うちの家業は、古書店だ。と言っても、それは表向きの話。
裏の稼業は「物語回収屋」。それが、僕、佐藤湊(みなと)が十六歳にして背負わされた、とんでもない宿命だった。
「湊、ちょっといいか」
父さんが、店の奥にある「開かずの間」から顔を覗かせた。その手には、羅針盤のような奇妙な機械が握られている。針がカタカタと小刻みに震え、鈍い光を放っていた。
「また?」
僕がうんざりした顔で言うと、母さんがエプロンで手を拭きながらカウンターの奥から現れた。
「あらあら、今度はどちらの御本から?」
「どうやら『宝島』だ。かなり大物の気配がする」
父さんの言葉に、母さんは「シルバー船長かしら。うちの銀食器、隠しておかないと」なんて呑気なことを言っている。これが僕の家族、佐藤家の日常だった。
僕たちは、物語の世界から現実にはみ出してしまった登場人物や物品を、元の本に「回収」するのを生業としている。原因は不明だが、時折、物語の力が強まりすぎて現実世界に染み出してしまうことがあるらしい。先祖代々、この奇妙な現象の後始末をしてきたのだ。
「現場は港の第三倉庫。湊、お前も来い。そろそろ実践も積まないと」
「えー、期末テスト近いんだけど」
「国語の成績が上がるぞ、きっと」
父さんの冗談に、僕はため息をつきながら立ち上がった。
港に着くと、潮風に混じってラム酒の匂いがした。倉庫の巨大な扉は半開きで、中から荒々しい男たちの笑い声が聞こえる。
「いいか、湊。今回のターゲットは『ジョン・シルバー』。義足の男だ。狡猾で腕も立つ。だが最大の武器は、人の心につけ込む弁舌だ」
父さんはそう言うと、懐から万年筆を取り出した。ただの万年筆じゃない。僕の曽祖父が開発した「物語帰還インク」が充填された、対物語用の特殊装備だ。このペンで対象を描き、最後に「鍵となる一文」を唱えることで、本の中に強制送還できる。
「母さんは外で待機。僕と湊で中に入る」
僕たちは息を潜めて倉庫に侵入した。中は薄暗く、天井から吊るされた裸電球が、うず高く積まれた木箱を照らしている。その中央で、十数人のむさ苦しい海賊たちが酒盛りをしていた。そして、その中心にいた。肩にオウムを乗せ、松葉杖をついた隻眼の男。ジョン・シルバーその人だった。
「おっと、こいつは珍客だ。宝の地図の匂いを嗅ぎつけてきたのか、小僧ども」
シルバーがニヤリと笑う。僕の心臓が早鐘を打った。物語の登場人物とはいえ、その眼光は本物の殺気を帯びている。
「ご足労願って申し訳ないが、お帰り願おうか。ここはあんたたちのいるべき場所じゃない」
父さんが冷静に万年筆のキャップを外す。
「ふん、指図するな! 俺たちはやっと自由を手に入れたんだ。作者の都合で動かされる人生はもう真っ平だぜ!」
シルバーが叫ぶと、海賊たちが一斉にカトラスを抜いて襲いかかってきた。
「湊、援護しろ!」
父さんが叫ぶ。僕はリュックから相棒――水鉄砲型の「物語希釈スプレー」を取り出した。物語の存在濃度を一時的に薄め、動きを鈍らせる効果がある。
「うわっ!」
狙いを定めて引き金を引くと、噴射された特殊な液体を浴びた海賊の姿が、一瞬だけ半透明になった。
その隙に、父さんが流れるような動きで海賊たちをいなしていく。まるで踊るように攻撃を避け、万年筆のペン先で相手の額に素早くチェックマークを描いていく。
「『一行目、宿屋の看板が揺れていた』!」
父さんが叫ぶと、チェックされた海賊たちがインクのシミのように滲み、悲鳴とともに消えていった。
残るはシルバーただ一人。
「小賢しい真似を!」
シルバーは松葉杖を投げ捨てると、驚くべき速さで父さんに肉薄した。義足とは思えない身のこなしだ。父さんは咄嗟に万年筆で防御するが、シルバーのパワーに押されている。
「くっ……!」
万年筆が弾き飛ばされた。まずい!
その時だった。倉庫の入り口から、何かが猛スピードで飛んできた。それは一本のフライパン。シルバーの側頭部に見事にクリーンヒットした。
「だ、誰だ!?」
目を回してよろめくシルバーの向こうに立っていたのは、エプロン姿の母さんだった。
「あなた。夕飯、今日はハンバーグでいいわよね?」
「ああ、助かるよ。それより……!」
「分かってるわよ」
母さんはどこからか取り出したお玉を構え、軽やかなステップでシルバーの死角に回り込む。お玉の一撃でシルバーの体勢が崩れた。
その一瞬の隙を、僕は見逃さなかった。床に転がっていた万年筆を拾い、シルバーの背中に向かって全力で投げつける。放物線を描いた万年筆は、見事にシルバーの背中に突き刺さった。インクがじわりと広がっていく。
「やった!」
「湊、よくやった! 鍵の一文を!」
父さんが叫ぶ。僕は息を吸い込み、記憶していた一文を叫んだ。
「『最終章、彼は宝の一部と共に、どこかへと姿を消した』!」
シルバーの体がぐにゃりと歪み、本のページに吸い込まれるように消えていった。後には、一羽のオウムがキョトンとした顔で残されているだけだった。
「ふう、一件落着ね」
母さんがフライパンを片手に微笑む。
「母さん、なんでここに」
「だって、あなたたちのこと心配だったもの。家族だもの、当たり前でしょ?」
父さんは苦笑しながら、僕の頭をわしわしと撫でた。
「お前もやるじゃないか、湊。最高のチームプレーだったぞ」
帰り道、車の中から港の夜景を眺める。さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
退屈で、面倒で、時々うんざりもする。だけど、父さんがいて、母さんがいて、僕がいる。この三人だからこそやれる仕事。
「なあ、父さん。次の依頼、いつ頃来そう?」
僕の問いに、父さんと母さんは顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
僕の家族は、世界で一番変わっていて、世界で一番頼りになる、最高の「物語回収屋」だ。
佐藤家は回収屋
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