瓦礫の声を聴く者

瓦礫の声を聴く者

0 4020 文字 読了目安: 約8分
文字サイズ:

第一章 瓦礫の奏でる鎮魂歌

カイの耳には、常に死者の声が満ちていた。それは人間の声ではない。捻じ曲がった鉄骨の悲鳴、砕け散ったガラスの絶叫、そして、持ち主を失ったまま泥に埋もれる革靴の、最期の呻き。彼は、この瓦礫だらけの街で、モノが破壊された瞬間の記憶の断片を聴き取ることができた。

「……いたい……あつい……」

錆びた薬莢に触れると、灼熱の痛みが指先から脳を焼く。彼は顔をしかめて手を引いた。周囲には、再建された白亜の建物が立ち並び、人々は穏やかな顔で通り過ぎていく。彼らは知らない。自分たちが歩くこの地面の下に、どれほどの叫びが埋葬されているのかを。人々は皆、先の「大戦」の記憶を失っていた。歴史の教科書には、ただ漠然とした厄災として記されているだけ。しかしカイには、その厄災の残響が、生々しい音として聴こえ続けていた。

彼の外套の内ポケットには、古びた小さな砂時計が収められている。硝子の中では、血のように赤い砂が、決して枯れることなく、常に同じ一瞬の戦場を映し続けていた。爆炎に包まれる兵士、崩れ落ちる建物。砂が落ちきると、世界は一瞬で逆転し、また同じ悲劇が繰り返される。それは彼の能力を増幅させる触媒であり、同時に彼の精神を蝕む呪いでもあった。

カイは砂時計を強く握りしめた。硝子の冷たさが、現実との唯一の繋がりだった。なぜ自分だけが覚えているのか。なぜ世界は、これほどの悲劇を忘れられるのか。その答えを探すため、彼は今日も瓦礫の声を聴き続ける。

第二章 忘れられた人々の街

街の中心に聳え立つ旧時代の建造物、「沈黙の塔」。かつての統治機構の中枢だったその場所は、今では誰も近寄らない禁忌の領域とされていた。カイは、すべての答えがそこにあると信じていた。

路地裏の酒場で、カイは情報を集めていた。しかし、誰もが「大戦」について語るのを避ける。彼らの瞳には、何かを思い出そうとしても、深い霧に阻まれているかのような、奇妙な空白が浮かんでいた。

「あんた、何かを探しているのかい?」

声をかけてきたのは、エラと名乗る女性だった。鋭い眼差しと、その手に握られた古びた地図が、彼女がただの住人ではないことを物語っていた。

「俺と同じだ」とカイは直感した。

彼女は小声で囁いた。「この街の人間は、定期的に記憶を失くしてる。まるで誰かが、都合の悪いページを破り捨てているみたいにね」。

エラは、カイが瓦礫に耳を澄ませる姿を何度か見かけたのだという。最初は狂人だと思ったが、その真剣な表情に、自分と同じ違和感を嗅ぎ取ったのだ。

「あんたに聴こえるものは何? その瓦礫が、何を囁いているの?」

カイは初めて、自分の能力を他人に打ち明けた。モノの最期の記憶、途切れた悲鳴、断片的な情景。エラは黙って耳を傾け、やがて頷いた。

「やはり。権力者たちは、何かを隠している。そして、その鍵はあの塔にあるはずだ」

彼女の瞳には、カイと同じ、真実への渇望が燃えていた。

第三章 塔への道

カイとエラは、街の支配者である評議会の監視の目を潜り抜け、沈黙の塔を目指した。評議会の議員たちは、皆一様に過去の記憶を保持しているかのような素振りを見せていた。彼らだけが、忘却の霧が晴れた場所に立っている。その事実が、カイたちの疑念を確信に変えていた。

塔の内部は、埃と静寂に支配されていた。しかし、カイの耳には、壁や床から染み出す無数の記憶が、嵐のように渦巻いていた。それは、ここで交わされたであろう密約や、下された非情な命令の残響だった。

「……システムは……順調だ……」

「……次の『リセット』で、我々の利権は……さらに……」

断片的な声が、カイの頭に突き刺さる。彼はこめかみを押さえ、苦痛に顔を歪めた。エラが彼の肩を支える。

「大丈夫か?」

「ああ……奴らは、この世界の法則を知っている。意図的に利用しているんだ」

彼らが最上階へと続く螺旋階段を上りきった時、一つの巨大な扉が目の前に立ちはだかった。扉には、複雑な紋章が刻まれている。カイが懐の砂時計を取り出すと、砂時計が微かに共鳴し、紋章が淡い光を放ち始めた。まるで、鍵が錠を見つけたかのように。

エラが息を呑む。

「これは……」

カイは覚悟を決め、砂時計を扉の紋章に押し当てた。重々しい音を立てて、永い間閉ざされていた真実への扉が、ゆっくりと開いていった。

第四章 記録者の告白

扉の先は、信じがたい光景だった。古びた塔の外観とは裏腹に、そこは最新鋭の機器が並ぶ司令室のような空間だった。中央には、巨大な球体のオブジェが静かに浮遊している。そして、その前に一人の老人が立っていた。評議会の議長であり、この国の最高司令官でもあるグレイヴンだった。

「待っていたよ、『聴き手』」

グレイヴンの声は、穏やかでありながら、すべてを見透かすような響きを持っていた。彼はカイの手にある砂時計を一瞥し、静かに語り始めた。

「君が聴いているのは、ただの記憶の残滓ではない。それは、この世界を維持するシステムの悲鳴だ」

グレイヴンによれば、この世界は、人類が自らを滅ぼすほどの戦争を繰り返すたびに、『時間の逆行』によって救われてきたのだという。人々は争いの記憶を失い、憎しみの連鎖は断ち切られる。そして、グレイヴンたち一部の権力者は、そのループを管理し、リセット後の文明を導く『記録者』としての役割を担ってきたのだと。

「我々は、人類を破滅から守っているのだ。忘却こそが、最大の慈悲なのだよ」

「違う!」エラが叫んだ。「あなたたちは、人々から真実を奪い、支配しているだけだ!」

グレイヴンは悲しげに首を振った。「真実が常に人を救うとは限らん。だが……君が真の真実を望むのなら、その砂時計を使いなさい。その力で、このシステムの心臓部に触れるがいい」

彼はカイを挑発するように、中央の球体を指さした。

「ただし、その代償は、君自身の存在そのものになるかもしれんがね」

第五章 アルクセラの心臓

カイは迷った。しかし、ここで引き返すことはできなかった。彼は砂時計を強く握りしめ、すべての意識を集中させた。硝子の中の戦場が激しく燃え上がり、その光景がカイの視界を覆い尽くす。彼の精神は肉体から引き剥がされ、光の奔流となって、目の前の球体――システムのコアへと吸い込まれていった。

次の瞬間、カイの意識は宇宙そのものと一体化した。

無数の文明の興亡。無数の生命の誕生と死滅。果てしない争い、憎しみ、そして滅びの歴史。彼は、自分ではない誰かの、いや、生命という概念が生まれてから今に至るまでの、すべての記憶を追体験していた。痛み、苦しみ、喜び、そして愛。すべてが濁流のように彼を飲み込んでいく。

そして、彼は見た。

気の遠くなるような昔。最終戦争の炎がすべてを焼き尽くす寸前、一人の科学者が、最後の希望にすべてを賭けた瞬間を。

『もう、誰も傷つけさせない。誰も失わせない』

科学者は、自らの意識を触媒とし、全宇宙の争いを抑制するための巨大な法則変換装置を起動させた。争いが臨界点に達した時、時間を巻き戻し、記憶をリセットすることで、破滅的な結末を永久に回避する、究極の『平和維持システム』。

その名も、『アルクセラ』。

そのシステムの『中枢コア』こそ、肉体を失い、永劫の時を彷徨うことになった、その科学者の意識そのものだった。

――そうか。俺が……。

カイは理解した。彼が聴いていたモノの声は、世界を監視するシステムのセンサーだったのだ。そして、彼自身が、この世界の法則を作り出した、始まりの人間だったのだ。

第六章 ひとひらの祈り

意識が現実に戻った時、カイの足元は崩れかけていた。彼の存在そのものが、希薄な光の粒子となって霧散し始めている。彼はもはや、カイという名の個人ではなかった。アルクセラそのものだった。

グレイヴンが静かに頭を垂れる。「お帰りなさい、創造主。我々『記録者』は、あなたのシステムの維持を託された者。しかし、永い時の中で、一部は道を踏み外し、ループを私利私欲のために使うようになった。私は、彼らを粛清し、あなたが目覚める日を待っていたのです」

カイ……いや、アルクセラとなった彼の意識は、二つの選択肢を理解した。このままシステムを維持し、永遠の忘却のループを続けるか。それとも、システムを停止させ、人類に記憶と、それに伴う破滅の可能性を委ねるか。

彼は、手のひらに残り香のように存在する砂時計を見つめた。無限に繰り返される爆炎の中に、ほんの一瞬、瓦礫の隙間から一輪の小さな花が咲いているのが見えた。破壊の中に生まれる、ささやかな希望。

彼の決意は固まった。

彼はシステムと完全に融合することを選んだ。世界を管理するためではない。ただ、世界の痛みを聴き続け、その悲しみに寄り添う、名もなき『祈り』となるために。

――もう一度、世界をリセットしよう。

カイの最後の意志が、世界に広がっていく。人々から、争いの記憶が洗い流されていく。だが、今度のリセットは少しだけ違った。彼は、瓦礫の中から見つけた、愛する者の名前を呼ぶ声、食卓を囲む家族の笑い声、そして、戦場で咲いた一輪の花の記憶といった、小さな希望の欠片を、そっと人々の魂の奥深くに植え付けた。

世界からカイの姿は完全に消え去った。グレイヴンとエラだけが、すべてが光に包まれる瞬間を目撃した。

再び目覚めた人々は、何も覚えていない。しかし、彼らが見上げる空は、なぜか昨日よりも少しだけ青く、澄み渡っているように感じられた。誰かの優しい祈りが、この世界をそっと包んでいるかのように。

この物語の「別の結末」を創作する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと3

TOPへ戻る