虹色真珠と約束の羅針盤

虹色真珠と約束の羅針盤

2
文字サイズ:

「いいか、みんな。今回の夏休みは、ただの家族旅行じゃない。これは『任務』だ」

リビングのローテーブルに広げられた、羊皮紙のように茶色く変色した海図。それを指さしながら、父の健司が芝居がかった声で言った。Tシャツに短パンという気の抜けた格好のせいで、威厳は皆無だ。

「また始まったよ、父さんの冒険ごっこ」
ソファに寝転がってスマホをいじっていた高校生の兄、隼人がため息をつく。
「でも、わくわくするよ! 今度は何を探しに行くの?」
目を輝かせるのは、中学生の妹、陽菜だ。

母の美咲が、キッチンから冷たい麦茶を運びながら微笑んだ。
「今回は南太平洋、『忘れられた島』に眠る『虹色真珠』よ。健司さんのご先祖様が残した航海日誌、最後のページに記されている宝物」

佐藤家。表向きは、大学で考古学を教える父、フリーの翻訳家である母、そしてごく普通の兄妹という、どこにでもいそうな四人家族だ。しかし、彼らには秘密があった。佐藤家は代々、歴史の影に隠された謎と宝を追い求める、冒険家の家系なのである。

一週間後、佐藤家はチャーターした小型プロペラ機で、地図にも載っていない無人島に降り立った。むせ返るような緑の匂いと、湿った熱気が全身を包む。

「日誌によると、この島の中心にある『太陽の神殿』に真珠は眠っているはずだ」
健司が、古びた羅針盤を片手にジャングルを指さす。
「よし、行くぞ! 佐藤冒険団、出発!」
陽菜の元気な声が、一行の士気を高めた。

道中は困難の連続だった。ぬかるみに足を取られ、見たこともない色の昆虫が飛び交う。突如、目の前に現れたのは、今にも切れそうな蔓で編まれた吊り橋だった。

「僕が先に行く」
隼人が名乗りを上げた。陸上部で鍛えた身軽さで、彼は風のように揺れる橋を渡りきり、対岸からロープを投げて家族を導いた。

さらに進むと、古代文字が刻まれた石碑が道を塞いでいた。
「『偽りの道は、甘き香りで旅人を惑わす』……ですって」
十数か国語を操る美咲が、淀みなく文字を読み解く。その直後、陽菜が叫んだ。
「あっちのお花、すごくいい匂いがする!」
陽菜が指さす先には、美しい深紅の花が群生していた。しかし、美咲の警告のおかげで、それが猛毒を持つ食人植物だと気づき、一行は難を逃れた。

幾多の危機を乗り越え、苔むした巨大な石造りの神殿にたどり着いた。入り口は、巨大な円盤状の石で固く閉ざされている。
「何か仕掛けがあるはずだ……」
健司が石の表面をなめるように観察する。隼人が力任せに押してみるが、びくともしない。

「ねえ、見て! このくぼみ、なんだかパパの持ってる羅針盤にそっくりだよ」
陽菜が、円盤の中心にある窪みを発見した。
健司はハッとして、先祖代々伝わる羅針盤を窪みにはめ込んだ。カチリ、と音がして、円盤がわずかに沈む。すると、円盤の縁に十二の獣の彫刻が現れた。

「十二支……? 何かの順番で押すのか?」
隼人が首をひねる。
「待って。これ、ただの十二支じゃないわ。それぞれの動物が、家族の干支に対応しているのよ」
美咲が冷静に指摘した。
「だとしたら……押す順番は?」
健失が腕を組む。しばらくの沈黙の後、陽菜がぽつりと言った。
「家族が、生まれた順番、とか?」

父、母、兄、そして妹。健司から順に、それぞれの干支の彫刻に触れていく。最後の陽菜が自分の干支である羊の彫刻に指を置いた瞬間、ゴゴゴゴ……と地響きのような音を立てて、石の扉がゆっくりと開いた。

神殿の最奥。そこには月光に照らされた祭壇があり、中央に置かれた牡蠣の化石が、かすかな光を放っていた。
「ついに見つけた……!」
健司が感極まった声で駆け寄ろうとした、その時。

「待って!」
美咲が鋭く制した。
「祭壇の周りの床、色が違うわ。おそらく……重量感知式の罠ね」
床には、一人分の重さで踏むと作動するだろう罠が仕掛けられていた。四人で行けば、重すぎてアウト。かといって、誰か一人では宝に手が届かない絶妙な距離だ。

「どうするんだよ、これじゃ手が出せないぜ」
隼人が悔しそうに床を蹴る。

その時だった。健司がにやりと笑い、おもむろに隼人を肩車した。
「美咲、僕の肩に乗れるかい?」
「もう、仕方ないわね」
美咲は呆れたように笑いながらも、軽々と健司の肩に乗り、さらにその上に立つ。
「陽菜、出番よ!」
そして、一番身軽な陽菜が、母、父の体をまるで梯子のように登っていく。三段肩車という、アクロバティックな家族の塔が完成した。

「すごい、届くよ!」
陽菜の小さな手が、牡蠣の化石にそっと触れる。化石を開くと、中からこぼれ落ちるような光と共に、拳大の真珠が現れた。月光を浴びて、虹色の粒子をきらきらとまき散らす、伝説の宝物。

無事に虹色真珠を手に入れた佐藤家は、家路についた。後部座席で、陽菜が真珠をうっとりと眺めている。
「ねえ、これ売ったらいくらになるのかな?」
「さあな。でも、これは売らないさ」
運転席の健司がバックミラー越しに笑った。
「これは、僕らの宝物だ。今年の夏、家族で力を合わせて手に入れた、最高の思い出だからな」

彼の言葉に、家族全員が頷いた。家の秘密のコレクションルームに、また一つ、かけがえのない宝物が加わる。彼らにとって家族とは、共に食卓を囲む存在であると同時に、どんな困難な冒険も乗り越えられる、世界で最も信頼できるチームなのだ。

「で、父さん。冬休みはどこへ行くんだ?」
隼人の声には、もう呆れた響きはなかった。
「ふっふっふ。次はアンデス山脈に眠る、天空の黄金都市といくか!」
父の言葉に、車内は再び冒険への期待と笑い声で満たされた。佐藤家の非公式な任務は、まだ始まったばかりだ。

TOPへ戻る