「人生なんて、こんなもんか」
白川健太は、灰色のオフィスビルを見上げながら、ため息まじりに呟いた。夢も希望も、いつの間にか定期預金みたいに心の奥底にしまい込み、利息もつかないまま時間だけが過ぎていく。そんな毎日だった。
きっかけは、亡くなった祖父の遺品整理だった。ホコリっぽい屋根裏部屋で、健太は古びた木箱を見つけた。中には、年代物の8mm映写機と、いくつかのフィルム缶が錆びた音を立てて転がっていた。その一つに、色褪せたインクでこう書かれていた。
『未来の冒険家へ』
まるで自分を待っていたかのような言葉に、健太の心臓が小さく跳ねた。半信半疑のまま映写機にフィルムをセットし、スイッチを入れる。カタカタと乾いた駆動音の後、壁に光の四角が灯った。
そこに映し出されたのは、若き日の祖父だった。日焼けした顔に、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
「やあ、健太。もしこれを見ているなら、君はきっと退屈しているんだろう?」
祖父はカメラの向こう、三十年後の孫に語りかける。
「どうだい? 私の最後の冒険に付き合ってみないか。最初のヒントだ。全ての列車が行き着く場所、しかし今はもう誰も待っていない場所へ行け。そこに、次への切符がある」
映像はそこで途切れた。
「全ての列車が行き着く場所…?」
健太は首を傾げたが、すぐにピンときた。子供の頃、祖父に連れて行ってもらった町の外れにある廃線の終着駅だ。翌日、仕事を半ば放り出すようにして、健太はその駅へ向かった。
錆びついたホームのベンチ。祖父の言葉通り、その裏側にテープで貼り付けられた次のフィルム缶を見つけた時、健太の胸は高鳴った。退屈だった日常に、突然レールが敷かれたような感覚だった。
次のフィルムが示したのは、祖父がよく通っていたという古いジャズ喫茶だった。カウンターに座る白髪のマスターは、健太の顔を見るなり「あのお爺さんの孫だね。面影がある」と笑った。
「お爺さんはいつも言ってたよ。『人生は一本の映画だ。どうせなら、観客がワクワクするような最高の作品にしなきゃ損だ』ってね」
マスターから渡された三本目のフィルム。健太は、ただの宝探しだと思っていたこの冒険が、祖父という人間を知る旅でもあることに気づき始めていた。
最後のフィルムが示した場所は、町の小高い丘の上に立つ、古びた天文台だった。子供の頃、一度だけ来たことがある。扉を開けると、そこには最後の映写機がぽつんと置かれていた。フィルムをかけると、再び若き日の祖父が現れる。だが、その表情は今までよりも少しだけ穏やかだった。
「よく来たな、健太。どうだ、少しはワクワクしたかい?」
祖父は優しく微笑んだ。
「さて、私が隠した宝物の話だが……実を言うと、そんなものはどこにも無いんだ。ガッカリしたかい?」
健太は息を呑んだ。だが、祖父は悪戯っぽく笑いながら続けた。
「私が君にあげたかった宝物は、金貨や宝石じゃない。退屈な日常から、一歩だけ踏み出すための『きっかけ』という宝物だ。世界は君が思っているよりずっと広くて、面白いことで満ち溢れている。いいかい、私の冒険はここで終わりだ。だが、君の冒険は、ここから始まるんだ」
祖父はふっと空を指さした。
「顔を上げてごらん。最高のショーの始まりだ」
健太がはっと顔を上げ、天文台のドームの窓から夜空を見上げた、その瞬間。
一本の光が、夜の帳を切り裂いて流れた。それを皮切りに、まるで天の川が決壊したかのように、無数の流星が次から次へと降り注ぎ始めた。何十年かに一度という、しし座流星群が極大を迎える夜だったのだ。
祖父が用意したロードショーの、最後のサプライズ。
それは、時を超えて届けられた、壮大な星々のスペクタクルだった。
健太の頬を、熱いものが伝っていく。それは悔しさの涙ではない。心の底から湧き上がる、どうしようもないほどの感動だった。
「ありがとう、じいちゃん」
満天の星の下で、健太は晴れやかに笑った。
「僕の冒険、始めるよ」
灰色の世界は、もうどこにもなかった。健太の目の前には、無数の星屑が降り注ぐ、無限の可能性に満ちた未来が広がっていた。
星屑のロードショー
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