山田家の朝は、いつも目玉焼きの焼き加減で揉めることから始まる。
「父さんは断固、半熟派だ!」
「あら嫌だ、あなた。黄身がトロトロなのはお行儀が悪いわ」
「お姉ちゃんはウェルダンがいいー」
「拓也はスクランブルエッグがいい!」
食卓に並んだ四つのフライパンを前に、父・健一と母・美咲、高校生の姉・玲奈と小学生の弟・拓也が、いつものように騒がしく議論を交わしていた。傍らでは愛犬のポチが退屈そうに尻尾を振っている。どこにでもある、ごく平凡な日本の朝の風景だ。
その平穏を破ったのは、キッチンに置かれたレトロなポップアップトースターだった。
「チーン!」という軽快な音とともに、こんがり焼けたトーストではなく、銀色のカプセルが勢いよく飛び出した。それを健一が、フォークを投げて空中で壁に突き刺すという離れ業で受け止める。一瞬で、食卓の空気が変わった。
「”組織”からだ」
健一が呟くと、さっきまでのんびりしていた家族の顔が、プロフェッショナルなそれへと一変した。美咲はカプセルを開け、中から現れた半透明のシートをテーブルの中央に広げる。すると、シートから立体映像が投影され、冷徹な声が響き渡った。
『コードネーム・ファミリー。緊急ミッションだ。国際的犯罪組織「ノアの方舟」が、気象コントロール衛星「ゼウス」の制御キーを強奪した。彼らは24時間以内に世界中の主要都市を豪雨で水没させると予告している。制御キーを奪還し、衛星の暴走を阻止せよ』
「24時間…ずいぶん急ね」美咲が眉をひそめる。
「期末テスト中なのに最悪…」玲奈がノートパソコンを開き、凄まじい速さでタイピングを始める。
「やった!僕の新しい発明品を試せるチャンス!」拓也は目を輝かせ、ランドセルから奇妙なガジェットを取り出した。
山田家。表向きは平凡な四人家族と一匹の犬。しかしその正体は、いかなる国家にも属さず、世界の危機を人知れず救う超エリートスパイチーム「ファミリー」だったのだ。
「状況は?」健一がコードネーム「ファルコン」の顔で尋ねる。
「敵のアジトは、太平洋上に浮かぶ海上要塞『アクア・バベル』。衛星への命令は、要塞最上階のコントロールルームから発信されるみたい」玲奈が、コードネーム「サイレン」として即座に情報を解析する。
「警備は厳重よ。水中ドローンに、電磁パルスバリア。簡単には近づけないわね」戦闘と潜入のプロ、コードネーム「ブラックリリー」こと美咲が分析する。
「なら、僕の出番だね!」発明担当の「リトルタイガー」こと拓也が、手のひらサイズの亀型ロボットを掲げた。「こいつは『タートル・トルピード』!電磁パルスを中和しながら進む、水中潜入用ロボさ。こいつで換気口を爆破して、侵入経路を作る!」
「ワン!」偵察担当のサイボーグ犬「ケルベロス」ことポチが、作戦に同意するように吠えた。
作戦は決まった。
リビングの床が静かにスライドすると、ハイテクな装備が並ぶ秘密基地へと続くリフトが現れる。普段はスーパーの特売品が詰め込まれているパントリーの奥には、黒い特殊スーツが並んでいた。
数時間後。漆黒の海を進む一隻の潜水艇。その中で、山田家は最後の準備を整えていた。
「玲奈、ハッキングの準備はいいか?」
「いつでも。パパこそ、久しぶりの潜入で腰、痛めないでよ」
「失礼な。拓也、タートル・トルピードの最終チェックを」
「ママ、リップの色、いつもより派手じゃない?」
「これは”毒よけ”のリップなの。おしゃべりはそこまで」
美咲の一声で、全員がヘルメットを装着する。彼らは家族であり、最高のチームなのだ。
拓也のタートル・トルピードが狙い通りに換気口を爆破すると、一家は一斉に要塞内部へ侵入した。そこからは、まさに神業の連続だった。
健一が敵の配置と行動パターンを瞬時に分析して最適なルートを指示し、美咲が息を呑むようなアクロバティックな体術で警備兵を無力化していく。玲奈は離れた潜水艇から要塞のシステムを掌握し、監視カメラを欺き、電子ロックを次々と解除する。拓也は自作のガジェット――粘着弾を発射するチューインガムや、敵を眠らせるアロマガスを噴出するヨーヨー――で、危機的状況を何度も切り抜けた。
そして、ついにコントロールルームへ到達した彼らの前に、組織のボスが立ちはだかった。
「よく来たな、ファミリー。だが、もう遅い。あと60秒で、世界は涙の海に沈む!」
カウントダウンが始まる絶望的な状況。しかし、山田家は誰一人として諦めていなかった。
「パパ!」
「わかっている!」
健一の合図で、四人は完璧なフォーメーションを組んだ。
美咲がボスの注意を引きつけて格闘に持ち込み、その隙に玲奈が制御システムの最終防壁にハッキングを仕掛ける。拓也はボスの足元に、強力な磁力を発生させるスーパーボールを転がして動きを封じた。
「今だ!」
健一は天井のダクトへ飛び乗り、ボスの頭上から制御パネルへダイブ。残り3秒。震える指で、彼は緊急停止コードを打ち込んだ。
――ピタッ。
世界を破滅から救ったのは、轟音ではなく、完全な静寂だった。
翌朝。山田家の食卓は、またしても目玉焼きの焼き加減で揉めていた。
「だから父さんは半熟がいいと…」
「もう、あなたったら。昨日の夜更かしで疲れてるのよ」
「ねえ、次のミッションがない週末は、みんなで遊園地に行きたいな」
「いいね!ジェットコースター乗りたい!」
何事もなかったかのような、いつもの朝。だが、テーブルの下では、健一が美咲にそっと小さなメモを渡していた。そこには一言だけ書かれている。
『次は南極のペンギン型爆弾を解除せよ』
美咲は小さくウィンクを返した。山田家のワクワクする日常は、まだ始まったばかりだ。
山田さんちの裏稼業
文字サイズ: