僕の父さんは、星になった。五年前、深宇宙探査船『アトラス』が発した最後の通信を最後に、父さんは公式に「死亡」した。けれど、僕は信じていなかった。父さんの部屋に残されたボロボロの航海日誌、その最後のページに、震えるような文字でこう書かれていたからだ。
『もしもの時は、誰も使わない古い電波帯で、歌を歌う』
父さんらしい、ロマンチックで馬鹿げた約束。でも、僕にとってはたった一つの希望の糸だった。だから僕は、裏庭のスクラップの山に、僕だけの神殿を築き始めた。ガラクタの鉄パイプを組み上げ、錆びついたパラボラアンテナを磨き、継ぎ接ぎだらけの配線を繋いでいく。目指すは、父さんの歌を聴くための、世界で一番大きな耳。
「まだそんな無駄なことをやっているのか、リオ」
声をかけてきたのは、隣に住むハシバさんだ。元『アトラス』計画の通信技師だった彼は、引退後、気難しい偏屈老人としてこの町に根を下ろしていた。
「無駄じゃありません。父さんは生きてます」
「希望的観測は、時に心を蝕む毒になる。あきらめも肝心だ」
冷たく言い放つハシバさんだったが、僕が巨大な変圧器の扱いに困って唸っていると、いつの間にか隣にいて、「そこのコンデンサの容量が足りん。こっちを使え」と、埃をかぶったパーツを投げてよこすのだった。
それから、僕とハシバさんの奇妙な共同作業が始まった。彼は口では「無駄だ」と繰り返しながらも、その目は少年のように輝いていた。かつて宇宙と交信した彼の指先が、僕の無謀な夢に、確かな理論と技術を与えていく。スクラップの寄せ集めは、やがて夜空に向かってそびえ立つ、巨大でいびつなモニュメントへと姿を変えた。
そして、運命の日が来た。アンテナが完成したその日、空には分厚い暗雲が垂れ込め、嵐の前の不気味な静けさが漂っていた。
「嵐が来れば、ノイズで何も聞こえなくなる。やるなら今しかない」
ハシバさんの声が飛ぶ。僕らは廃工場のようになった裏庭の管制室で、巨大なアンテナを父さんが消えた座標軸へと向けた。スイッチを入れると、スピーカーから砂嵐のようなノイズが噴き出す。僕はダイヤルを回し、周波数を探った。だが、聞こえるのは宇宙の気まぐれな吐息ばかり。集まってきた野次馬たちが、憐れむような視線を向けてくる。
「やっぱり、無理だったんだ……」
僕がコンソールに突っ伏した、その時だった。
「待て!」ハシバさんが叫んだ。「歌だ! リオ、お前の親父は歌を歌うと言ったんだろう!」
「え……?」
「普通のデジタル信号じゃない! もっと原始的で、音楽的な波形を探せ! あの男は、そういうロマンチストだ!」
ハシバさんの言葉に、僕は顔を上げた。そうだ、父さんは歌うと言った。僕は無我夢中で、誰もが時代遅れだと笑う、アナログのダイヤルに手を伸ばした。ゆっくり、ゆっくりと回していく。
ザー……ザザッ……
ノイズの海の中から、なにかが聞こえる。それはあまりに微かで、か弱くて、幻聴かと思うほどだった。
……トン、ツーツー、トン。
「これだ!」
僕とハシバさんの声が重なった。それは、人類が最初に宇宙へ送った信号と同じ、素朴なモールス信号だった。ハシバさんが震える手でヘッドフォンを耳に当て、メモ帳に書き取っていく。一文字、また一文字と、絶望的な距離を超えて届いた言葉が紡がれていく。
『キ……コ……エ……ル……カ』
僕はマイクにかじりついて叫んだ。
「聞こえるよ! 父さん! 僕だよ、リオだ! 聞こえる!」
返事はないかもしれない。一方通行のメッセージかもしれない。それでもいい。届け、この声。
すると、一瞬の間を置いて、再びスピーカーが鳴った。さっきよりも少しだけ力強い、確かな信号。ハシバさんが、涙で滲む目でメモを読み上げる。
『リ……オ……カ』
『ア……イ……シ……テ……ル』
それが、父さんからの最後の歌だった。信号はそこで途絶え、再び宇宙の沈黙が訪れた。
嵐は来なかった。雲が割れ、満天の星が僕たちを見下ろしていた。父さんが生きているという確証はない。あれは、父さんが何年も前に残した、自動発信のメッセージだったのかもしれない。
でも、僕たちのアンテナは、確かに父さんの信号の発信源を捉えていた。その座標データは、すぐに宇宙局へと送られた。大人たちが「不可能だ」と匙を投げた捜索任務が、正式に決定した瞬間だった。
僕とハシバさんは、二人並んで空を見上げた。巨大なアンテナが、まるで星に手を伸ばす巨人のように、静かに佇んでいる。
父さんの歌は聞こえた。そして僕の声も、きっと届いたはずだ。星屑が奏でた微かなアンサーソングは、僕の心の中で、いつまでも鳴り響いていた。
星屑のアンサーソング
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