星屑のシンフォニア

星屑のシンフォニア

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宇宙港の第7ドックは、忘れられた夢の墓場だ。錆びついた貨物船や旧式のシャトルが、最後の静寂を貪っている。エンジニアのケンジは、そんなガラクタの山から、ひときゃく小さな探査ポッドを運び出していた。名は「ステラ」。かつて人類の音楽を乗せ、未知の宇宙へ旅立った、伝説の「歌う探査機」シリーズの最後の生き残りだ。

「どうせスクラップになるなら、俺が看取ってやる」

夢を諦めた男の、ささやかな自己満足だった。宇宙飛行士に憧れた少年時代は遠く、今は退屈な修理マニュアルと油の匂いが日常のすべてだ。

ケンジは自分のガレージで、趣味としてステラの修復を始めた。何日も埃と格闘するうち、彼は奇妙な事実に気づく。メインメモリの片隅に、暗号化された巨大なデータブロックが眠っていたのだ。公式記録では、ステラは通信途絶後、行方不明になったはず。これは、一体……?

胸の高鳴りを抑えながら、ケンジは夜を徹して解析に没頭した。そして、ついに暗号の鍵を見つけ出した時、彼は息を呑んだ。

そこに記録されていたのは、音だった。

いや、ただの音ではない。ステラが発信したバッハやベートーヴェンに対し、遥か彼方から送られてきた「返歌」だった。それは人間の可聴域を超えた周波数で構成され、美しい光のパターンへと変換されて記録されていた。まるで、未知の知性が奏でる、光の音楽。ログの最後には、その知性が存在する座標まで示されていた。

「すごい……本当にいたんだ。宇宙で、俺たちの音楽を聴いてくれた誰かが!」

ケンジは震える手で宇宙管理庁に報告した。しかし、返ってきた反応は冷酷なものだった。「未知の知性との接触は予測不能なリスクを伴う。当該データは機密扱いとし、探査機は即刻解体処分せよ」

効率と安全の名の下に、世紀の発見は握り潰されようとしていた。ガレージに貼られた、星々を指差す少年の頃の自分のポスターが、悔しそうにケンジを見つめている。

「冗談じゃない……!」

ケンジは決意した。この奇跡の歌を、ここで終わらせるわけにはいかない。

彼は数少ない友人のハッカーや、同じように夢を忘れかけていた同僚たちに声をかけた。最初は誰もが躊躇したが、ケンジが再生した光の音楽を見せると、彼らの瞳に失われたはずの輝きが蘇った。

「面白いじゃないか。宇宙にデカい花火を打ち上げてやろうぜ」

作戦は深夜に決行された。管理庁の監視システムをハッキングで麻痺させ、ケンジたちはステラを港の巨大パラボラアンテナに接続する。警報が鳴り響き、追っ手が迫る。

「ケンジ、あと3分だ!」

仲間の悲鳴のような声が飛ぶ。ケンジは送信プログラムを起動し、返信用の音楽データを選択した。それは、彼が子どもの頃、母がいつも歌ってくれた古い子守唄をアレンジしたものだった。人類の最も素朴で、最も優しい祈りの歌。

「届け……!」

エンターキーを叩きつけた瞬間、ガレージの照明が落ち、世界が静寂に包まれた。作戦は成功したのか?

誰もが固唾を飲んで空を見上げた、その時だった。

指定した座標の方角、いて座の腕のあたりが、淡く、それでいて力強く輝き始めたのだ。一つの星の瞬きではない。何億、何十億という星々が、まるで巨大なオーケストラの楽器のように、一斉に光のハーモニーを奏で始めた。

青、緑、そして金色へ。夜空をキャンバスに描かれる、壮大な光のシンフォニー。それは、ケンジたちの子守唄に対する、宇宙からの壮大なアンサーだった。

その光景は管理庁の追跡艇からも、地上のあらゆる場所からも見ることができた。ニュース速報がけたたましく鳴り、人々は夜空を見上げ、言葉を失った。誰もが忘れかけていた、宇宙への憧れとロマンが、銀河規模の演奏会となって人々の胸に流れ込んでくる。

ケンジは、アンテナの下でただ空を見上げていた。頬を伝う熱い雫が、星々の光を反射してキラキラと輝いている。それは、沈黙していた宇宙が初めてあげた産声であり、たった一人の男の諦めなかった夢が起こした、紛れもない奇跡だった。

宇宙は、もう退屈な場所じゃない。だって、歌えば応えてくれる友がいるのだから。ケンジの流した一筋の涙には、銀河の輝きが宿っていた。

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