言霊の残光、沈黙の学舎

言霊の残光、沈黙の学舎

1 4121 文字 読了目安: 約8分
文字サイズ:

第一章 灰色の残像

僕、湊(みなと)の目には、世界が少しだけ違って見えている。人々が吐き出す言葉に、『寿命』が見えるのだ。

嘘やその場しのぎの言葉は、まるで線香花火のように儚く発光し、一瞬で闇に溶けて消える。一方、覚悟や真実を宿した言葉は、夜空を流れる彗星のように、長く、強く輝く光の帯となって宙に残る。この能力のせいで、僕は昔から少しだけ人間が苦手だった。

そして今、僕が通うこの『私立言ノ葉(ことのは)学園』は、死にかけの言葉で埋め尽くされていた。

「どうせ無理だよ」「もう諦めた」「ひとりになりたい」。生徒たちの唇から漏れるのは、灰色にくすんですぐに消え去る光の残像ばかり。それらの言葉が現実を侵食し、学園の廊下には分厚い『諦め』の壁が道を塞ぎ、中庭には肌を刺すような『孤独』の霧が立ち込めている。これも、この学園の特殊な教育システム――生徒の集合意識が物理的に具現化する――がもたらす光景だった。かつては『希望』が光の道を創り、『友情』が温かい陽だまりを生み出していたと聞くが、今となっては遠い昔話だ。

西棟へ続く渡り廊下で、友人の陽菜(ひな)が、新たに具現化した『無力感』の壁の前で立ち尽くしていた。壁は鈍い鉛色で、触れると指先から体温が奪われていくような冷たさを感じる。

「また、道が増えちゃったね……」

陽菜の言葉は、か細く震える銀色の光となって宙を漂ったが、壁に触れると力なく霧散した。僕はその光景から目を逸らし、ただ頷くことしかできなかった。この荒廃は誰かの悪意か、それともシステム自体の崩壊か。僕の目に映る無数の『死んだ言葉』の残骸が、その答えを知っているような気がしてならなかった。

第二章 言霊の欠片

学園の異変の原因を探るため、僕は最も古い建物である旧図書館へと足を向けた。そこは『忘却』の埃が厚く積もり、黴と古い紙の匂いが鼻をつく、時が止まった場所だった。高い天井まで伸びる本棚は、まるで巨大な墓標のように静まり返っている。

「やはり、ここに来ていたか、湊君」

背後からかけられた声に振り返ると、古文担当の古賀先生が立っていた。皺の刻まれた柔和な顔で、先生は僕の持つ特異な視線に、ずっと前から気づいていた数少ない人物だ。

「先生こそ、こんな場所で何を?」

「歴史を遡っているのだよ。この学園が、いつから光を失ってしまったのかをな」

古賀先生は、埃をかぶった書棚の一角を指差した。「創設者たちの理念は、挑戦と克服にあった。厳しい言葉で生徒の精神を鍛え、それを乗り越えた先にこそ真の成長があると信じていた。だが、その『厳しさ』が、今のこの状況を生み出したのかもしれん」。

先生の話を聞きながら、僕はふと、漆喰が剥がれ落ちた壁の隙間に、蛍のような微かな光が明滅しているのに気づいた。手を伸ばし、冷たい壁の中から小指の先ほどの石の断片を取り出す。それは淡い光を宿し、掌の中でじんわりと温かかった。

「それは……『言霊の欠片』だ」

古賀先生が息を呑むのが分かった。「過去にその場所で発せられた、特に強い言葉のエネルギーが結晶化したものだ。君の能力となら、共鳴するかもしれん」

第三章 過去からの囁き

先生に促され、僕は『言霊の欠片』を強く握りしめた。すると、欠片が心臓の鼓動と呼応するように明滅を始め、脳内に直接、ノイズ混じりの映像と音声が流れ込んできた。

視界に映るのは、数十年前の、活気に満ちた旧図書館だ。今とは違う、木の温もりとインクの匂い。そして、響き渡る声、声、声。

『その程度で満足するな! お前の限界はそんなものではないはずだ!』

『夢を見るな。まずは目の前の現実と戦え!』

『お前にはまだ早い。今のままでは、社会では通用しないぞ』

創設者である教師たちが、真剣な眼差しで生徒たちを叱咤している。彼らの言葉は、僕の目には、眩いばかりの白金の光の帯として見えた。鋭く、厳しく、しかしその奥には生徒の未来を信じる揺るぎない意志が宿っている。だからこそ、その『寿命』は驚くほど長かった。何十年という時を経てもなお、この場所に力強い残響として刻み込まれていたのだ。

映像が途切れると、僕は息を切らして膝に手をついた。頭が割れるように痛む。

「どうだったかね?」

「……すごい光でした」僕は喘ぎながら答えた。「先生たちの言葉は、本物でした。厳しくて、痛いけど……嘘じゃなかった」

だが、同時に奇妙な違和感を覚えていた。善意から生まれたはずのその力強い光が、なぜ今の学園を覆う『絶望』や『孤独』に繋がるというのだろう。正の感情が、どうして負の結果を生み出すのか。謎は深まるばかりだった。

第四章 歪んだ残響

その日の放課後、事件は起きた。学園の中心にある中庭で、生徒たちの負の感情が臨界点に達したのだ。空が不気味な紫色に染まり、地面から巨大な黒い結晶体が、ゆっくりと、しかし確実に隆起し始めた。それは『絶望』の概念そのものだった。周囲の生徒たちは次々と膝から崩れ落ち、陽菜も顔を青ざめさせてうずくまっている。

「湊君、危ない!」

古賀先生の制止を振り切り、僕は結晶体に近づいた。僕の目には、その黒い塊の正体が見えていたからだ。

結晶体の中心で、無数の光の帯が、まるで巨大な茨のように醜く絡み合っていた。それは、旧図書館で見た創設者たちの『厳しい言葉』の残響だった。本来なら、生徒の成長と共にその役目を終え、静かに消えていくはずだった光。しかし、教育の場で何度も、何度も、何十年も繰り返されるうちに、その『寿命』は異常に延長されていた。

『お前には無理だ』

『諦めろ』

『夢を見るな』

言葉の真意や文脈は剥ぎ取られ、表層の『厳しさ』だけが増幅され、システムにバグのように蓄積していく。善意の叱咤は、いつしか呪いへと変質し、学園の集合意識を蝕む猛毒となっていたのだ。これが、学園の荒廃の真実だった。誰の悪意でもない。ただ、時が善意を歪めてしまった結果だった。黒い結晶体は、脈動するたびに不協和音のような呻きを上げ、学園全体を飲み込もうとしていた。

第五章 光を終わらせる言葉

もう、見ているだけではいられなかった。僕は結晶体に向かって、一歩、また一歩と歩みを進める。足元の地面からは、這い上がってくるような冷気がまとわりついた。

陽菜が、か細い声で僕の名前を呼ぶ。その声が、僕の背中を押した。

結晶体の目の前に立つ。絡み合った光の帯の中で、ひときゅうわ強く輝く一本の光――『お前には無理だ』という言葉の残響を見据える。それは、かつてある生徒の挑戦を、その生徒の身を案じるが故に止めた、教師の苦渋の言葉だった。

僕は、静かに息を吸い込んだ。

そして、その古い光に向かって語りかける。僕の言葉が、淡く、しかし温かい琥珀色の光となって紡がれていく。

「違う」

声が震えた。でも、続けなければならない。

「あなたは、本当に『無理だ』と言いたかったんじゃない。ただ、心配だったんだ。傷ついてほしくなかったんだ。そして……本当は、もっとやれるはずだと、心のどこかで信じてくれていたんだろう?」

僕の言葉の光が、古い白金の光の帯に、そっと重なった。それは否定ではない。断罪でもない。ただ、真の心を理解し、共感する言葉。

第六章 希望の夜明け

奇跡が起きた。

僕の言葉に触れた瞬間、何十年も輝き続けていた古い光の帯が、一瞬、これまでで最も強く、そして美しく輝きを放った。まるで、長年の役目から解放されたことを喜ぶかのように。

そして――ふっと、満足したかのように消えていった。寿命を、ようやく全うしたのだ。

僕は続けた。次々と、絡み合った光の残響に語りかけていく。

『夢を見るな』という言葉の残響には、「現実を見て、それでもなお届く夢を、一緒に探そうとしてくれたんだね」と。

『その程度か』という叱咤には、「君の本当の力はそんなものじゃないと、誰よりも信じてくれていたんだ」と。

僕の『共感』と『理解』の言葉が重なるたびに、古い光は感謝するように輝きを増し、そして静かに消滅していく。呪いとなっていた言葉たちが、一つ、また一つと成仏していく。

やがて、中心の光をすべて失った巨大な黒い結晶体に、無数の亀裂が走った。それは、氷が解けるような、あるいは鐘が鳴るような、澄んだ音を立てて内側から砕け散った。

黒い破片は、柔らかな光の粒子へと変わり、雪のように、静かに学園へと降り注いだ。その光は温かく、うずくまっていた陽菜や生徒たちの頬を優しく照らした。空を覆っていた紫色の雲は消え、まるで夜明けのような淡い光が世界を包み込んでいた。

第七章 新しい言葉が生まれる場所

数日後、学園は生まれ変わった。

『諦め』の壁は跡形もなく消え去り、その場所には『希望』が創り出した光の道が、未来へと向かって伸びていた。『孤独』の霧は晴れ、『友情』の陽だまりが中庭に暖かな場所を作っている。

生徒たちの口から発せられる言葉は、まだ短い寿命のものが多い。けれど、その一つ一つが、以前のような灰色ではなく、確かな色と輝きを宿していた。

昼休み、陽菜が友人たちと笑い合っている。

「昨日のテスト、結構できたかも!」

「ほんと? すごいじゃん!」

彼女たちの他愛ない会話が、僕の目にはキラキラと瞬く無数の光の粒となって映る。短いけれど、生きている言葉たち。僕はもう、自分の能力を疎ましくは思わなかった。

言葉には寿命がある。始まりがあり、終わりがある。だからこそ、今、この瞬間に紡がれる言葉が、どうしようもなく愛おしいのだと知ったから。

「湊、行こう!」

陽菜が僕を手招きしている。僕は頷き、新しく生まれた光の道へと足を踏み出した。古い言葉は終わり、そしてまた、新しい言葉が生まれる。この場所で、僕たちの手によって。

空には、どこまでも続く優しい光が満ちていた。

この物語の「別の結末」を創作する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと3

TOPへ戻る