佐藤家、時を掃う

佐藤家、時を掃う

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うちの家業は、清掃業だ。
 表向きは。
 高校生の俺、佐藤健太にとって、それは退屈と古臭さの象徴だった。親父がガレージでガラクタみたいな機械をいじくり回し、母さんと姉さんが古文書みたいなファイルとにらめっこしている。週末になれば「大口の依頼だ」とか言って、家族総出でオンボロのワゴン車に乗って出かけていく。俺はもちろん、部活を理由に断るのが常だった。
「健太も来ればいいのに。今日のは結構大きい『シミ』らしいわよ」
 出かける直前、姉の遥がニヤニヤしながら言った。大学生の姉さんは、家の仕事を面白がっているクチだ。
「ビルの窓拭きだろ?興味ないね」
 俺はヘッドホンを着けて、聞こえないふりをした。普通の高校生になりたかった。友達とゲームをして、カラオケに行って、ファミレスでだべる。そんな当たり前の日常が、俺にとっては何よりの憧れだった。こんなヘンテコな家族じゃなければ、と何度思ったことか。

 その日の夜、異変は起きた。
 リビングの壁掛け時計が、午後八時を指した瞬間、カチリと妙な音を立てて七時五十九分に戻ったのだ。最初は見間違いかと思った。だが、テレビで流れていたニュースキャスターが、さっきと全く同じセリフを、同じイントネーションで繰り返したのを見て、背筋が凍った。
 一分間が、無限にループしている。
 これが、我が家が言うところの『世界のバグ』。時空の歪み、物理法則の綻び。そして、それを人知れず『清掃』するのが、佐藤家の本当の家業――『時空清掃業』だった。
 まずい。最悪のタイミングで、自宅が現場になってしまった。家族はまだ『シミ』の除去作業から戻っていない。
 パニックに陥った俺は、姉さんの部屋に駆け込んだ。何か手がかりはないか。そこで、机の上に置かれた一冊のノートが目に入った。『緊急時対応マニュアル(健太用)』と、姉さんの丸っこい字で書かれている。
 ページをめくると、走り書きのメッセージがあった。
『たぶん、あんたなら大丈夫。昔みたいにね。信じてるよ、私の最高の相棒!』
 相棒。その言葉に、忘れていた記憶が蘇る。小学生の頃、夜中に勝手に動き出すおもちゃや、誰もいない部屋からの物音を、姉さんと二人で『退治』して遊んだこと。姉さんはそれを「小さなバグのお掃除」と呼んでいた。あれは、遊びじゃなかったのか。
 俺はノートを握りしめ、覚悟を決めた。親父のガレージへ走る。そこには、見慣れた高圧洗浄機やポリッシャーに混じって、奇妙な機械が並んでいた。俺はマニュアルの指示通り、プロトタイプだと書かれた銀色の掃除機――『時空吸引機(コードネーム:ダストイーター)』を手に取った。

 ループの中心は、俺の部屋だった。
 ドアを開けると、空気が澱み、空間がぐにゃりと歪んでいるのが分かった。部屋の中心に、黒い靄のようなものが渦を巻いている。それが、この異常事態の核。そして、靄の中から声が聞こえた。それは、俺自身の声だった。
『こんな家、なくなっちゃえよ』
『普通になりたいんだろ?』
『家族なんて、お前の足枷だ』
 俺が心の底で思っていた、醜い本音。俺の負の感情がトリガーになって、この『バグ』は生まれたのだ。靄は触手のように伸び、俺を絡め取ろうとする。
「うるさい!」
 俺は叫び、ダストイーターのスイッチを入れた。凄まじい吸引音と共に、靄が吸い込まれていく。だが、靄はすぐに再生し、勢いを増していく。まずい、エネルギーが足りない。このままじゃ、俺ごとこの部屋の時間が崩壊する。
 絶体絶命。そう思った瞬間だった。
「健太、一人でよく頑張ったな!」
 背後から、親父の落ち着いた声がした。振り返ると、戦闘服にも似た作業着姿の家族が立っていた。
「遅くなってごめん、相棒!」姉さんがウインクする。「そいつの弱点は突き止めたわ。核はあんたの感情とリンクしてる。つまり、あんたが諦めたら終わりよ!」
「健太、私たちがヤツの動きを止めるわ。あなたは、心のど真ん中を、一番強い気持ちで撃ち抜くのよ!」
 母さんの力強い声が響く。
 親父が構えたレーザーポインターのような機械から放たれた光が、靄の周囲に格子状のバリアを形成する。母さんが両手を広げると、歪んでいた空間がぐっと固定された。姉さんがタブレットを叩き、靄の最も脆い部分を特定し、俺のゴーグルに表示する。
 完璧な連携プレー。これが、俺の家族の本当の姿。
 靄が、最後の抵抗とばかりに俺の心を揺さぶる。
『お前は独りだ!』
「独りじゃない!」
 俺はダストイーターを構え直し、叫んだ。
「面倒で、ヘンテコで、鬱陶しいけど……俺はこの家族が、なんだかんだ言って……好きなんだ!俺の、最高の家族だ!」
 その瞬間、ダストイーターから放たれた光が、靄の中心を貫いた。断末魔のような叫びと共に、黒い靄は塵となって吸引機の中に消えていった。

 部屋には静寂が戻り、時計の針が正常に時を刻み始めた。
 後片付けをしながら、親父が俺の肩を叩いた。
「お前も、もう一人前の『時空清掃員』だな」
「……別に。たまたまだよ」
 ぶっきらぼうに答えると、家族全員がどっと笑った。
 俺は照れ隠しに顔をそむけながら、少しだけ口元を緩めた。
 退屈で古臭いと思っていた家業。ヘンテコで嫌いだと思っていた家族。でも、世界の片隅で、当たり前の日常を守っているこの仕事を、この家族を、今は少しだけ誇らしく思う。
「まあ、たまには手伝ってやってもいいけど」
 俺の呟きに、姉さんが「だってさ!」と嬉しそうに両親に告げた。その夜の佐藤家には、いつもより少しだけ温かい笑い声が響いていた。

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