕は、隠しきれない失望を顔に浮かべた。
「……なにこれ」
「お前も今日から、この家の本当の一員だ。その意味は、いずれ分かる」
父さんの言葉は謎めいていて、余計に僕をイライラさせた。姉ちゃんは「ふーん」とスマホから顔も上げない。最悪の誕生日だ。僕は鍵を乱暴にポケットに突っ込むと、自室に閉じこもった。
事件が起きたのは、その日の深夜だった。
階下から聞こえる、ガラスが割れる甲高い音。僕はベッドから跳ね起きた。泥棒か? 息を殺してドアに耳を澄ますと、複数の男たちの低い話し声と、リビングを歩き回る足音が聞こえる。
「鍵はどこだ。ガキが持っているはずだ」
鍵? 僕のポケットの中の、あの錆びた鍵のことか? 全身の血が凍りつく。どうしよう。警察に電話? でも、携帯はリビングに置きっぱなしだ。恐怖で体が動かない。ガチャリ、とリビングのドアノブが回る音がして、僕はもうダメだと思った。
その瞬間だった。
「あらあら、お客様? 夜分にお行儀が悪いわねぇ」
聞こえてきたのは、母さんののんきな声。やめてくれ、母さん! 相手は凶器を持ってるかもしれないんだぞ!
「うるさい、ババア! 鍵を出せ!」
男の怒声が響き、何かが床に叩きつけられる音がした。僕は恐怖で目をつぶった。
しかし、次の瞬間聞こえてきたのは、予想だにしなかった音だった。シュッ、という空気の裂ける音と、男の短い悲鳴。そして、父さんの、いつもより三段階は低い、静かな声。
「うちの妻に手を出すとは、褒められた作法じゃないな。佐藤家流庭園術・枝打ちの型、見切れるかな?」
何が起きている? 僕は恐る恐る階段の上からリビングを覗き込んだ。信じられない光景がそこにあった。
いつもは盆栽用の小さなハサミを手に震えている父さんが、そのハサミをまるで暗器のように操り、黒服の男たちの急所スレスレを切り裂いていく。その動きは、まるで舞いを舞うように滑らかで、力強い。
「な、なんだこいつ……!」
黒服の一人が、怯えながら銃を構える。だが、それが火を噴くより早く、キッチンから飛んできたミニトマトが男の目に正確に命中した。
「うわっ!」
「あら、ごめんなさいね。うちの無農薬野菜、目に染みるでしょう?」
エプロン姿の母さんが、買い物カゴいっぱいの野菜を手に、悪戯っぽく笑っている。彼女が次に投げたジャガイモは壁に当たって砕け、中から催涙性の刺激臭が立ち込めた。料理は下手なくせに、一体何を育ててたんだ!
「ケホッ、ケホッ……! なんなんだ、この家族は!」
混乱する男たちを尻目に、リビングのソファで寝転がっていたはずの姉ちゃんが、いつの間にか起き上がっていた。その指は、スマホの画面上を恐るべき速さでタップしている。
「まったく、人の推し活タイムを邪魔しないでよね。――アクセス承認。セキュリティ、掌握完了」
カチリ、と音がして、リビングの照明が一斉に落ちる。完全な暗闇の中、部屋のスピーカーから、けたたましい音量でアイドルのライブ音源が流れ始めた。
「ハッキングだと!?」「耳が!」「どこだ、敵はどこだ!」
暗闇と爆音でパニックに陥る黒服たち。その中で、僕の家族だけが、まるで示し合わせたかのように連携し、敵を次々と無力化していく。
僕は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
あの気弱な父さんが、古武術の達人? あの料理下手な母さんが、特殊な薬草を操る薬師? あのグータラな姉ちゃんが、超一流のハッカー?
じゃあ、僕の知っていた「退屈な家族」は、一体誰だったんだ?
すべての侵入者を縛り上げた頃、夜が明け始めていた。めちゃくちゃに散らかったリビングで、父さんが僕に向き直る。その顔は、いつもの疲れたサラリーマンではなく、精悍な戦士の顔をしていた。
「驚いたか、健太。これが、俺たちの本当の姿だ」
父さんの話によると、佐藤家は、歴史の裏で日本の重要な遺産を守り続けてきた「守人(もりびと)」の一族なのだという。そして、僕が十三歳になった今日、この真実を明かし、次代の守人として迎えるはずだった。僕に渡された鍵は、一族が守る最重要の宝物庫を開くための、マスターキーだったのだ。
「ようこそ、健太。今日からお前も、日本一退屈で、日本で一番スリリングな家族の一員だ」
父さんが、ニヤリと笑った。僕はポケットの鍵を強く握りしめる。錆びついて重いだけの鉄の塊だと思っていたそれは、今やとてつもない冒険への招待状のように感じられた。
「あのさ……」僕が口を開く。「夕飯、どうするの? ハンバーグ、床に落ちちゃったけど」
僕の言葉に、一瞬の静寂が流れる。そして、母さんがポンと手を叩いた。
「あら大変! 今日は奮発して出前でも取りましょうか!」
「いいね! ピザにしよ!」と姉ちゃんがスマホを掲げる。「この店のサーバーなら、三分でハッキングして半額クーポン作れるよ」
「こら、遥香。そういうことに力を使うなといつも言っているだろう」
父さんが呆れたように言う。その光景は、いつもの僕らの家族そのものだった。
でも、もう退屈だなんて、これっぽっちも思わなかった。むしろ、これから始まる「家族行事」のことを考えると、胸がワクワクしてたまらなかった。
日本一普通じゃない僕の家族の、本当の日常が、今、始まった。
リビング・ロワイヤル
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