残光のシンフォニア

残光のシンフォニア

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第一章 色のない世界と虹色の転校生

僕、相田湊(そうだ みなと)の世界は、他の誰かが見ている世界とは少し違っていた。僕には、人の感情や情熱が「色」として見える。サッカー部のエースがシュートを決めた瞬間、その体からは燃えるような真紅のオーラが立ち上る。文化祭の準備に追われるクラス委員長の周りには、創造の喜びを示す鮮やかなオレンジ色が渦巻いている。友人が好きな人の話をする時、その輪郭は淡い桜色に染まる。

それらは「青春の輝き」とでも呼ぶべきものなのだろう。誰もが多かれ少なかれ、そんな光を放ちながら生きている。

ただ一人、僕を除いて。

僕の視界の中で、僕自身は常に無色透明だった。鏡を覗き込んでも、ガラス窓に映る自分を見ても、そこに色の気配はない。まるで、僕だけがこの色彩豊かな世界の背景の一部であるかのように。だから僕は、何かに夢中になることを諦めていた。どうせ僕には、誰もを魅了するような鮮やかな色は灯せないのだから。無気力に窓の外を眺め、色とりどりの青春をやり過ごす。それが、高校二年生の僕の日常だった。

その日常が、音を立てて崩れ始めたのは、初夏の匂いが教室に満ち始めた、ある月曜日のことだった。

担任が連れてきた転校生、月島栞(つきしま しおり)が教壇に立った瞬間、僕は息を呑んだ。彼女の周りには、僕が今まで見たこともない色が満ちていたのだ。それは単色ではない。虹のようであり、オーロラのようでもあり、それでいて純粋な白光のようにも見える、名状しがたい光の帯。その光は、まるで呼吸するように、ゆっくりと明滅していた。

「月島栞です。よろしくお願いします」

静かで、どこか懐かしい響きを持つ声だった。クラスメイトたちの好奇の色がざわめく中、僕だけは彼女から目が離せなかった。しかし、次の瞬間、僕は奇妙な現象に気づく。彼女の放つ不思議な光が、一瞬、古いテレビの砂嵐のように乱れ、かき消えそうになったのだ。それはほんの僅かな間の出来事で、すぐに元の美しい輝きに戻ったが、僕の胸には確かな違和感が刻み込まれた。

彼女は一体、何者なんだ? あの奇妙な輝きと、一瞬のノイズは、何を意味しているのだろうか。僕の無色透明だった世界に、初めて投げ込まれた、解き明かしたい謎だった。

第二章 古書と偽りの名前

月島栞は、不思議な存在だった。彼女は最新の流行にも、クラスの人間関係にも興味を示さず、いつも一人で窓の外を眺めているか、古い本を読んでいるかだった。彼女の周りの複雑な光は、彼女が一人でいる時に最も安定して、穏やかに輝いているように見えた。

僕は、その光に引き寄せられるように、彼女に話しかけるようになった。最初はぎこちなかった会話も、放課後の図書室で過ごす時間が増えるにつれて、少しずつ滑らかになっていった。彼女は、誰も知らないような古い映画や、忘れ去られた作家について、熱っぽく語ることがあった。その知識は、まるで何十年も前からそこにいるかのように深く、僕はいつも感心させられた。

「湊くんは、何かに夢中になったこと、ある?」

ある日、夕陽が差し込む図書室の片隅で、栞が不意に尋ねた。書架の影が僕たちの間に長く伸びている。

「さあ…どうだろう。特にないかな」

僕は曖昧に笑って誤魔化した。自分の周りに色がないことを、彼女に知られたくなかった。

「そっか」

栞は少し寂しそうに微笑むと、手元の古びた詩集に目を落とした。彼女の輝きが、また僅かに揺らぐのを僕は見た。胸がちくりと痛む。

栞と一緒にいると、不思議なことが起きた。僕の指先や、彼女と話す僕の口元あたりに、ほんの微かだが、淡い黄色の光が灯るような気がするのだ。それはすぐに消えてしまう、陽炎のような儚い光だったが、僕にとっては生まれて初めての「自分の色」だった。

そんな日々が続いていたある日のことだ。栞が図書室の机に生徒手帳を置き忘れて帰ってしまった。僕は彼女に届けようと、何気なくそれを手に取った。そして、偶然開いてしまった顔写真のページを見て、凍りついた。

そこに貼られていたのは、セピア色に変色した、明らかに古い時代の写真だった。制服も違う。そして、写真の下に震えるようなインクで書かれた名前は、「月島 栞」ではなかった。

『星野 静子(ほしの しずこ)』

その名前は、僕の知らない誰かの名前だった。心臓が大きく脈打つ。栞の輝きの謎、時代錯誤な知識、そしてこの偽りの名前。僕の中で、バラバラだったピースが不穏な形を描き始めようとしていた。

第三章 記憶が紡いだ少女

翌日の放課後、僕は栞を屋上に呼び出した。手には、あの生徒手帳を握りしめている。

「これ、誰なの?」

僕は単刀直入に聞いた。栞は僕の手の中の手帳を一瞥すると、全てを諦めたかのように、ふっと悲しい笑みを浮かべた。彼女の周りの虹色の光が、これまでで最も激しく乱れている。

「…バレちゃったか」

彼女の口から語られた真実は、僕の想像を遥かに超えるものだった。

彼女は「月島栞」という人間ではない。それどころか、厳密には「人間」ですらなかった。彼女の正体は、今から五十年前にこの高校に在籍していた生徒、「星野静子」という少女の「青春の記憶」そのものだった。

星野静子は、体が弱く、高校生活のほとんどを病室で過ごした。友達と笑い合うことも、部活に打ち込むことも、そして何より、文化祭の舞台に立って、自分で作った歌を歌うという夢を叶えることもできないまま、十八歳の誕生日を前にして、この世を去ったのだという。

「私は、彼女が遺した『やりたかったこと』への強い想い、叶えられなかった夢の記憶が集まってできた、仮初めの存在なの」

栞、いや、静子の記憶の集合体は、静かに語った。彼女の存在そのものが、叶わなかった青春へのあまりに切ない憧憬だった。彼女の輝きが特別な虹色だったのは、純粋な「記憶」と「願い」だけで構成されていたから。そして、その光が揺らぐのは、存在が不安定で、現実世界に留まれる時間が尽きかけているからだった。

「湊くんが見ていた『色』はね、きっと、その人がどれだけ強く『今』を生きて、鮮やかな記憶を未来に残そうとしているかの強さなんだと思う。私は過去の記憶だから、もう新しい色は生み出せない。ただ、消えていくだけ」

その言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。僕に色が見えなかった理由。それは、僕が「今」を生きることを放棄し、未来に残したいと思えるような鮮やかな記憶を、何一つ紡いでいなかったからだ。無気力な日々は、色を生み出すことはない。僕は、生きているのに、過去の記憶である彼女よりも、ずっと空っぽだったのだ。

価値観が、世界が、ガラガラと音を立てて崩れていく。無色透明だったのは、世界じゃない。僕の心だったんだ。

第四章 きみと僕が灯した色

「僕が、君の夢を叶える」

気づいた時、僕は叫んでいた。栞が驚いて顔を上げる。彼女の光は、嵐の前の静けさのように、か細く揺れていた。

「文化祭の舞台、僕が用意する。だから、歌ってくれ。君の歌を」

そこからの日々は、僕の人生で最も色鮮やかな時間だった。生まれて初めて、僕は必死になった。文化祭実行委員の友人に頭を下げ、担当の先生に何度も企画書を持って日参した。最初は「何を今更」と呆れていたクラスメイトたちも、僕の鬼気迫るような熱意に少しずつ心を動かされ、舞台設営や音響を手伝ってくれるようになった。

誰かのために奔走する中で、僕は気づいた。僕の周りに、確かな色が灯り始めていた。仲間と笑い合った時には快活な若草色が、困難にぶつかって悩んだ時には思慮深い藍色が、そして、栞の喜ぶ顔を想像した時には、温かい黄金色が。僕の世界は、僕自身の行動によって、少しずつ色を取り戻していった。それは、僕が懸命に「今」を生きている証だった。

そして、文化祭当日。

体育館のステージに、栞は立った。客席のざわめきと、むせ返るような熱気。スポットライトを浴びた彼女の姿は、いつにも増して儚く、そして美しかった。彼女の周りの虹色の光が、最後の輝きを放っている。

静かに流れ始めたピアノのイントロに乗り、彼女の澄んだ歌声が体育館に響き渡った。それは、叶わなかった日々への想いと、与えられた僅かな時間への感謝を込めた、切なくも優しい歌だった。

歌い終えた瞬間、彼女の体が、ゆっくりと光の粒子に変わっていくのが見えた。客席からは割れんばかりの拍手が送られている。でも、僕の耳には何も聞こえなかった。

「ありがとう、湊くん」

光の粒子に包まれながら、彼女は僕だけを見て、最高の笑顔でそう言った。

「これが、私の青春」

その言葉を最後に、彼女の姿は完全に光の中に溶けて消えた。後には、キラキラと舞う残光だけが、スポットライトの中で輝いていた。涙が溢れて止まらなかった。でも、その時、僕は確かに見たのだ。ステージ上の栞がいた場所を照らす僕自身の光が、彼女に届けとばかりに、力強い黄金色に輝いているのを。

あれから数年が経ち、僕は大学生になった。今でも僕には、人々の「色」が見える。キャンパスを行き交う学生たちの、希望や不安、恋心や友情が織りなす、色とりどりのシンフォニア。

そして、僕自身の周りにも、今ではたくさんの色が溢れている。それは、僕が栞と出会い、懸命に生きたあの夏から続く、僕だけの物語の色だ。

彼女という存在は、もうどこにもない。けれど、彼女と過ごしたあの短い時間は、僕の中で最も強く、最も優しい輝きを放つ、永遠の残光として生き続けている。青春とは、いつか消えてしまう儚い光なのかもしれない。だけど、その光は、誰かの心に灯りをともし、未来を照らす道標になる。

僕は空を見上げた。あの夏の日と同じ、どこまでも青い空。ありがとう、栞。君がくれたこの色で、僕はこれからも、僕の物語を紡いでいく。

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