僕の仕事は、夜泥棒に似ている。ただし、盗むのは金品じゃない。人々が心の片隅に追いやった、忘れられた夢のかけら――僕らはそれを「星屑」と呼ぶ。真夜中の街を駆け、輝きを失いかけたそれを回収し、また別の誰かの元へ届ける。それが「星屑コレクター」である僕の、もう何年も続く日課だった。
「どうせ、またすぐに忘れるくせに」
回収したばかりの、ピアニストになる夢が詰まった星屑を革の鞄にしまいながら、僕は小さく毒づいた。かつては眩い光を放っていたであろうそれは、今やホコリを被り、蛍ほどの力で明滅しているだけだった。夢なんて、そんなものだ。誰もが抱き、そしていつしか手放していく、儚い光。
その夜、僕は海辺の古びた港町に降り立った。潮の香りが、寂れた街並みを撫でていく。そこで、僕は出会ってしまったのだ。これまでに見たこともないほど、強く、清らかな光を放つ星屑に。
それは、小さな家の窓辺で瞬いていた。持ち主はエマという名の少女。病床に伏す幼い弟のために、「夜空で一番輝く星を捕まえてプレゼントする」という、あまりにも純粋で、馬鹿正直な夢だった。その光は、まるで生まれたての恒星のように眩しく、僕の目を焼いた。心が、ちくりと痛む。こんな綺麗な夢を、僕が回収していいはずがない。
踵を返した僕は、町の外れにある灯台へと向かった。そこにはもう一つの仕事が残っていたからだ。灯台守の老人、クロード。彼からは、完全に光を失った「死んだ星屑」を回収する予定だった。それは、かつて彼が抱いていた天文学者としての夢の残骸。僕は慣れた手つきでそれを回収し、鞄の奥底にしまい込む。純粋すぎる光と、完全な闇。その両極端に触れた夜、僕の心は奇妙に波立った。
それから数日、僕はエマの夢を回収できずにいた。毎晩、彼女は窓辺から灯台の光を見つめ、小さな手を合わせて祈っている。その健気な姿を見ているうちに、僕の中に今までなかった感情が芽生え始めた。
ある嵐の夜、エマは窓辺に現れなかった。心配になった僕がこっそり家を覗くと、彼女は熱を出してベッドに寝込んでいた。弟の心配ばかりしていた彼女が、自分の体調を疎かにしてしまったのだろう。僕は、逡巡の末に鞄を開けた。そして、いつか回収した「小さな冒険家」の夢のかけら――ほんの少しの勇気を与えてくれる星屑を、彼女の枕元にそっと置いた。
翌日、奇跡のように元気になったエマは、なんと灯台へと駆け出した。そして、無愛想な灯台守のクロードに、真正面からこう尋ねたのだ。
「おじいさん! どうしたら、お星さまを捕まえられますか?」
呆気にとられるクロード。彼は何十年も前に夢を捨て、心を閉ざして生きてきた男だ。だが、エマの曇りなき瞳は、彼の心の分厚い扉を、いともたやすくこじ開けてしまった。クロードの口から、忘れていたはずの言葉がこぼれる。
「……星は、捕まえるものじゃない。会いに行くものだ」
その夜、灯台のてっぺんで、信じられない光景が繰り広げられた。クロードが、錆びついた巨大な天体望遠鏡を動かしていたのだ。彼が埃まみれのレンズを磨き上げ、星空へと向ける。隣では、エマがキラキラした目でそれを見上げていた。
その光景を見て、僕は全てを悟った。僕の仕事は、ただの回収と配達じゃなかったんだ。忘れられた夢は、決して消えてなくなるわけじゃない。誰かに受け渡され、形を変え、新たな光を灯すための、大切なバトンだったのだ。
僕は丘の上に立ち、革の鞄を逆さにした。
「行け!」
僕が叫ぶと同時に、鞄から無数の星屑が解き放たれた。ピアニストの夢が奏でる旋律、冒険家が夢見た絶景、画家が描きたかった色彩、届けられなかった恋文の熱。それら全てが、夜空を駆ける光の帯となり、港町の上に降り注いだ。
「わあ……! 流れ星……!」
望遠鏡を覗いていたエマの歓声が、夜気を通して僕の耳に届く。
「すごい、すごいよ! お兄ちゃんの病気が治りますようにって、百回もお願いしたんだ!」
灯台の上で、クロードが空を見上げていた。その瞳には、星空と同じ輝きが戻っていた。彼はまるで、新しい星の誕生を祝福するみたいに、穏やかに微笑んでいた。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。僕の鞄は空っぽになったけれど、心は今まで感じたことのないほどの温かい光で満たされていた。
僕は空になった鞄を担ぎ直し、夜の闇に紛れた。さあ、行かなくちゃ。この世界のどこかで、また新しい夢が生まれている。そして、いつか忘れられてしまうであろう、その美しい輝きを拾い集めに。
それは、最高にワクワクする仕事だ。僕は、星屑コレクター。夜空に奇跡を配達するのが、僕の誇りだ。
星屑コレクターと約束の夜空
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